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第一章 ノラ刑事
翌日の夕方、俺はミミサキ市内唯一の駅に降り立っていた。
大型のスーツケースを引きながら電車を降りて顔を上げ、目の前に広がった海の青さにはっとする。もう陽が傾いてきているが、その黄色くなりかけた光の中で、いっそう海と空の境界線が際立っているようだ。
電車が遠ざかる音と、豊かな海の漣の音が混ざる。
リゾート地になっているという話だったが、今回は確かに、綺麗な場所で捜査ができそうだ。そんなのんきな感想を抱きながら振り向いて、駅の簡素さに驚く。
「これは……どこから降りれば良いんだ?」
駅というと、大きな駅舎に囲われるようにホームがあって、駅舎内に改札があるものだ、という固定観念があった。ところが、ここにはそもそも、駅舎らしい駅舎がない。
線路に横付けする形で、コンクリートの土台であるホームが置かれているだけの所に降ろされた。柵等もなく、降りようと思えばどこからでも降りられる気はするが、真っ当な乗客としては、改札を通らねばならない。
反対側のホームに、白い屋根の小屋が立っていることに気がついた。今度はそちらへ向かうために階段を探すが、高架通路などは存在していない。
本当にここを通って良いのかと訝みながらも、一応踏切のようになっている箇所を横断して移動していく。
近づいてみれば、やはり小屋は駅舎のようだった。誰も人はいないが、通り抜けられる通路に、一つだけICカードをタッチできる機械と、切符を入れる木の箱が設置してある。何の装置もない、ただの木箱だ。
改札さえないのかと思いながら、機械にICカードをタッチする。改札ドアがあって通行を妨げている訳でもないので、完全に利用者の良心に委ねているシステムだ。ここまで田舎の駅に来たのは初めてで、色々と戸惑う。
駅舎を出ると、閑散とした小さなロータリーがあった。中心部に、石でできた謎のモニュメントが設置されている。
ミミサキ署の者が迎えに来てくれるという話だったのだが、周囲を見回してみても車の影はなかった。
一〇分ほど待ってみたが、迎えどころか、車が駅に走ってくる気配さえない。タクシーを捕まえて自力で向かおうにも、タクシーが通らないのだから捕まえようもない。
仕方なく、二つ折りの携帯電話を取り出した。マップ機能でミミサキ警察署の位置を検索すると、わりと現在地から近い所にあるようだった。歩いても一〇分程だろうか。
俺はそのマップ案内に従って、スーツケースを引きながら歩いて行くことにした。
道中、急で長い上り坂が見えてきた時に、歩くという選択をしたことを後悔した。簡素な携帯電話のマップ機能では、距離はわかるがその高低差までは見えない。
事件解決まで、どのくらいこちらに滞在することになるのか不明なので、様々な物を詰めて来てしまった。スーツケースにはキャスターが付いているとはいえ、坂道に差しかかると、腕にかかる重さはなかなかのものだ。ただ、幸いにも歩道は舗装されている。
ゴロゴロと大きな音を立てながらスーツケースを引いていると、ミミサキ市に来て、初めて見かける人影が正面から歩いてきた。上品なワンピースを身に纏った老婦人だ。
「あらあら、大変そうね」
冬に汗をかきながら歩く俺の姿を見て、彼女はうふふと笑う。
「ははは……どうも、こんばんは」
愛想笑いを浮かべながら、道をあけてくれた彼女の横を通る。
そうこうしているうちに、ようやく坂の上へと到着した。ちょうど坂の真上に、水色の外壁を持つ三階建てのビルが建っている。ここがミミサキ警察署だ。
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