act.1 それでも日常は続く

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 醸造所の敷地に入り社宅の前に着くと、そこには隆成おじさんのお兄さんで現社長の隆雅(たかまさ)さんが立っていた。北と何か話をしている。 「お、来たか。お疲れ拓海!」  トラックから降りた俺に言ってくれる。そして続いて降りてきた悠里を見てちょっとびっくりだ、北にそっくりだもんな。 「こ、こんにちは、はじめまして。悠里です、これからお世話になります」  ちょっと不安げだが、それでもちゃんとご挨拶だ。そこは北譲りか。 「おう、悠里ちゃんだな。話は聞いてるよ、おじさんは隆雅だ。隆成の兄ちゃんだよ、よろしくな。困った事があったらなんでも俺か隆成に言うんだぞ」 「は、はい」  社長も隆成さんと同じでいつも俺たちバイトにもよく気を使ってくれる。この醸造所の所長でもある。  隆成おじさんは三兄弟だと言うが、一番下の隆樹さんは経理担当だから余り現場では見ない。最近は外国との取引も多くなっているから海外出張も多いらしい。 「タンスを二階に上げたいんだ、ついでに手伝ってくれ兄貴。大事な物だからみんなで丁寧に上げたい」 「おお任せろ!」  引き出しの中身を抜いてあるのでそんなに重いものでは無いが、それでも四人がかりで外階段から慎重にタンスを上げる。  タンスが終われば後は大したものは無い、あっという間に持ってきた物は設置が終了だ。  カーテンは北が前もってつけているし、引っ越しが決まってから交換してくれた真新しい畳も気持ちが良い。もう十分に家の雰囲気になった。  とりあえず隆成おじさんと隆雅社長は醸造所に戻って行った。  後は細かい物の配置をすればいい。俺も北の指示で布団を奥の部屋に運ぶ。こっちが寝室で良いのかな。真新しい畳の入った部屋は、い草の匂いが心地良い。 「一応こっちの和室が俺の部屋であっちの板張り洋室を悠里の部屋にしたんだ。絵の具とかこぼしても大丈夫なように洗濯のできるフロアマットも敷いた」  なるほど、うちと同じだな。ウチは更にその上にブルーシートまで敷いていたけど。夢中になると美音はよく絵の具をこぼしたりしたから。 「でもきっと寝る時はまだ一緒だ、悠里が自分から一人でも大丈夫と思うまではそれでいい」  うん、それは無理させないほうが良い。 「台所はもう使えるんだろ?」 「ああガスコンロは備え付けのがあるし、水道も大丈夫だ。後で出雲に聞いたスーパーで冷蔵庫に入れる食料を買ってくるよ」  風呂場も小さなユニットバスで掃除だけで十分使える状態だったし、洗濯機を置く所もある。ただ、洗濯機だけは余りに古かったので処分してきた、それだけは安いのを新調して明日届く。もう十分に生活できる。  何より北は大事なバイクを置く場所が階下にある。倉庫の空いているところに置いてもいいと言われたのだ。毎日鍵を掛けられる頑丈な車庫は、北にとって相当嬉しいものだろう。  とりあえずこちらもダイニング部分にこたつのセットを置くと、かなり部屋らしくなった。一応ここにはエアコンがあるんだな。 「あれは使わない、夏にクーラーは使うかも知れないけど暖房はいいや。とりあえずどこかで灯油を買う」  石油ストーブは持ってきていたな。 「悠里の部屋だけでも暖かくしてやらんとな」  やっぱりそこは北だ。 「おーい龍矢、これ使え」  いきなり隆成おじさんが何か抱えて部屋に来た。あんまり見たことが無いパネルヒーターみたいな物が二つだ。 「着火電池を入れ替えてきた、ガスヒーターだよ」  部屋の片隅にあるガスの元栓に繋ぐ。この社宅は元々暖房はこのタイプの物を使う設備になっているらしい。  あっという間に着火してパネルが赤くなる。するとすぐにその周りが熱気で暖かくなる。 「わぁ凄く暖かい!それにとても綺麗な炎」  均一の朱い炎を悠里が気に入ったようだ。とても嬉しそうだ。 「これが一つあれば隣の洋間まで温かいぞ。もう一台は和室に繋げ、元栓があるから」  なるほど洋間はこの茶の間と続いている、引き戸を開ければひと続きだ。元々そんなに広くない部屋だ、この火力なら十分に温まるだろう。 「隆成さん、いいんですかお借りしても」 「言ったべ、ガス代タダだって。ウチは天然ガスを企業で購入してるからその配管がここにも通ってるんだ、会社で使う分と一緒だから存分に使え。どうせウチにくる請求書は一緒だ、そのガスヒーターは元々ここの部屋に備え付けのを俺が掃除しておいたんだ」  要するにこれもおじさんの会社の福利厚生なんだろうか、ありがたい話だ。 「何から何まですいません、ありがとうございます」  相変わらず深々と頭を下げる北。 「あとな、ちょっと待ってろ」  再び階段を降りる隆成おじさんが、すぐにでかい箱を持って戻って来た。あれ、その箱TVだ。 「TV!?え、なんで!?」  嬉しそうな声は悠里だ、反対に焦り気味の北。 「ほら箱から出すぞ」 「いや、そんなに高価いもの頂いては…!」 「これな、時任さんから悠里に。高校の合格祝いだって」 「え…!?」  慌ててる北を押しのけて俺とおじさんで箱から出す。24型のちょっと小ぶりだが十分に楽しめるサイズだ。 「何をあげれば喜ぶかなと思ってたんだけど、TVが無いって聞いていたからこれにしたって。俺が金を預かって、さっき近所の電気屋で買ってきた」  とりあえず置く所が無いからコタツの上に置く。 「龍矢、なんか無いか?」 「え?あ、カラーボックスを横にすれば」  慌ててじいちゃんが前もって運んでくれてたカラーボックスを持ってきて壁際に横にする。付属のアンテナ端子を繋いで、隆成おじさんが手慣れた様子でチャンネル設定してくれた。  パッと夕方のニュースが映る。わ〜っと大喜びの悠里だ。 「お兄ちゃんお兄ちゃんTV〜!嬉しい!」  小さな子供のようにはしゃぐ悠里を見て俺もおじさんも嬉しくなった。北だけが相変わらずちょっと困った顔をしていたけど、それでもそんな悠里を見て嬉しくない訳がない。 「うん良かったな悠里、後で時任さんにお礼の電話をしような」  そう言ってようやく北も笑った。  本当にこの社宅は北にとって破格な物件だったようで、つくづく引っ越してきて良かったとのちに俺にしみじみと語った。  
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