俺の使命、俺の宿命

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 彼は底辺もド底辺で少人数の金型工で稼働している小さな工場に即戦力として派遣されたのだが、仕事のミスが重なって社長兼工場長にぼろくそに罵られ貶される毎日になった挙句、3ヶ月で首になり、派遣会社からも首を言い渡されてしまった。それが半年前だった。その時点で貯金が15万円しかなかった。節制しても2ヶ月も持たない。そんな切羽詰まった状況で彼は就活をしようとしなかった。自分は労働者には全く向いていないと悟るに至ったのだ。では何をしたか?何故か彼は国道でネズミ捕りに捕まろうとオービスがある所以外で法定制限速度30キロオーバーで毎日マイカーを走らせまくった。若い内は無茶をするもので積もりに積もった鬱憤晴らしの意味もあったのだろうが、時にはリミッターが利く180キロまで出すこともあった。そしてプー太郎になってから3週間後、遂に停止しろとサイレンを鳴らす白バイに追っかけられて都合よく無人のパーキングに駐車することが出来た。  小林は日本共産党に入党したり小説で特高警察の拷問を描写して批判したりして危険人物として特高警察に睨まれた挙句、逮捕され、拷問死させられた小林多喜二の生き様に深く共鳴して赤化した所以から赤切符を切られている時、多喜二の敵討ちとばかりに突然、隠し持っていた出刃包丁を白バイ隊員の胸に突き立てた。白バイ隊員は反則告知書に記入中だったから両手がふさがっている所へ持って来て全く不意を突かれた形で両腕の下から突き刺されたのだった。だから為す術なく空色のライダースーツの胸元を赤く染めながら呻きよろめく隙に小林は白バイ隊員の右腰に提げられた白いホルスターから拳銃を抜き取った。  刺された所が急所だったらしくその後、白バイ隊員は仰向けに倒れてしまった。  とどめを刺すまでもないと確信した小林は、そのまま逃走した、と言うより目撃者がいなかったから余裕綽々でマイカーを走らせた。  翌日、小林は午前中、交通機関を利用し、正午前、徒歩で小さな工場までやって来た。前述の首になった元勤め先だ。社長兼工場長が自宅で昼飯を食いに出かけるのを彼のミニバンの傍で待った。  果たして正午にマイカーの所へやって来た社長兼工場長に小林は拳銃を擬した。 「これは白バイ隊員から奪った本物だ!殺されたくなかったら手を後ろに組め!」  小林に人でなしと自覚する程、罵詈雑言を浴びせた過去を持つ手前、小林を認めた瞬間から仕返しに来たと勘付いて怯えた社長兼工場長は、殺された白バイ隊員が拳銃を奪われたことをニュースで知っていたので、こいつがやったのか!と震え上がって撃鉄を起こす音がリアルに響いてぎくりとして、「わ、分かった。お、俺が悪かった。た、た、頼むから撃たないでくれ」と哀願して小林の言う通りにした。すると小林は社長兼工場長の後ろに回って縄で彼の両手首を縛った。そして彼のポケットから財布と車のキーを取り出し、彼を助手席に乗せ、自分は運転席に乗った。  財布の中には現金3万5千円とクレジットカード2枚とキャッシュカード2枚入っていた。何より小林にとってラッキーだったのは貯金用の口座のキャッシュカードがあったことだ。  通帳に記載してある銀行へ向かう中、金をどれだけとられるだろうと命のことより金の心配をする社長兼工場長を横目に小林は心が浮き立って尋常でなくわくわくしながら目的の銀行に着いた。 「両方のキャッシュカードの暗証番号を教えろ!嘘を言ったら殺すぞ!」そう脅迫されて社長兼工場長が正直に言ったので小林はメモ帳に書き写してからATMで取り敢えず50万ずつ金を下ろすことが出来た。  その後、小林は矢張り社長兼工場長の車で○○瑚まで行った。駐車したのはひと気もガードレールもない○○瑚畔沿いの山道の路肩だった。  小林はキーをシリンダーに挿した儘、車から降りて助手席のドアを開けてから、「よし降りろ!」と命令した。  社長兼工場長が依然としてびくびくしながら降りると、小林は縄を解いた後、拳銃を彼の背中に擬して更に命令した。「撃ち殺されたくなかったら車ごと湖に飛び込め!」 「えっ!」と思わず社長兼工場長が叫ぶと、「キーは挿してある。さあ、乗れ」と小林は促した。  社長兼工場長はまさか逃がす為の冗談だったのだろうか?と訳が分からない儘、運転席に乗り込むと、その途端、しめしめ、これで逃げられる、馬鹿な奴だ、警察に通報してやるとほくそ笑んでエンジンをかけ、本道に出ようとしたが、その刹那、銃声が鳴るや否や弾丸に脳天を貫かれた。  小林は小林多喜二著「蟹工船」を読んでブルジョアが過酷な労働を強いてプロレタリアから搾取することや海軍延いては政府自体がプロレタリアの味方でなくブルジョアの味方であることなど現代に通じるものを痛感した所以から社長兼工場長をブルジョアの一人と見て憎悪を込めて一発お見舞いしたのだった。  その結果、社長兼工場長の車は蛇行して法面を駆け落ちて勢いよく湖に沈んで行き、小林は社長兼工場長の預金を全部、自分の口座に移す運びとなった次第だ。  確かに彼は小林多喜二の敵討ちの意味合いがあるにせよ、殺人するべくスピード違反を犯した、糅てて加えて人の全財産を奪うべく殺人した。だから完全なる犯罪者だが、小林は余り悪びれていない。それどころか、「白バイ隊員がスピード違反の取り締まりをしてどれだけ役に立っていると言うのだ。自分が捕まった横をスピード違反を犯す車が何台も通って行ったのだ。偶々自分がネズミ捕りにひっかかっただけの話で罰せられずにスピード違反を犯す者は枚挙に暇がない程いるのだ。それに社長兼工場長が金を持っているより俺が持っている方がどれだけ役に立つことか・・・」そう思っている。自分は生かされた人間だと自負している。  俺は努力に努力を重ね、価値ある小説をいつか生み出してみせると彼は天国にいる小林多喜二に向かって誓うのだった。
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