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2章・3 予想外のことに愕然とする
危うくペッレルヴォを溺死させてしまうところだった。飼育係失格だ。
事故を陛下に報告し、すぐに処分が下った。減給一ヶ月。ちなみにペッレルヴォもアスラクも同じ。全員、注意義務を怠ったからだそうだ。
「そう、気を落とすな」
いつもの温室。ヒルダとヨウシアは城下へ行く準備でおらず、ナマケモノなペッレルヴォとアスラク、私、そしてウオレヴィの四人でテーブルについている。
となりに座る年下の王太子が気遣ってくれているのか下心なのか、私の手を握った。
「誰にでも失敗はあるし、カナデだけの責任ではない。一番悪いのはのんきな兄上だ」
ウオレヴィの言葉に同意するかのように、膝の上のペッレルヴォが頭をお腹につけてすりすりする。
「そうですよ」とアスラク。「ほら、今日の昼食はカナデ様のお好きなフライドポテトとハンバーガーです。温かいうちに食べて下さい」
「ん。ありがと」
テーブルの上にはそれらが載っている。きっとアスラクが、落ち込んでいる私を励まそうと厨房に頼んでくれたのだろう。
「危ないから、ペッレルヴォはこっちね」と隣の椅子に彼を座らせて、彼の好きな果物をひとつ渡す。
むしゃりとゆっくりかじるナマケモノ元殿下。
「可愛いねえ。癒されるよ」
もしかしたらペッレルヴォも私を元気づけようと、ことさらに可愛い仕草をしているのかもしれない。
もきゅもきゅっとのんびり果物を味わっているナマケモノ元殿下は目がとろんとしている。すぐに頭が揺れ始め、腕が落ちる。
「寝ちゃった」
私はそっと手から果物を取り上げテーブルに置くと、頭をひと撫でだけした。
久しぶりのナマケモノの姿で泳ぎにも挑戦。溺れたのは苦しく体力の消耗も大きかっただろう。
ペッレルヴォは疲れて相当眠かったのに、私のためにがんばって可愛い姿を見せてくれたのだ。優しい人だから。
「……そういえば弟たちが小さいとき、よくこんな風に食べながら寝落ちしていたな」
「兄上は幼児ではない」とウオレヴィ。「きっとカナデが落ち込んでいると思って、限界まで起きていたのだ。優しい人だからな」
彼を見る。
「近頃私には意地悪だが、兄上は本当に心根が善良なのだ」
「うん。そうだね。ありがと。ウオレヴィも優しいよ」
自分で言うのはなんだけど、ペッレルヴォとウオレヴィは私を挟んでライバル関係なのに、ウオレヴィは兄の評価を上げようとしている。彼もまた、人が良いのだ。
「朝は面倒な兄弟と言ってごめん。仲良し兄弟とみんなのおかげで異世界ライフを楽しく過ごせている」
「それは良かった。アスラクがあんな風になっているがな」
ペッレルヴォの向こうに座っているアスラクは頭を深く下げている。私が別世界から来た話になると、こうなるのだ。
家族や友達、元の世界に未練は大有りだけど、私はこちらの生活も気に入っている。何度かそう伝えているのに、アスラクは罪悪感が消えないらしい。
「いつまでも謝られたら、私もツラい。もうやめよ。妃殿下も『その話は終わっている』とおっしゃっていたでしょ。私もそう思っているよ」
するとアスラクはますます深く頭を下げた。
ズビズビと鼻をすする音。
「もう。アスラクはすぐに泣いちゃうんだから」
はいとハンカチを渡す。
「本当だよ。こうやって向こうの食べ物も作ってくれるし」とハンバーガーを示す。これ、私のリクエストによりできたメニューだ。「私は毎日楽しいよ」
にこりと微笑んだら視線を感じた。見やるとナマケモノなペッレルヴォが起きて、つぶらな瞳で私を見ていた。
◇◇
昼食が終わると温室に残ったのは、お昼寝しているナマケモノなペッレルヴォとウオレヴィ、私の三人になった。
アスラクは食器を下げに出て行った。彼の現在の雇い主は筆頭魔法使いのヤンネおじいちゃんだからその仕事をする必要はないのだけど、ついでに事件調査の進捗を聞いてくると去ってしまったのだった。
ウオレヴィとほぼふたりきりという状況は珍しい。ここにいる時はいつも、みんなで騒がしくしているから。だけどこの世界に来たばかりのときは、ひとりきりでナマケモノ殿下の観察をしていたときもあった。
初めて殿下が私を見てくれたときは嬉しかったっけ。
ふと思い立って、名誉会長席に座るナマケちゃんをとり、ペッレルヴォの椅子の端に座らせてみた。
「可愛い!」
