タナトスの時代

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聡志と満男は鈴音の説明を聞き、戦後七十六年も経ってからこのような発見があったことに感銘を受けた。 「鈴音さん、君の伯父さんは今でも若くして命を絶たれたことを海の底で残念に思っているのだろうか。それとも当時の戦時中教育を受けていたので納得して亡くなったのだろうか」 満男の問いかけに鈴音は、困ったような顔をした。 「私もそのことには関心があります。真実はもちろん分かりませんが、この時代のことも勉強したいと思っています。だから満男さんや山田さんのご意見を伺ってみたかったんです」  聡志は、自分の思ったことを発言した。 「鈴音さんの伯父様の特攻で散った時の心情を推し量るのはかなり難しいと思います。我々は現代の考え方で想像しますが、当時の国民は天皇の赤子といわれ、勅語には「一旦緩急あれば義勇公に奉し以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」とあって天皇のためには自分の命を投げうって戦うべしとの教育が普通でしたよ。私は小学四年で敗戦を迎えましたが、戦時中はそんな教育でした」 満男は敗戦時は小学二年生だったが、ぼんやりとそんな記憶がある。 「私にもかすかにそんな記憶があるんだ。うちの母親は神武天皇から始まる歴代天皇の順序を「神武・崇神・仁徳・雄略・・」等と暗記したことを披露して自慢していたから。森首相は何かの挨拶の中で 「日本の国は、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々は頑張って来た」と演説して神の国発言が問題になったけれど、戦後七十年以上経っても、天皇崇拝には根強いものがあるね」 鈴音は、うなづきながら聞いていた。 「そうですわね。日本に根付いているそういう考え方は簡単には消えませんよね。ただ、叔父が本当のところどうだったか知りたいのですが、憶測するしかありませんよね」 聡志は考え込んでしまったが別の視点を持ち出してみた。 「叔父上がどういうお考えだったか分からないのは仕方ありませんが、天皇崇拝の純なお気持ちで決死の覚悟を固められていたほうが救いがあるとも言えますね。人間として生き抜くという本能を抹殺するのですから」 鈴音は即座に反応した。 「そうなんです。叔父が迷いの中に亡くなったとすれば浮かばれません。でも一方では、天皇に命を捧げるようなことで納得してしまえば、権力者の思うツボではないかという矛盾した気持ちもあります」 満男は助け舟を出すつもりで言った。 「そうだよね。鈴音さん、こう考えたらどうだろう。叔父さんの特攻を命じられた時のお気持ちを拝察することと、何故、世界でも例をみない自殺前提の戦術が罷り通ってしまったかという、一種の戦史研究的な側面をわけて考えてみたら?」 「そうね。日本はなぜあんな無謀な戦争を始めたのか、そして殆ど負けが決まってしまった中でも玉砕したりして無駄に命を失ったのか、私、お勉強してみたいわ」 鈴音の歴史探訪への意欲を聞いて聡志は言った。 「何かの資料で読んだんだけど、太平洋戦争の戦死者の九割は敗戦前の一年半だそうだ。太平洋戦争は、一九四一年一二月八日の日本海軍による真珠湾攻撃から降伏文書に調印した一九四五年九月二日までの、約三年八カ月だから、戦争指導者が早く負けを認めなかったことが大きな災いを生んだといえるね。特攻が始まったのも敗戦の前の年の秋頃で、その頃、日本はみずから決めていた絶対国防圏から後退して誰の目にも負けていたのだから」 「終戦は八月一五日の天皇による玉音放送の日ではないの?」 「実際の戦闘はこの日に終わったので、その後の戦死者はあまり増えなかったかも知れない。ただ、戦争の期間は降伏文書への調印まで含めるらしい」 鈴音と満男は、なるほどという顔をした。満男は何故あんな無謀な戦争に至ったかについて自分の考えを話し始めた。 「日本が明治以来、日清日露をはじめ次々に紛争や戦争に関わり台湾と朝鮮を併合し満州を事実上の植民地にし、中国本土に攻め入り、ついにはアメリカ相手に喧嘩を売った。最近、ユーチューブの動画で文科次官だった前川喜平さんの話を聞いたけど、彼はこの過程は長州の吉田松陰が牢獄で書いたという幽囚録で示した指針のとおりだと言っていた。内容の要点をメモしてコピーしてきたので見てもらおうか。私が読んでみるね。」 満男はメモのコピーを二人に渡して読み始めた。 「今、急いで軍備を整え海軍の計画を持ち、陸軍の計画も充足すれば、すなわち北海道を開拓して諸侯を封建し、間に乗じてカムチャッカ半島とオホーツクを取り、琉球を理によって説得して国内諸侯のうちとし、威力をもって朝鮮に質を納めさせ、貢を奉らせていた古代の盛時のようにし、北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め、しだい進取の勢いを示すべきだ」  「ほんとに、戦前の日本の歩んだ道はこれだったのか」 聡志と鈴音は感に堪えたように呟いた。満男は続けて言った。 「ご存知のように吉田松陰は萩に松下村塾という私塾を開き、血の気の多い若者に今後の日本の進むべき針路を説いていた。門人には、高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠らに加えて明治を背負うことになる伊藤博文、山縣有朋など多くの志士を輩出したんだ。そして薩摩藩の大久保利通、西郷隆盛らと幕府を挑発して戊辰戦争に持ち込み、密輸入していた最新兵器と農民も加えた西洋式軍隊で幕府軍に勝ち、天皇を担いで明治政府を発足させた。衰退した幕府はつぶれて当然だったという史観が通り相場だったけれど、近年には見直す史観も出ているようだ」 聞いていた鈴音と聡志は、ふーっとため息をついた。鈴音は感想をもらした。 「私の伯父さんは、その歴史の延長線上で命を奪われたことになるのね?」 「そのように直線的に言えるかどうかは分からない。司馬遼太郎は明治、大正は正常だったが、昭和に入ってから日本は狂いだしたという司馬史観を提示している。特に満州事変からが分岐点だという意見もある」 満男は最近読んだ特攻の本から説明を続けた。 「特攻の考え方は海軍は沖縄戦を一撃講和の最後の機会と捉え、陸軍は本土決戦準備の期間と位置付けていたそうだ。特攻で相手国が講和を応じるくらい勝てるという想定は今考えると甘いね」 鈴音、満男、聡志の三人は「長閑」に長居していることに気付いた。満男が言った。 「今日は、このあたりにしておきませんか。鈴音さんももっと知りたいでしょうから、この続きをやりませんか。やるとしたら、昭和に入ってからの軍部がどのように変わっていき、鈴音さんの伯父さんたちが特攻という世界に例をみない戦術をするに至ったか等について皆で調べてきて議論しては如何でしょうか」 鈴音と聡志は、即座に賛意を示した。日程は満男が調整して連絡することになった。 その頃、中国の武漢で新型コロナウイルスが発見されたと報道されていた。
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