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第2話 解体作業
解体屋ザムエルは不思議な男だった。
竜騎士ダイスもザムエルをブリスの森の向こうに搬送する当日に初めて会った。
その容姿については前述のとおりだが、竜という希少で神聖で気難しい生物に対しても物怖じすることはなく、落ち着いて対峙していた。
いつもは都の城の北にある山の中腹の訓練所で竜と生活しているが、その日は城の敷地内にある竜のための広場でザムエルとダイス、そして飛竜のエミュは顔合わせをした。
一通りの挨拶をしたあと、ザムエルはすぐにエミュについて尋ねた。
「ダイスの旦那、エミュは何歳ですか」
「3歳の雌です」
「そうか。成獣になったばっかりっすね」
「はい、なのでナイフではなくザムエルさんを乗せることになりました」
「ああ、あれは重いから。すまんな、エミュ。よろしく頼んます」
まだ幼さが残る丸い金の目の瞳孔を細めザムエルを見ると、エミュは「ミュ」と小さく鳴いて羽をぱたぱたと動かした。
青緑の鱗が光り、翼のつけ根に生えているふわふわの白い羽毛がちらちらと見えた。
いくらエミュが人慣れしているとはいえ、こんなに好意を見せるのは珍しかった。
ザムエルの解体用ナイフはたくさんの種類があり、木箱に収められていた。
2箱あるそれらは非常に重く、まだ幼いエミュの翼を傷めてしまう心配があったので、一番軽いザムエルをエミュが乗せ、他の2頭のワイバーンが1箱ずつ運搬することになった。
それからダイスとエミュがザムエルと話をすることはなかった。
ザムエルがインペゲの巨体の腹の下に「解体の目」がある、と言ったため、すぐにザムエルが一人潜り込めるほどの隙間を作る作業が始まったからだ。
インペゲの体の下に、土や石、木を詰め、少しずつ隙間を作っていった。
なぜそれをダイスが知っているのかと言えば、ダイスとエミュはそのままブリスの森へ残ったからである。
20余年、戦争がなく実践経験のないダイスは、竜舎ではない場所でのワイバーンの世話の仕方や野営の方法などを先輩竜騎士から訓練を受けていた。
その合間に、エミュと一緒にインペゲにかけられたロープを討伐隊と引っ張ったり、物資の運搬をしたりした。
5日かけて、ザムエルが潜れる隙間ができ、エミュに乗ったときに装着していた革のヘルムと木枠のゴーグル、腰にはザムエルが厳選した解体ナイフ3本、ベルトにはこまごましたものを入れた小さな嚢をつけた解体屋ザムエルは現れた。
手には魔石を仕込んだ小型ランタンを持ち、隊長のモススや解体屋の長と抱き合い挨拶をすると、ザムエルはインペゲの巨大な腹の下に潜りこんでいった。
長い長い時間の後、ドシュッという破裂音と共にインペゲの腹の下から腐敗臭のする体液がどろどろと大量に流れ出てきた。
ザムエルが無事に解体の目を見つけ、ナイフを刺したのだ。
待機していた解体屋たちはすぐさま解体作業に入った。
討伐してから日数が経ち、腐敗が進んではいたが、最悪の事態は免れたようだった。
解体屋たちは悪臭にまみれながら作業をする。
草原には十分な水はない。
2頭のワイバーンも他の家畜と共に水を運搬したが、日々の食事などの必要なものに使うのが精いっぱいだった。
解体屋の長の指示で解体屋たちのテントは、討伐隊から離れたところに張り直された。
せいぜい顔と腕を濡れた布でふくくらいしかできなかったので、解体屋たちから体液の悪臭が取れることはなかった。
こういった理由で、ダイスはザムエルを何日かに1度見かける程度となった。
***
作業は想像より早く進んだ。
討伐隊に武器屋たちがいたので、肉や皮を切るとすぐに鈍ってしまう解体ナイフの研ぎや修理をしたからだ。
