タナトスの時代

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5 二月は、最も寒い月である。横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセスというクルーズ船は、船内で新型コロナ患者が増えつつあるので検査しているとのニュースが人々を不安にしていた。 聡志はいつものように長閑の戸をあけて禁煙席の鈴音と満男の席の向かい側に座った。暖かさにほつとしてコートを脱いで空いている隣の席に置いた。鈴音と満男もマスクを着用しており声がくぐもって聞こえた。 「私ね。このまえの夜、伯父さんが夢に現れたのよ。初めは少し怖かったけれど、いろいろお話ができたのよ。私が最も疑問に思っていることを聞いたのよ。伯父さんは初めから死ぬ戦術の特攻への命令に従ったのかということを聞いてみたのよ。伯父さんも悩んだそうだけど、あの時代は天皇のため身を捧げることが当たり前みたいだったのよ。私はそのことを聞いても納得したわけではないし、そんなものかという感想しか持てなかったわ」 「そうだろうな。やはり時代は人間を変えるんだね。そして基本的人権なんて考えも全くなかった時代だからな」 満男が感想を言うと、聡志は考えながら言った。 「それにしても、人間の本能に逆らって死ぬいう厳粛なものはどんな時代だって軽々しく扱うもんじゃないだろう? だから、前回別れ際に決めたように昭和に入ってからの軍隊がどのように変わったのか、鈴音さんの伯父さんたちが特攻という世界に例をみない戦術をするに至ったか等について話し合うんだったね」  満男と鈴音も、即座に「うん」と返事をした。 「それでは、僕が少しまとめて来た資料を見て呉れるかな?」 聡志は、鞄の中から資料を取り出して鈴音と満男に渡し、自分の資料をテーブルに広げた。 一、 アジア太平洋戦争への道のり 第一段階: 満州事変(一九三一・九) 第二段階: 日中戦争(一九三七・七) 第三段階: 日独伊三国同盟(一九四〇・九) 第四段階: 真珠湾攻撃(一九四一・一二) 二、 国内情勢の変遷 〇世界的大恐慌により農家の収入半減 〇軍部による国防思想講演会で中国側が条約を守らないと非難❘満蒙の必要性 (東京帝大生の九割近くが満蒙への武力行使に賛成している) 〇石原莞爾らの独断専行で謀略により満蒙武力制圧 〇満州国建国(一九三四・ 三) 三、 開戦理由・予測調査等 (一) 開戦理由 日本軍の南部仏印進駐に対してアメリカが対日石油全面禁輸したため真珠湾に奇襲攻撃をした。宣戦布告は遅延した。 (二) 開戦前調査 当時の国内総生産はアメリカは日本の十二倍であった。戦争開始年の八月に内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が行った日米戦争の予測では、長期戦となるため国力差により日本側の敗北という結果が出された。戦局の推移も原爆投下を除いて実際の推移と概ね合致していた。 それに対して時の東条首相は「これはあくまでも机上の演習であり、実際の戦争は君たちの考えているようなものではない。日露戦争も勝てると思わなかったが、勝っている」と開戦した場合のシミュレーションの結果を無視して開戦に踏み切った。      聡志は、資料を見ながら説明を始めた。 「まず、ご存知のように昭和に入ると、石原莞爾らの独断で謀略により満州事変を起こした。これを応援するため朝鮮に居た日本軍が上層部に無断で国境を越えて石原らの応援に向かった。軍隊は勝手に動かすことはできないので政府はこれを押しとどめようとした。しかし、メディアはこの事件を煽るような記事を書いた。国民もそれに乗せられて賛同し、政府は、やむなく認めざるを得なくなった。政府は軍の一部の跳ねっ返りの行動を追認せざるを得なかったのだ。こうして満州全土を日本軍が制圧し、満州国の建国に至った。満州国の皇帝は清朝のラストエンペラーの溥儀をつけて日本の植民地でないという体裁を整えたが、実質的には関東軍の統治だったようだ。こうして傀儡国家が出来上がったんだ」 満男は、知ってることなので頷き、鈴音は眉をひそめた。 「そんな無茶なことしたのね」 「そうなんだ。軍が政府の意向を無視して暴走を始めたんだ。それまでにもいろんな紛争も起こしていたがね」 聡志は続けた。 「その六年後には中国本土に攻め入った。これが太平洋戦争への入り口のようなものだった。中国は広大な国で、敵将である蒋介石はなかなか負けたとは言わないので、泥沼にはまった感じとなり、出口を探していた。