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2章・4 夜を過ごして自覚する
ナマケモノ大好きな私がペッレルヴォを変身させた──。
そんな風に疑われるとは、これっぽっちも考えていなかった。
「気にするな」とウオレヴィ。「カナデは魔法がほとんど使えない。不可能だろ?」
だけどそのことを知っているのは、親しい人たちだけだ。
かつて私と同じ世界から来た勇者は剣と魔法で魔物たちと戦ったという。彼は最初から強力な術を使えたらしい。
ならば私だって魔法が使えると、みんなは考えるだろう。
「父たちは分かっている。つまらぬ噂をする奴らがいても無視すればいい」
ウオレヴィはそう言い、ナマケモノなペッレルヴォは片腕を上げた。きっと『その通り』と言ってくれているのだ。
「そうだね。ありがと」
「ヘルミは兄上に憧れているようだからな。嫉妬もあるのだろう」
「そうなの?」
「兄上の魔法センスは素晴らしいからな」
得意げな表情のウオレヴィ。ペッレルヴォもまた腕を上げて、そうだと主張している。
「そっか」
なぜだろう。ほんの少し、もやもやする。私には魔法センスがないからかな。
膝の上に座るペッレルヴォを抱き直した。
◇◇
進展のないまま日が落ちた。
今夜のペッレルヴォは温室で過ごす。ここなら一晩中、ふたつある月を見ることができるから。横になって寝られそうなほどに大きい長椅子が運び込まれている。それに彼と私は並んで座り、濃紺の空を静かに見上げていた。
少し前までは騒がしかった。
国王夫妻、ウオレヴィ、騎士団長、ヤンネおじいちゃんがペッレルヴォが月明かりで人の姿に戻るか確認するため、日没前から待機。無事に彼が人になると、矢継ぎ早に質問責め。
だけどどの問いにもペッレルヴォは首を横に振った。呪われる心当たりは全くないそうだ。
彼らは一様に肩を落として帰って行った。
ヒルダとアスラクもテーブルにペッレルヴォの軽食を並べると去った。一日をナマケモノとして過ごした彼に空腹感はないようで、念のための用意らしい。
ちなみに私の夕食はもう済んでいて、ヒルダが城下の屋台で買ってきた揚げ鶏とトルティーヤのような惣菜だった。すごく美味しかった。ウオレヴィの指示だそうだ。私が城の豪華料理より、元の世界の庶民的なものを好んで食べているからだ。
全く。ウオレヴィはまだ十五歳なのにこの気遣い。立派すぎる。
彼は今夜、温室に兄と私がふたりきりであることにちょっとばかり不満そうだったけれど、兄弟で何やらこしょこしょ話をしたあとに納得したようだった。
「さっきはウオレヴィと何の話をしていたの?」
私の問いかけにペッレルヴォはにこりとした。
「彼が『未婚の男女が一晩ふたりきりで過ごすことは良くない』と言うから、『カナデは責任感の強い子だ。飼育係に任命された以上、僕から離れないよ』と答えたんだ」
うん。それはその通り。
アスラクは犯人捜しの一環で、ペッレルヴォの部屋で近衛兵たちと夜を過ごすという。となったら私は彼のそばにいないと。飼育係だし。
「カナデ。眠かったら寝ていいのだからね。外には近衛たちがいる」
「うん。ありがと」
だけどせっかくペッレルヴォが人に戻っているのだ。寝たくはない。
「と言っても君は寝ないのだろうね。前も必死になって眠気と戦っていたもんね」
そんなこともあったなあと懐かしく思い出す。
あれから三ヶ月経って、この世界にもすっかり慣れた。慣れは慢心に繋がる──と元の世界で部活の顧問が話していたな。
「ペッレルヴォ。朝は溺れさせちゃってごめん。泳いだ経験がないとは思わなかった」
「カナデの世界では皆泳ぐのかい?」
「うん。私の国だと学校で習うし、娯楽だよ。だからペッレルヴォも泳げると思い込んでいたの。ごめん」
「僕はナマケモノと同じ動きをすれば泳げるのだと思っていた。身体を動かすことは好きではないけど得意ではあるからね。まさか出来ないとは思わなかった」
ペッレルヴォは微笑む。
「お互いに些か考えが足りなかったね。ウオレヴィも言っていたけど、カナデだけの責任ではないよ」
「だけど私は飼育係として任されたんだよ」
それなのに自分のミスで彼を危険な目に遭わせてしまった。
「カナデは違う世界から来た。僕たちと常識が違って当然だ」
「うん。この世界に慣れすぎて、そのことを忘れていた」
「きちんと反省できるカナデは立派だ」
ペッレルヴォの手が伸びてきて、頭を撫でなでされた。
「この話はこれでおしまい。もう罰は下って済んだのだ」
今朝、妃殿下が言っていたセリフだ。
「カナデが僕を許したときにそう言った」とペッレルヴォ。
「そんなことを言ったっけ」
「言ったよ」
「分かった。ありがと」
「それに、カナデは一番に助けに来てくれた。アスラクより早いなんて凄いことだよ。僕もありがとう。じゃあ、アマゾン観察でもしようか」
それはペッレルヴォと私の日課だ。
「でも今日はお休みにしようよ。久しぶりのナマケモノの体で疲れているでしょう?」
「これぐらい大丈夫。僕の癒し時間だしね」
