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オーベリウスの心を折るきっかけとなったうちの一つが、母親の死であった。
その日は今にも雪が降りそうなほど空気が張り詰め冷え込んでいた。
早朝に電報が届き、母親が危篤であることを知ったオーベリウスは街の郊外の療養所へ馬車を飛ばした。冷たい風に斬りつけられながら、オーベリウスは生命力を呼び起こす術式や、体力を回復させる術式を頭の中で組み立てていた。
療養所に着き廊下を早足で突き進む。しかし部屋に通され、息をするのもやっとな母親を見ると構築した術式はすべて消し飛んだ。
駆け寄り手を握り母を呼ぶ。ようやく医師としての目が働き始めたが、もう何もできることはないと、手に入れた知識は告げていた。
残されたのは祈りだけであった。
そして、"魔法の言葉"。それを、恐る恐る唱えた。あの幼き日のように。
微かに、痩せ細った指が光った気がした。
ハッと顔を上げると、母親はオーベリウスを見て微笑んだ。彼と同じ紫の瞳で。そして、ゆっくりと目は閉じられていき、もう二度と開くことはなかった。
オーベリウスはその日から喪失感の中で日々を過ごした。事務的な手続きを淡々とこなし、母親の身辺整理が終わった後はいつも通り薬の調合や診察、研究の日々だ。
マーカスは葬儀の日以来、めっきり姿を見せなくなった。先生、先生、と屈託なく笑いながらまとわりついてきた弟子が煩わしかったが今はそれが少し恋しい。
音のない夜は恐ろしい。何者かが嗤っている。とうとう母親を救うことが出来なかったと。そんな者が宮廷魔術師などになれるはずがないと、一晩中耳元で囁き続けるのだ。
自分でかけた呪いが、毎夜悪夢となってオーベリウスを苛んだ。
まだか、これほど智に全てを捧げても、まだ足りぬと言うのか。何が魔術師だ、治癒の魔術式だ、馬鹿馬鹿しい。私が費やしてきた労力や時間は一体なんだったのか。
怨嗟の声が、自身を呪う声が、聞き取れないほど反響しあって正気を殺しにかかる。
「先生、」
その刹那、柔らかな声がすべてを祓った。嗤い声も囁きも一瞬で消え失せる。気がつけば朝日が窓から溢れ、ドアの前に立つマーカスを照らしていた。光の中で微笑むマーカスは天使のようであった。
「おはようございます」
寝台から起き上がったばかりのオーベリウスは、自身がまだ寝巻き姿なのを思い出した。ガウンを上から羽織り、"先生"としての顔とともに纏う。
「どうしたんだい、こんな朝早くから」
「うれしくて、一番に、先生にお知らせしたくて」
マーカスの目にうっすらと水の膜が張る。紫の目が輝いている。手には、王室の紋章が刻まれた封蝋付きの手紙を持っていた。
オーベリウスは冷水を頭から浴びたような心地であった。その場に凍りつくオーベリウスに、マーカスは喜びに満ちた声音を弾ませる。
「ぼく、宮廷魔術師になる試験を受けられることになったんです」
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