【互慰の夜】

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【互慰の夜】

規則正しく常夜灯が並ぶ公園の隅。 一昔前と違って白く冷たくなったその光が妙に郷愁を誘う。 くすんだベンチに腰掛けて、缶コーヒーの口を開けた。 俺に温もりを与えてくれるものなんて今はこれくらいなんだから、冷める前にありがたく飲まないと。 ──けど、苦いな。 カフェオレにするべきだった。 「寒いな………」 昼間は暑いくらいだったのにな。 ちょっと裏切られた気にすらなる寒暖差とこの苦さがどうも暗喩を感じさせて堪らなくなる。 泣きたくはないんだけどなあ…………… 捨ててしまおうかとも思った苦味を一度に飲み干して立ち上がる。 「帰るか…………」 「え、帰っちゃうの?」 「?」 あまりにタイムリーな誰かの声に、そちらを向いてみた。 俺のことだろうか、違うのだろうか。 背の高い、三つ四つ年嵩に見える男の人が立っていた。 俺が言えたことじゃないが薄着だ、まあガタイが良いから本当に寒くはないのかもしれない。 自分の顔を指差して首を傾げると、男性は頷く。 「今声掛けようかなって思ってたとこだったんだ。帰っちゃう?」 「俺にですか?なにか……」 「なにかって。お兄さんどっち?俺ネコ」 「猫…………?」 「なに、ノンケの人?なにしてんのこんなとこで」 「??」 この人は一体何の話をしてるんだ。 それが分からないので何一つ返事もできず阿呆みたいにぽかんとしていると彼は苦笑した。 「ほんっとに何も知らないで来ちゃった人か。ここ発展場だから。ダメだよ、俺みたいなのに食われちゃうよ」 「?………………?」 「だからぁ」 どちらかと言うと純朴な、紅顔の美少年──という年でもなさそうだけど──ぶりを思い切り崩して彼は呆れたように首を振る。 「ここね、ホモが集まって相手探すとこ。」 「えっ!!!」 「危ないよ」 「か、帰ります」 「ちょっと。なんだよ親切に教えたのに」 「えぇっ、あぁ、すみません……えーっとじゃあ、缶コーヒーでもごちそうします」 「そうじゃないよ、ちょっとぐらい口説かせてよ」 「………………へ?」 「言ったでしょ。俺みたいなのに食われちゃうよって。俺、お兄さんみたいな情けない男大好き」 「なさけない………………」 ──彼は何気なく言っただけなのだろうが。 その言葉は今の俺を、三回殺せる。 「え、ちょっとなに……俺悪いこと言っちゃった?ごめん」 「いえ………事実なんで………」 顔を上げられないままそう言うと溜め息が聞こえた。 「まあ座りなよ。なんかあったの」 「………………」 「何もしないっての」 「…………………」 ──この、胸に凝った重苦しい気分を、一番最初に見ず知らずの人に聞いてもらえるのは有り難いかもしれない………と思った。 友人や親族は、その反応が良くも悪くも大きい。 同情でも嘲りでもなんにせよ辛い。 その心配がない人に話してからなら、少し俯瞰して受け止められる、気がする。 やっぱり情けないな。 「………婚約者に振られまして」 「うーわっおーもっ」 「………………」 失礼千万なその反応に思わず笑ってしまう。 彼はしまったとばかりに口に手を当てているが、そのがさつさこそ今の俺には救いになった。 どうでもいい人間の、どうでもいい出来事だと思えて。 「えー、何があったのって聞いていーの?」 「ええ、浮気してました」 「えーっ………」 「あ、思ったこと言って下さっていいすよ、なんかそのほうが楽で」 「あーそう?まあ今んとこ気の毒〜としか思ってない」 「あはは……で、その相手って俺の同僚なんですけどね………」 「男も女も最悪だな」 「あはは!」 「ふふっ、笑うんだ」 「いや……ほんとそうだなって思って」 湿った目尻が更に涙を呼ぶ。 「……………っすみばせん……」 「いいよぉそりゃ泣きたくもなるよーー」 「いや、俺ほんと情けねえなって思って、………」 「情けないとかじゃねーよ……そんなんされたら誰だってへこむって」 「………………」 本当に、この人が知らない人でよかった。 こんな情けないどころじゃない醜態、知り合いには見せられない。 「……………ねえちょっと抱きしめていい?」 「ぅえぇ……?」 「あんたはそうやって泣いてりゃいいから」 泣きすぎて頭も視界もぐわんぐわん回ってる俺は、力強く肩を抱かれるのに抵抗らしい抵抗もできなかった。 かなり強引に抱き寄せた割に背中を叩く手が優しくて、ここから払いのけるのは申し訳ない気持ちになる。 「……こんないい子泣かせるなんてろくな女じゃないよ。もっといい子見つけなよ」 「────」 ──そう思えないから、辛いんだ……。 例えばもっと、あんたみたいな男つまんないとか、言われたほうが楽だった。 あんな最後までごめんなさいごめんなさいって謝られたらこっちが大人になるしかないし── 「──なに、未練あんの?」 「…………………」 「馬っ鹿だねえ……」 呆れたような溜め息が髪に掛かる。 ほんと、馬鹿だと自分でも思ってるよ。 「俺はその彼女のことよく知らないけどさ。クソだと思うよぉ。婚約までして浮ついて」 「……………そうですけど」 複雑な気持ちになって胸を押すと、肩は抱いたままだが素直に腕を解いてくれた。 「ま、婚約なんか一生関係ねえてめーが語んなってかんじ?」 「い、いや……」 そこまでは思っていないが、顔に出ていたらしい。 少し怖くなって俯くとまた肩を抱き寄せられた。 「そんな女の為に泣くなって。慰めたくなるだろ」 「………………」 ──既に、慰められてますけど。 また首を傾げると、頓珍漢な子供でも見るようにまた笑われた。 「こっちを!」 「おわぁ!!!?」 「一発出して忘れなって」 「なにその理論!!!」 「だってあんた可愛いんだもん………」 「えっ、えっえっ」 「口なんか男も女も変わんないよ?」 「そーーゆーー問題じゃあ────」 「顔見えてキモいんなら暗いとこ行こ。勃たなかったら諦めるし」 「諦め、え?なんか頼まれてる側になってる?」 「あれほんとだ」 からからと笑う彼の顔にふと影が差す。 曇ってきたようだった。 「俺もちょっと寂しかったんだよね。良かったら相手してよ、話聞いてあげたんだし、あんた気持ちよくなるだけでしょ?」 「……寂しいんですか?」 「そこ食いつく?」 「いやちょっと意外で」 「ははっ、ホモも寂しい夜くらいありますよ、っつーか毎日寂しいよ、ほんとは襲ってケツ埋めてもらいたいんだよ?フェラで我慢してやるっつってんだからいーじゃねーの」 「ちょ、ちょちょちょ」 俺には少し衝撃的過ぎる発言に怯えていると、でかい手で頭を撫でられた。 そして困ったように笑いかけられる。 「あんたそうやって真面目過ぎるから追い詰められんだよ」 「──────」 「俺のことも傷つけまいとしてるんだろ。婚約者のことも同僚のことも自分のことも」 ──急に目の前が開いたようだった。 本当に雲が晴れて月の光が降りてきている。 その人の口調は穏やかで子供にでも言い含めてるみたいなのに、叱られている気がした。 「……………」 「こんな日くらいヤケになろうよ」 たった一瞬の間にその声がもう有無を言わせない響きになっていたのが、今の俺には有難かった。
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