「それに『可愛い』と興奮しているカナデが可愛いぞ」とウオレヴィ。
「私も魔法が使えたら良かったのに」
前回飼育係を解任されてしばらくたったあと、ペッレルヴォから魔法を習った。写真を自分で撮れるようになりたかったのだ。だけど私にできたのは、物を自分の方へ動かすことだけだった。しかも半径50センチ以内……。
諦めて、『可愛い』は目に焼き付けることにした。
「だけど一体誰がこんなことをしたのだと思う?」
声を抑えてウオレヴィに尋ねる。
ペッレルヴォがナマケモノになるのは二回目なこともあって、ついついのんきな雰囲気になってしまうけど、妃殿下の言うとおりに由々しき事態なのだ。
誰もがペッレルヴォは恨みを買うような青年ではないと言うし、私もそう思う。それならこの状況はなんなのだろう。
「『カナデへのひねくれた愛情』」
「え?」
ウオレヴィの言葉に驚いて彼を見る。
「今のところ、この状況に一番得をしているのはカナデだ」
「……なるほど。私へのプレゼントということ」
そう、とウオレヴィ。「あとはヤンネの弟子になりたかったヤツの嫉妬」
「そんな人がいるの?」
「いるだろう。そうは見えないだろうが彼は凄腕だ。ヤンネがいなければカナデの召喚はできなかったと言われている」
そういえばペッレルヴォとアスラクも、まさか召喚が成功するとは思わなかったと言っていたっけ。
ううむ。
と、カサカサと葉が揺れる音がした。
「何をしているんだ、お前たち」
ウオレヴィがそう尋ねる。見れば彼の小さい弟妹三人が木の陰からこっそりこちらを伺っていた。
「ペッレルヴォお兄様、またナマケモノになったって」
「お母様が可愛いって」
「もふもふ。抱っこしたい」
三人が口々に言う。
「兄上は今、寝ている。静かにお顔を見たら帰れ」とウオレヴィ。
「なでなでは」
「お疲れなのだ。起こしたら可哀想だろ」
「はあい」
ちいっちゃいチームは私にぺこりとしてから抜き足差し足で近寄ってきて、ナマケちゃんと寄り添って眠るペッレルヴォをそばで見て目をキラキラさせた。
「可愛いね」
「爪がカッコいい!」
「もふもふ」
三人はひそひそと楽しそうに話すと満足したようで、おとなしく帰って行った。
前回の事件のあとからペッレルヴォと義弟たちは仲良くしているようだ。
全てが好転したわけではなくて、王子でなくなったペッレルヴォにあからさまに態度の悪いヤツらもいる。だけどアスラク曰く、ペッレルヴォは今が一番幸せだそうだ。
「人気者だね」
小さい声でうたた寝をしているナマケモノに声をかける。
「うらやましい」と、またウオレヴィ。
「いやいや、ウオレヴィのほうがずっと人気はあるでしょ?」
「ならばカナデは膝に私を座らせてくれるか」
「お断りします」
「お腹に頭すりすりは?」
「セクハラだよ!」
「だが」とウオレヴィは兄を指差した。「彼は外側がナマケモノだから許される。うらやましいではないか。はっ、まさか。私を嫉妬で苦しめたい誰かの犯行だろうか」
「いや、それでペッレルヴォをナマケモノにするって、かなりマニアックだよ」
ガクンとペッレルヴォの頭が大きく揺れる。目が開き、ゆっくりと辺りを見回す。
「ごめん。うるさかった?」
寝ぼけまなこなナマケモノはゆっくりと両腕を掲げた。
「抱っこ?甘えん坊だなあ」
よいしょとペッレルヴォを抱き上げて膝の上に横向きに座らせる。
「むむう。兄上と代わりたい」
「ウオレヴィはそればかりだね」
はははと笑っていると、今度は足音が聞こえてきた。
現れたのはヤンネの孫、ヘルミだった。
「おじ……。筆頭から、解呪は覚えたかと伝言を預かってきたのですが」
「答えは『否』だと伝えろ」とウオレヴィ。「それで、ヤンネは手掛かりは掴んだか」
「いいえ、全く」
それからヘルミはキツい目を私に向けた。
「殿下。犯人はこの人じゃないですか」
バーンと効果音が入りそうな勢いで指をさされる。
「ナマケモノ好きが高じて、ペッレルヴォ様に呪いをかけたに違いないわ!」
「ヘルミ。憶測でモノを言うような人物は王宮にふさわしくないが?」
王太子の強い語気に彼女はびくりと方を揺らし、脱兎のごとく逃げ去った。
「私はそんなことはしていないわ」
「分かっている」
ウオレヴィが言えばペッレルヴォもこくんと頭を振った。
だけどそういう見方もあるのかと、じわじわと恐怖がやって来たのだった。
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