タナトスの時代

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3 一月に入って、寒い日が続いていた。 聡志は、喫茶・長閑のいつもの禁煙席で満男とその横に座っている加藤鈴音に会った。鈴音はうまく年を重ねてきたという趣のある女性で聡明そうで、若い時はさぞ美しかったであろうと思わせた。 初対面の挨拶が済むとやがて本題に入る。 「山田さん、浅田さんを通して勝手なお願いを聞き届けてくださり有難うございます。私はこの叔父が特攻で亡くなった時は、まだ一歳でした。母の話では伯父さんに抱っこしてもらったこともあるそうですが、私には記憶がないのです。伯父の写真を持ってきました。ご覧ください」 鈴音が差し出した写真はL判くらいの大きさで首に白いマフラーの飛行服らしい服を着た上半身のものである。まだ初々しい若者で目元が何となく鈴音に似ているようにも思われる。 「若いですねぇ。こんなに若い方がはたちそこそこで後の人生を奪われたとは・・・」 聡志は思わず口にしてしまった。 「そうなんです。私も初めてこの話を聞いた時に出た言葉なんです。私、この伯父を知りませんでしたが、知ったからには、分かる範囲でこの伯父のことを知って上げることが、私にできる供養だと思うんです」 「そうですね。その頃の若者は生きていれば今では九十代になりますね。私より少し上の世代になりますね。彼らが上官の命令一つで命を奪われたのですから、そのような歴史を知ってあげることが供養になりますね。僕ももう少し早く生まれていれば、同じような運命を辿ったかも知れません」 鈴音は相槌を打つと 「叔父はなぜそんな必ず死んでしまう作戦の命令を唯々諾々と聞いてしまったのか、私は疑問なのです」 それまで黙って聞いていた満男が言った。 「鈴音さん、その本題に入る前に、九州大学からの話をしてくれないかな」 「そうでした。実は、NHKから電話があって、あなたの伯父さんが沖縄の海底に沈んでいる特攻機の操縦士の可能性があるからインタビューさせて欲しいと言われたの」 聡志と満男は身を乗り出して興味を示した。 「NHKが私に聞きたかったのは、叔父さんの思い出話だったらしいけれど、私は当時一歳で全く記憶がないので、亡くなった母から聞いた話をしてあげたの。叔父さんは飛行機が好きで陸軍で飛行機の教官になったんですって。だけど、戦局が厳しくなって飛行機乗りの養成も必要がなくなり、特攻隊員にされてしまったのよ。叔父さんの趣味は、クラシック鑑賞なの。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をレコードでよく聞いていたそうなの。私の父母もその兄弟姉妹たちも他界し、ほかにインタビューする対象の人が見つからないので私にお鉢が回ってきたってわけよ」 NHKは、鈴音の伯父が乗っていたかも知れない海底の特攻機について調べた結果を鈴音に説明してくれた。それによると、九州大学の海底フロンティア研究センターのチームが最初に見つけたのは、沖縄県西海岸の古宇利島の1.5キロ沖合いの水深40メートル海底の米駆逐艦の残骸で、その一六メートル近くで飛行機の残骸を発見した。 この米艦についてアメリカ国立公文書館の資料を丹念に調べて、これがエモンズという名の駆逐艦であることを突き止めた。そして、このエモンズは一九四五年四月六日の午後五時三二分に日本の航空機の体当たりで沈められたことも分かった。 これらの情報をもとに日本の防衛省防衛研究所の資料を当たったところ、同日の特攻は陸軍の宮崎空港から三六機が沖縄に向かい、二九人が戦死したことが分かった。この部隊は陸軍の誠部隊であり海底で発見された特攻機は二枚羽プロペラの九八式直協機という偵察機であったことも判明した。エモンズには五機の特攻機が体当たりした記録があり、鈴音の伯父はその中の一人である可能性があるとされた。
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