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8
四月の沖縄の海は凪いでいた。水平線は紺碧の空と濃紺の海とが交わっていた。鈴音は海の香りのするかぐわしい空気を胸いっぱいに吸った。隣には遠くを眺めている達夫と聡志が立っていた。
乗っている漁船は古宇利島の運天港の漁師に頼んでチャーターしたものだ。その漁師は九大のチームが海底の米駆逐艦や特攻機らしい残骸を見つけたことを知っており、沈んでいる場所も見当がついていると言う。
潮に焼けて赤黒い顔の六十歳過ぎと思われる漁師が言った。
「俺も親から聞いているが、沖縄戦はそれは酷いものだったらしい。なにしろ、島民の四人に一人の割合で死んだんだからな。アメちゃんたちは、上陸前に艦砲射撃と空爆で日本軍を黙らしたんだ。それに抵抗するか弱い日本軍は特攻で沖縄を囲んでいる敵艦に突っ込んだんだ。今、ここの海底に沈んでいる米艦がその一つだが、敵を撃退するなんてことは全くできなかった」
鈴音は、沖縄戦の当時の状況がここでは語り続けられていることにいくさの激しさを改めて思った。森山良子の歌が頭の中で突然聞こえてきた。
ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
昔海のむこうから
いくさがやってきた
夏の陽ざしのなかで
沖縄の美ら海の沖合に黒々と何十隻の敵艦が押し寄せ艦砲射撃で黒い鉄の塊が絶え間なく飛んでくる。敵の飛行機は空爆でこれも鉄の塊を落としていく。わずかに日本軍の飛行機が象に立ち向かう蟻のように飛んでくるが、大半は撃ち落され、海に錐もみしながら落ちて大きな水しぶきをあげる。そのうちの一機は敵艦に体当たりして火柱をあげる。それが叔父の乗った飛行機だったのだ。
鈴音は一瞬の妄想の中で青ざめた顔で言った。
「おっしゃるとおりですわ。こんな無謀な戦争を起こさないために、私たちは歴史を学ぼうとしているの。そして、それを少しでも若い人たちを含めて知ってもらうことが大事だと思うの。私はさらにそれを実感するために伯父の亡くなった場所でのお祈りを捧げにきたのよ」
「もうすぐそこだ。船の沈んでいるあたりで停めるから。そろそろ海に投げる花束なんか用意したほうがいいな」
三人は、いよいよか、という顔をしてポケットから数珠を取り出した。鈴音は花束を持ち直した。船が止まると、船端から海の底を覗くようにして凝視した。もちろん、底に沈んでいる船影を確認することはできない。海底から泡が上がっていた。
七×年前の四月、叔父はどんな気持ちで敵艦に体当たりしたのだろう、鈴音はこれまで反芻していた問いが自然に湧いてきた。その時体当たりした叔父の戦友や沈没した米艦乗組員らの死者も同じ海に眠っていることを思った。
お互いに顔も名前も知らない相手を「敵」として殺し合う戦争。恨みもなく憎くくもない「敵」。憲法前文にいう「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意する」という文言が今ほど必要な時はあるまい。その決意を今ここでしなくてはならない。
鈴音は叔父がそれを教えてくれているような気がした。
満男や聡志もそれぞれの思いに浸っていた。
三人は、真摯な気持ちになって数珠を揉んで祈りを捧げた。鈴音はそっと海の上に置くように花束を捧げた。花束は波のうえで揺れながら、少しずつ船から離れていった。
参考資料
失敗の本質 戸部良一ほか 中央公論新社
特攻隊員の現実 一ノ瀬俊也 講談社
不死身の特攻兵 鴻上 尚史 講談社
それでも日本人は「戦争」を選んだ 加藤陽子 新潮社
日本の戦争:歴史認識と戦争責任 山田朗 新日本出版社
NHK BS1スペシャル「特攻知られざる真実」
(二〇二一・八・一五放送)
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