一方、ヨーロッパではナチス・ドイツが勃興しポーランド、チェコ、デンマーク、ノルウェーを占領し、ついにフランスのパリを陥落させたんだ」 「そうでした。第一次大戦で負けたドイツはヒットラーのナチスが暴れ回ったんでしたね」 鈴音もそのことを思いだしていた。 「破竹の勢いのドイツを見た日本の軍部は、ヨーロッパはドイツ、アジアは日本が盟主になるぞと日独伊三国同盟を結んだ。これで西側からの脅威や干渉はなくなると読んだんだ。」 「日本はドイツを当てにして戦争を始めたと見ることもできそうですね」 「そういう部分もあるかも知れない。すこし話を戻すと、開戦前の軍部の中には北進論と南進論があったけど、南進論に決まってインドシナ付近に進駐した。これは現在のベトナムあたりだが近くのフィリピンにはアメリカのマッカーサーがおり日本が縄張り荒らしにきたとみて、アメリカ政府は、対日石油全面禁輸に踏み切った。資源のない日本では石油がないとお手上げになる。石油の備蓄のあるうちに戦いたいという急進的な意見が真珠湾攻撃のだまし討ち(アメリカはそのように見ている)になってしまったというわけさ」 鈴音は先程より深刻な顔になっていた。聡志はさに続けて話した。 「当てにしていたドイツは一年余りすると、スターリングラードの戦いでソ連に降伏し、その後負け続けていく」 「その半年前には、日本もミッドウェー海戦で大敗し、どんどん追い詰められていった。」  鈴音と満男は、「ふーっ」とため息をついた。 鈴音は単純な疑問を口にした。 「その当時の日本は、引き返すという考えはなかったのね。今でもアメリカは気に入らない国にはすぐに経済制裁とか言って資産凍結や禁輸措置をしているわね。日本は南進した場合のアメリカの動きを想像できなかったのかしらね」 「そう思うだろう?僕もそう思うんだ。日本は今でも外交音痴と言われることがあるけど、戦前の侵略の歴史は、相手の立場を慮ることなく自分勝手な理屈で通して来たように見える。外交はよく押したり引いたりと言われるが、引くことは負けたことと勘違いしてしまったようなんだ。加えて、それまでに獲得した植民地の利権は、何万もの戦死で贖ったものなので、英霊に申し訳ないという理屈もあった。アメリカの要求―中国、インドシナからの撤退や日独伊同盟の破棄などーをはねつけてだまし打ちのような真珠湾攻撃をしてしまった」 満男もひとつの事例をあげて説明した。 「どこの国も同じかも知れないが、群集心理に流されやすいのかも知れないと思うんだ。日清戦争で清朝から莫大な賠償をとった。次の日露戦争であまり賠償金が取れないことに怒った群衆が日比谷焼き討ち事件を起こした。ひとつには新聞が賠償をどれくらい取れるかという予想記事を書き、ふたを開けてみるとそれとの開きが大きすぎた。メディアによるミスリードだったんだね。実際の日露戦争はアメリカの仲介で勝たしてもらったようなもので、ロシアは国内の革命騒ぎで戦争継続が困難になっていたので戦争を早く切り上げたとされているんだ」 聡志は話を戻して資料の続きを説明した。 「ここに書いたように当時、GDPが一二倍の アメリカとの戦争は総力戦研究所が敗北すると結論づけていたのに、東条らの開戦派はシミレーションと実際は違うと言って開戦してしまった。これは科学やデータを軽視する日本人権力者の癖らしく、今でもそんなことが指摘されることがあるね。そしてこの戦争はどういう戦況になったら講和を図るか等の終結について何も決めていなかった。天皇から聞かれると緒戦で勝てば終わるような曖昧なことしか言わなかったそうだ」 「また、東条英機は戦陣訓に「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」という一節を入れたため、その後の玉砕や自決など軍人・民間人の死因の理由となったとも言われているんだ。さらには日本軍は兵站❘ロジステックスを軽視したため戦死の六、七割は餓死であったとも言われているんだ」 「それは今でも似たようなものですわね。コロナ患者が入院できずに自宅に放置されているのも」 三人は思い当たるので深刻な顔をして黙り込んでしまった。暫くして満男は二人に促した。 「今日も、これまでも知っていることも含めて整理する意味でいい勉強ができたね。そろそろどうだろう。終わりにしようか」 鈴音と聡志は、頷いた。鈴音が言った。 「このお話の続きも聞きたいわね」 「そうだな。それでは次の会合の日も決めておこうか」 満男の提案に聡志も頷いた。
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