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「ありがとうございましたあ~」 威勢の良い声が、店内に響き渡る。 「はぁ……」 居酒屋チェーン店『龍馬リョウマ』。 店長である西 拓実(ニシタクミ)は、厨房の奥で洗い物をしながら今日何度目かのため息をついた。 (マジ向いてないよな、この仕事…) 大きな声を出すのは苦手だし、接客もそんなに得意ではない。 本部『サイトーフーズ』の店舗開発部で補佐の仕事をしていたのだが、急にこの店の店長が辞めてしまい『次の店長が決まるまでの間だけ』という約束でここに配属され半年になる。 30歳にもなって、まさかこんな仕事をすることになるとは思わなかった。 「どうしたんですか?店長」 すぐ隣から低くよく通る声がして、ビクリとする。 「あ?ああ、ごめん黒辺くん。もう閉店だよね」 黒辺穂高(クロベホダカ)は、フリーターの25歳で、随分長くここで働いてくれている。一見怖そうに見えるけれど、仕事はしっかりするし、みんなから頼られているのが分かる。 「表、片してきます」 「あ、はーい。よろしく」 無理やりに笑顔を作り、頭に巻いていた手拭いを外す。 (ホント助かるよな、黒辺くんが居てくれて) 見るとは無しに黒辺の後ろ姿を眺めた。 身長も高く肩幅もがっちりとして、貫禄さえ感じる。 ぼんやりとそれを見ていると 「てんちょー、明日ちょっと用事あって休みたいんですけどお」 大学生アルバイトの河野真斗(コウノマサト)がしなだれかかるようにして声を掛けてきた。 「あー、またデート?仕方ないなあ。いいよ、俺が代わりに…」 「店長ダメです!もう10日間も休んでないでしょう?」 黒辺が割って入ってきた。 「あー、まあそうだけど、大丈夫だよ?」 拓実は、また作り笑顔を貼り付ける。 「河野、そんなに何度も休んでると信用無くすぞ。決まっているシフトは守るのが基本だろ?」 黒辺に言われて、河野はしゅんと萎れる。 「今回は俺が代わってやるけど、次からは休みの予定はもっと早く言えよ」 「分かりましたぁ!ありがとうございます、黒辺さん!」 河野は鼻歌を歌いながらバックヤードに入っていった。 「え?いいの?黒辺くんだって連勤してるよね?」 拓実は、ポケットからシフト表を出して確認する。 「俺は大丈夫です。若いから」 そう言って拓実にニヤリと笑いかけた。 「あ、俺の事、年寄り扱いする気?」 拓実も黒辺に笑いかけた。 拓実は、何気ない黒辺とのやり取りに何故かいつも安らぎを感じていた。 フィーリングが合うのだろうか。 「けど確かに最近、腰が痛いんだよな」 「そうなんですか?やっぱ若く見えてもねえ…」 ハハ…と二人で顔を合わせて笑った。 年齢は随分違うけれど、こういう関係もあるのだと、その存在を有難く思っていた。 ――― 「じゃ、お疲れ様~」 店のシャッターを下ろし、裏口からスタッフ数人と出て挨拶を交わした。 「さむっ」 夜はすっかり冬の空気だ。 手を擦り合わせ、駅までの道を歩きながら、拓実は時間を確認しようとスマートフォンを取り出した。 もう、23時を回っている。 早く帰らなくてはと少し急ぎ足になっていると、着信が鳴った。 『もしもし?拓実?』 「あー、ごめん。今、帰るとこ」 『分かった、じゃあ先に風呂入っとくな』 「了解」 電話を切って、ポケットに手を突っ込んで歩く。 高校の同級生である那須憂樹(ナスユウキ)に、好きだと言われた時は驚いたけれど、二人にしか分からない何かを感じて拓実はそれに応じた。 それ以来、ずっと恋人関係を続けている。 那須のことは、大切に想っているし、愛されているといつも感じていた。 三年前から同棲も初め、このままこの関係がずっと続くのだろうと電車に揺られながら拓実はぼんやりと考えた。 __ 「店長」 「え?」 振り返ると黒辺が立っていた。 「あれ?黒辺くん同じ電車だっけ」 「そうですよ。俺はしょっちゅう見てましたけど」 黒辺は、そう言って少し笑った。 「ごめん、ごめん。気がつかなかった」 拓実は申し訳なくなって言う。 「いつもなんだか深刻な顔してて、声掛けづらかったんですよ」 黒辺は優しくよく通る声で言った。 「え?そうだった?」 「何か悩みでもあるんですか?」 こんな歳下の男の子にそんな風に聞かれて少し驚く。 「興味ないでしょ、俺の悩みなんて」 拓実は少しはぐらかす。 「悩みというか」 黒辺は少し考えた。 「店長には興味あります」 黒く深い瞳に、一瞬吸い込まれそうになってしまう。 「おいおい、大人をからかうなよ」 ハハ…と笑うと黒辺は、少し顔を和らげた。 「俺に出来ることなら何でもしますから、辞めないで下さいね」 「え?そんなに悩んでるように見えた?」 「はい。向いてないって思ってるでしょ?今の仕事」 「あー…」 図星を言われて、拓実は少し言葉に詰まる。 「俺は向いてると思いますよ?店長」 「そうかなあ?俺、声もそんなに大きく出せないしさあ」 歳下相手に愚痴が出てしまった。 黒辺の包容力につい甘えてしまう。 「大丈夫!そのうち出ますって」 励まされて、なんだか気分が明るくなってきた。 「ありがとな」 最寄り駅に到着する頃には、気持ちは随分と前向きに変わっていた。 「じゃあ明日悪いけど、よろしく」 降り間際に黒辺を振り返って手を上げた。 「はい、ゆっくり休んで下さい」 黒辺はぺこりと頭を下げ、少し笑ってくれる。 電車から降りて、車内を見ると黒辺は、じっと拓実を見つめていた。 少しだけ胸がキュッと、なる。 なんだか、分からない気持ちのまま走り去る電車を見送った。 __ 「おかえり。寒かっただろ?風呂入れば?」 マンションに帰ると、那須は風呂から上がってソファでビールを呑みながらテレビを観ていた。 「ただいま。もう冬だねえ」 寒い、寒いと言っていると、那須は、立ち上がって拓実を抱きしめてきた。 「明日、やっと休みなんだろ?」 耳元で囁かれた。 「あ、うん」 本当は、風呂に入ってすぐに眠ってしまいたいくらい疲れている。 けれど、10日も我慢してくれた恋人に、セックスしたくないなどと言える訳が無かった。 「じゃあ、先にベッドで待ってるから」 そう言って那須は拓実にキスをした。 「分かった」 拓実は、ニコリと笑うと風呂場に向かう。 身体を洗い湯船に浸かると、眠ってしまいそうだった。
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