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その、人一人分しか通れない程の狭い路地裏に、店の勝手口から出てきた人影が見える。寒そうに首を竦め、スタジャンのポケットに両手を突っ込んだ男は、顔を上げた。
俺と男の視線が合う。
次の瞬間。男が踵を返し、脱兎のごとく駆け出した。
「シンさん!」
俺が走り出したのは、男が反応してからコンマ一秒後。ガードレールを飛び越えながら声を張り上げると、声をかけられたシンさんもすぐさま状況を理解した。
「俺は回り込む。絶対に逃すな!」
「はい!」
道路を横断し、路地裏へと飛び込む。
先を走る被疑者との距離、七メートル程。男は俺の追走を遮るよう、その場に立てかけてあった物やゴミ箱を散乱させながら走る。
今や俺の視界には、その男の背しか映っていなかった。障害物を飛び越え、入り組んだ路地を右へ左へと振られながらも駆け続ける。
俺の身長は一八三センチで、それなりに筋肉はつけているが、服を着てしまえば隠れる程度。安物の黒のスーツに地味なストライプのネクタイをしめ、グレーのステンカラーコートを着ている。
没個性なショートの黒髪に、顔立ちも目立つところがなく至って普通で、追いかけている男とは面識もない。繁華街に遊びに来ている、仕事終わりのサラリーマンとして全く違和感はなかったはずだ。
それでも瞬時に俺のことを刑事だと見抜いた嗅覚は、さすが三年間も逃亡し続けている指名手配犯だと、褒めるべきところだろうか。
視界の中央に男の背を捉え続けたまま路地裏を抜けると、行く手を遮るように、シンさんが車をつけた所だった。
男は間一髪で路地裏から抜け出し、車を回り込んで避けるとなおも走る。道路を突切り、反対側の公園へと到達した時。
俺は車のボンネットを跳び越え、公園の入り口に設置された、アーチ状の車止めを足場に跳躍した。
そのまま全体重をかけて男の背に伸しかかる。地面へ横倒しにさせた体を抑え込むと、押しつぶされた男は、「ぐえー」という情けない声を上げていた。
「ニル・フハダだな、強盗殺人で令状が出ている。逮捕する」
上がる息のまま、決まり文句を告げる。なおもジタバタとする男の両腕を無理やり後ろへと回させ、その両手首に手錠を嵌めた。カチカチッと錠のしまる音と、手に伝わってくる感触が達成感へと繋がる。連日にわたる張り込みのかいがあったというものだ。
「クソッ、なんでこんな所にサツがいるんだよ」
男もまた、手錠をされてようやく諦めたらしい。観念したともとれる言葉を吐き捨てた。「お前が熱を上げている、キャバ嬢からの情報提供だよ」とは言わないでおく。
「ほら大人しく立て」
男を引き上げていると、シンさんが到着した。労うように、ぽんぽんと背を叩かれる。
「お手柄だ、ユージ」
「うっす」
できる上司に褒められるのもまた嬉しい。こみ上げる喜びを表情に出さないように気を引き締めたまま、道路に停めてある車の後部座席に男をぶち込んだ。
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