空虚な呪詛と愛の囁き

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オーベリウスが目覚めたのは医務室だった。 まだ瞼が重い。身体は心地よい浮遊感に包まれている。この感覚には身に覚えがある。ずっと昔、母親が、"魔法の言葉"をかけてくれた時によく似ている。 すぐそばに母親がいる気がして横を見れば、紫色の目が心配そうに自分を見ていた。 母を呼びそうになったところで、自分の手を握る少年の姿が像を結び、言葉は慌てて飲み込んだ。  しかし、オーベリウスは瞬時に覚醒した。 少年の手は淡く発光していた。少年の呟きと唇の動きを追うが、母親が唱えていたものは違う。 どうか違うと言ってくれ、とオーベリウスは 祈るような気持ちで少年に聞く。 「君は、治癒の魔術が使えるのか?」  「あ、よかった!そうですよ。あ、貴方に比べたらまだまだですが」 少年は安堵の息を吐いたかと思えばわたわたと動揺し始める。 オーベリウスも動揺が隠せない。こんな少年に治癒の魔術が使えて、あまつさえ助けられてしまうとは。 「随分お疲れだったのですね、時間がかかってしまいました」 確かに遅くまで研究室に篭っているし、眠ろうとすると自分を苛む囁きが毎日のように安眠を妨害する。限界を超えてふっと意識が途切れるまで、調べ物をしたり論文を書いたりするのが常であった。 少年はオーベリウスから手を解いた。小さな手のひらから陣の描かれた羊皮紙がはらりと舞い落ちる。 「これは、君が?」 オーベリウスは陣の描かれた紙を拾いまじまじと見る。一見円の中にいくつかの小さな円が重なっているだけだ。 しかし、オーベリウスは目を剥いた。驚くほど複雑な魔術式が組み込まれていることに気づいたのだ。 陣は複雑で細かいほど効果が高いとされている。陣を描く為の絵師を雇う魔術師もいるほどだ。 それに対してこの陣は、魔術式をできる限り簡素な形にし、いくつも描くことで何通りもの魔術式が複雑に折り重なっている。 まさしく天才の所業であった。 オーベリウスの手が震えてくる。自分の進路を脅かす大きな才能に、それを持っているのがまだ少年ということに、そして、その魔術式の素晴らしさに。 整然と、無駄なく並ぶ記号たちは惑星の配列のように美しい。 「君の名前は?」 「マ、マーカス・デュノワです」 マーカスはウサギのようにぴょこんと上半身を跳ね上げた。
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