彼はそう言って傍らの水晶を手に取って、呪文を唱え始めた。
肩を寄せあい、ふたりでその中を覗きこむ。もやもやと渦巻く雲。やがて晴れてどこまでも連なる緑の海が見えてくる。
いつもならワクワクするのに、今日はそうでもない。なんでだろうと考えて──。
「カナデ」
ふと気づくと、ペッレルヴォが私の顔を覗きこんでいた。
「大丈夫か。疲れているのは君のほうみたいだね。今夜はやめよう」
彼はそう言って水晶を脇に置いた。
「僕に寄りかかって目をつぶって。のんびりナマケモノの話でもしよう」
優しげな表情と口調のペッレルヴォ。
じっと見つめ、突然、分かった。私は不安なのだ。今日一日、人の姿の彼に会っていない。明日になれば、また会えない。胸の奥がざわざわとする。
「ペッレルヴォは不安でないの?」
「不安、ではないかな。解呪方法は分かっているし、ナマケモノの僕にはカナデという素晴らしい飼育係がいてくれるからね。しかも君は目一杯甘やかしてくれる。
不安があるとしたら、君を疑う阿呆どもの存在だ。だけどウオレヴィたちがいるから問題はないと思う」
それから彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「心配をしてくれてありがとう。嬉しいよ」
……今朝ミユビナマケモノのペッレルヴォに会ったとき。久しぶりのその姿にテンションが上がった。呪われてのことだというので心配する気持ちもあったけど、それよりも可愛さが勝った。仕草もぬくもりも懐かしかった。薄情にも、また会えたことが嬉しかった。
だけど時間が経って落ち着いてみれば、ナマケモノのペッレルヴォより人の姿のペッレルヴォを見ていたいと思う。
自分が犯人だと疑われることを怖く思ったけど、ペッレルヴォとの今までの日常がなくなるほうが恐ろしい。
「ナマケモノは可愛くて大好きだけど。ペッレルヴォはペッレルヴォのほうがいいな」
わずかに目を見開くペッレルヴォ。
「嬉しいな。これは期待していいのかな」
期待?
何の?
と、考えたものの、すぐに気づいた。私のセリフが誤解を与えるものだったのだ。
「ごめん。友達としての話」
「そう。残念だ」
ペッレルヴォの柔らかな笑みに、何故か胸の奥がまたざわついた。これは不安ではないはずだ。今の会話に不安に感じる要素はないもの。
「じゃあ、そろそろ目をつぶって休むといいよ」
ペッレルヴォの柔らかな口調。少しゆっくりで温かみがある。水晶を覗いてナマケモノや他の生き物談義をしているときは、熱を帯びる。毎日その時間が楽しくて、あっという間に終わってしまうことが物足りないほどだ。
ペッレルヴォは大切な友達。
と、なぜか脳内にウオレヴィが言った『ヘルミは兄上に憧れている』
との声がよみがえった。
また、胸の奥がざわついた。
◇◇
ペッレルヴォと温室の長椅子に並んで座り、時たまテーブルに移って軽食を食べたり、彼にもたれてうたた寝をしたりして夜を過ごした。
朝が来たら彼はまたナマケモノになる。
そう考える度にざわつく胸の奥。何度となく空を見上げて月を確認し、そしてついにペッレルヴォの体からキラキラ光る粒子が立ち上ぼり始めた。
「そろそろナマケモノの時間だ」とペッレルヴォ。「カナデ、お世話をよろしく」
「ペッレルヴォ!」
「どうしてそんな顔をしているんだい。あまり期待させないでほしいな」彼の手が頬を撫でる。「──ねえ、カナデ。僕はナマケモノの僕も人の僕もどちらも好きではあるんだ。だけどずっとナマケモノで過ごすのは困る。君の恋人になりたいからね」
ペッレルヴォの体はキラキラの粒子に包まれている。もう、時間がない。
「人の姿であるうちに」彼はますます笑みを深くした。「カナデとキスがしたい」
ペッレルヴォはふざけて言っているようではない。鼓動が早くなる。時間はないのだ。
私は素早くペッレルヴォにキスをした。誤魔化しじゃない。ちゃんと口にだ。
心臓が早鐘のように脈打っていて今にも破裂しそう。
光の渦でほとんど見えないもののペッレルヴォはびっくりしたような顔をし、それからにっこり微笑むと私にキスを返した。
彼を取り巻く光の粒子が激しく渦巻く。
ナマケモノになってしまう。
もう少し、ペッレルヴォと──。
手を伸ばし伸ばされ、握り合う。
と、光が爆発した。
閃光に目をつむり再び開いたとき、そこにいたのはペッレルヴォだった。
「あれ」と彼は自分の体を見回した。「ナマケモノになっていない。ということは」ペッレルヴォが私を見てにこりとする。「呪いが解けたらしい」
「な、なんでかな」
鼓動が激しくて苦しい。
これはもしかしなくても呪いの定番、キスのおかげなのではないだろうか。前回は効果がなかったのに。
というか猛烈に恥ずかしい。自分からしてしまった。
「カナデ」とペッレルヴォ。
繋いだ手ではないほうで頬を撫でられる。
「真っ赤だ。可愛い」
「可愛いとか言わないでほしい」
ドキドキが止まらない。
私はペッレルヴォを好きなのかもしれない。友達としてではなく。
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