タナトスの時代

1/9
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
1.  俺は海面すれすれに飛んでいた。蒼い海に白波がたち、空には時々低い雲が垂れこめていた。  俺は十日前に上官から特攻作戦に参加するよう命令された。三六名の俺の同期の仲間と一緒だった。俺たちは実家に戻るため三日間の休暇が与えられた。家に帰ったが、両親に本当のことは言えなかった。夜、寝ていて様々な妄想に悩まされた。そして静かに泣きじゃくった。  この特攻作戦は、一人きりで片道だけの燃料と大きな爆弾を積んだ九八式直協機という飛行速度の遅い偵察機に乗り、敵艦に体当たりし自分も命を失う戦法だった。アメリカ艦隊は既にグアム、硫黄島を手に入れて沖縄にも上陸していた。沖縄では本土に敵が攻めて来る時間を少しでも先延ばしする玉砕覚悟の戦闘をしている最中である。  俺は宮崎県の陸軍特攻基地から三六名の特攻隊員の僚機と共に飛び立った。もう二時間余り飛んでいる。宮崎から沖縄まで約一千キロ、時速三百キロ程度なので三時間余りで接近する。敵のレーダーをかいくぐり、敵機の群れからの攻撃を回避するため海面約四~五メートルを飛ぶよう指示されている。敵機に発見されると幸い垂れこめている黒い雲の中に入って姿をくらましたりした。しかし、僚機の中には敵機に撃墜されたり、海中に突入したものもあった。果たして何機が沖縄まで到達できるのだろうか。  少しでも飛行機が不安定になれば、即座に海中に突っ込む低空飛行だ。 おお、あれは敵艦隊ではないか。沖合遠くに黒々とした塊が見え始めて来た。ぐんぐん近づいて行くぞ。俺が狙う駆逐艦はどの艦だ。向こうも俺に気付いたのか。艦砲射撃が始まった。俺の飛ぶ近くの海面に幾つのも水しぶきが上がる。近づくにつれ機銃掃射も加わる。火の玉が次々に俺の機すれすれに後ろに飛んでいく。  俺の命もあと10分程度か。こうなれば覚悟を決めるぞ。おお、俺の目標の駆逐艦が見えてきた。盛んに大砲がこちらに向かって火を吹いている。俺があの爆撃を避けてあの駆逐艦に突っ込むことができるのか。  おっと、危ない。すれすれに砲弾が飛んでくるな。  突然、駆逐艦の後部付近に僚機が突入し大きな爆発音とともに赤い火の玉と黒煙が舞い上がる。それなら俺は艦橋付近を狙おうか。相手の艦が慌てている隙を縫って俺は駆逐艦に近づいていけるぞ。今だ、少し高度を上げて相手からの砲撃に耐えながら接近するぞ。おお、敵艦の乗組員たちの顔も見えてきた。行くぞ。 ひゅー。ずどーん。ばりばり。俺の意識は遠のいていった。        俺は気が付いたら海の底に居た。俺の乗っていた飛行機はぐしゃぐしゃに潰れていた。俺は身体はもう既になかった。少し離れた場所に俺がやっつけた駆逐艦が沈んでいた。俺、玉木太郎は陸軍の命令で二十歳の青春を強制的に自殺させられていた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!