中でもザムエルのナイフは見たこともない材質で、武器屋たちはこぞってザムエルのナイフを扱いたがった。
またザムエルの作業は手早く、次々にナイフが切れなくなってしまう。
ザムエルは2箱分のナイフを順々に使っては武器屋に渡した。
関心があったのは他の解体屋もそうだった。
作業が終わり、焚火を囲んで夕食を取りながらザムエルのナイフに触らせてもらった。
自分たちのものよりよく切れるナイフがすぐに鈍ってしまう、ということにインペゲ解体が困難なことをより痛感した。
そうしていると武器屋から解体屋にナイフの柄の材質やつけ方に提案があった。
普段、個人に合った武器を作っているだけある。
実際に使い、不具合があるところを武器屋に言うと、また手にしっくりなじむナイフになって解体屋のところに戻ってくる。
こうして作業効率がぐんと上がっていった。
解体作業も終盤に差し掛かってきた。
途中、毒見が肉が食用になり得るかどうか試すために、インペゲの肉を焼いて食べた。
その匂いは討伐隊の胃袋を暴れさせた。
毒見に暴言を吐く者もいたが、毒見はローブのフードから縮れた前髪と青白い顔をちらりとのぞかせながらニヤリと笑った。
「そんなに食べたいかい。私の代わりに毒にあたってもいいならどうぞ。うまそうに焼けているぞ」
火に炙られ、肉から零れ落ちた脂がじゅっと音を立て炎を上げた。
「誰か、私より先に食べたい者はいるか」
毒見が串の先に焼けた肉を刺して、高く掲げた。
誰も何も言わなかった。
「よしよし、いいコにしていろ。私が食べるのが役目だからな」
そう言うと、毒見は肉にかぶりついた。
「うめぇ。うめぇなぁ。久しぶりに食べる肉はうめぇなぁ」
思わず「俺も食べる!」と言い出しそうになるのを皆、ぐっとこらえた。
毒見を見ている者の中には、これまで出会った毒見が自分の許容以上の毒を身に入れのたうち回りながら苦しみ、泡を吹いて死んでいったのを見たことがあった。
自分がそうなるのはいやだった。
数日後、毒見が許可したので、討伐隊にも肉が振る舞われた。
意外にも赤身の多い、旨い肉だった。
これだけ大量の肉があれば腹いっぱい食べられる。
冬に備えて干し肉が手に入りやすくなる。
そう思うと、解体屋が解体した肉や骨、皮を運ぶ者たちの作業にも身が入った。
一方で解体屋たちはつくづく水浴びがしたかった。
モンスターの体液にまみれることは、この仕事をしていれば避けられない。
しかし、こんな長期間、体液まみれのままでいたことはなかった。
解体屋の長は隊長モススに伝えていたものの、隊長にもどうすることができなかった。
解体屋の仕事を見ている討伐隊の者たちもできることがないか、考え始めた。
まず、武器屋が水漏れのない大きな木桶を作る提案があった。
武器屋は金属と水を操る。
丈夫で水漏れのない木桶を作る技があった。
大きな木桶が2つ作られると、手が空いている者はせっせと水を運び、木桶に溜めていった。
もちろん2頭のワイバーンも森の中にいくつもある湖から水を運んだ。
そして、解体作業が終わったとき、解体屋たちの前に大量の水と身体を洗う布、そして着古しではあったが洗濯のしてある清潔な服が用意された。
解体屋たちは大声で叫びながら次々に洗っても取れない汚れと臭いのついた服を脱ぎ捨て、水をたっぷり使い身体を洗った。
こうして、汚れた水が木桶の底にちょんもりと残るだけになった頃、最後の後始末を終えた解体屋の長とザムエルがどろどろの体のまま木桶の前に現れた。
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ブログ ETOCORIA
ばっさばっさと削り落とし / ワイバーンの背中 第2話
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