不快な依頼人

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 事件は、西暦二〇二一年の二月頭に起こった。今は二〇三一年五月。刑事事件の時効は既に成立している。  犯人はすぐには見付からなかったが、波田の娘の命に別状はなかったし、その時、波田と波田の娘にとっての最重要事項は大学受験。幸い、波田の娘の追試の受験申込みが許可されたこともあって、波田は、警察への被害届提出等の煩わしい雑事はすべて、受験が終わってから考えることにしたらしい。  ところが、五日後の追試験の日、波田の娘は、今度は駅構内の階段で、やはり、あと五、六段のところから誰かに突き落とされてしまった。自分は誰かに狙われていると感じた波田の娘は、恐怖で動けなくなり、追試験の会場に行くことができなかった。波田の娘は第一志望の大学の受験を断念した。  顛末を知った波田はすぐに警察に駆け込み、被害届を提出。娘の志望大学にもその旨を訴えたらしいが、追々試験は認められず、波田の娘は浪人することになってしまったのだそうだった。  波田が俺に時効の確認をしてきたのは、当然、娘を突き落とした犯人がまだ捕まっていないからだ。 「警察は動かなかったのか? おまえの娘さんは、自分を突き落とした犯人の顔を見ていたんだろう?」 「最初の事件は、真冬の早朝、黒いロングコート、黒いフード、手袋にマスク。顔はほとんど見えなかったそうだ。娘が駅に向かうために突っ切ろうとした公園は小さな児童公園で、娘が突き落とされた時、公園内には娘と突き落とした犯人以外の人間は一人もいなかった。二度目は駅構内で、最初の時とは逆に、周囲に人が多すぎて突き落とした犯人の特定はできなかった。公園で娘を突き落とした犯人と同一人物かどうかもわからず、故意か過失かもわからない。ただ、最初に公園で娘を突き落とした犯人は、その場を立ち去る時、カツカツと甲高いハイヒールの音を響かせて小走りに立ち去ったというんだ。だから、犯人は女の子だったんじゃないかと、俺は思っている」
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