三話 血の花嫁

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三話 血の花嫁

「なんの……事かしら」 「私が貴女を見つけた時には、すでに彼らは狼に襲われ瀕死の状態でした。残念ながら貴女を救うことで精一杯だったのです」   どんなに取り繕っても無駄だと言う事を確信して私は震えた。 「それならどうして、あんな恐ろしい事をしているの。助からないと分かったのなら、せめて安らかに」 「それは、滴り落ちる新鮮な血を頂くため……。エルザ、私には人の生き血が必要なのですよ。あの生き血を飲み、時には生き血を吸わせた甘い薔薇を食べる」  フランシスの蒼い目が赤く光り、銀の髪が月の光に輝く。私は魅入られるように動けなくなって彼を見つめていた。 「そしてこの薄暗い森で、ひっそりと芸術と音楽を愛する。私の名は、フランシス・フォン・ヴァンガード。吸血鬼たちの真祖(しんそ)であり、このヴァンガード家の当主だ」 「吸血鬼……?」 「ふふ……貴女は、こんな話を聞いた事が無いかい? ラウドの暗い森には、霧に包まれた大きな城があり、そこには人の生き血を吸う恐ろしいヴァンガード卿が住んでいると。もうこの私の事を口伝(くでん)する人間は少なくなってしまったかも知れないけれど」  この土地に初めて来た私には、そんな恐ろしい伝説を知る機会は無かった。  月のように青白く刻を止めたような神秘的な美貌が、恐怖を麻痺させていく。 「私が怖い? 恐れる必要は無い。私は死にかけた人間しか狙わないのでね。それに、貴女は清らかな処女(おとめ)。処女の生き血は、私の大好物……すぐに殺してしまうのはとても惜しい」    フランシスは私に歩み寄ると、頬をゆっくりと撫でた。冷たい指先が心地よく、魅入られるようにただぼうっと彼の目を見つめた。 「それに貴女はずいぶんと魅力的だ。エルザ、行く宛も無いのだろう? 貴女が私に少しずつ血を分けてくれるなら、ここでなに不自由ない贅沢を約束し貴女を養ってあげよう。ふふ、どのみち雪が深くなってきたのでこの屋敷から出られないけれど……ね」  どのみち両親はもう助からない。  もしかして、私が見た時にはもうすでに絶命していたのかも知れないわ。  怖くてそれを確認出来なかった。  フランシスが言うとおり、知らない土地で行く宛なんて私にはない……。 「今宵(こよい)は最初の吸引をしよう。薔薇の棘がチクリと刺さるような痛みはあるが、それは最初だけ。その後に訪れるのは、エルザが感じたことも無い快楽となる。だから、恐れずに私に首筋を差し出しなさい」  少年の唇が寄せられて、痛みが走ると頭がぼんやりとした。  痛い、と思った瞬間甘美な甘い毒が体中に回るように心地よくなる。 「何千人と人の子の血を飲んできたが、貴女の血は格別だ。甘くて深い……夢中になって一気に飲まないようにしなければ。いずれ殺すつもりだったけど、これは運命かも知れないね、エルザ」  運命なのかしら……?  何もわからない。  ただ、私は血を奪い取られる快感に呻いていた。 ✞✞✞  深紅のドレスに私の大好きな薔薇の髪飾り。  牙が突き立てられると、背中から込み上げてくる心地よさに目を細める。  呼吸が乱れて何もかも分からないくらいに頭が真っ白になる。 私は、はしたなくフランシスの髪を掴んで首を押し付けてしまう。  大好きな吸引の時間。  フランシスは優しく私の願いを叶えてくれるし、時々焦らすように私を支配する。  両親の記憶もすでに消えかかっていてもう顔も思い出せない。  もういつからここに居るのか、分からなくなってしまったわ。  フランシスは初めに会った時よりも成長している。  ううん、違う、そうじゃないわ。  私はずっと幻覚を見ていただけ。  獲物を警戒させないために子どもの姿を見せていたのね。  だって……あの狼は彼のもので本当は最初からお父さんとお母さんを……。  それに、フランシスはあの肖像画の人にそっくりだもの。  銀の髪、それに血のように赤い瞳。  そして死人のように冷たい肌。  現実離れした美しい人。  私の愛する人。 「愛しいエルザ。そろそろ貴女も、私たちの仲間入りだね」 「フランシス……さま」  唇にフランシスの赤い血が滴り落ちて、唾液と絡み合わせるように深いキスをした。  甘い。  こんなにも血は甘いのかしら。  でも、もっと欲しい。  もっともっともっと、温かい生き血で喉を潤したい。  どくどくと脈打つ首筋に牙を立てたい。  私の口の中で獲物を捕える牙が生える音がした。  END
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