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1章・3 王と弟の心中を知る
『我が国の王』?
アスラクの言葉に慌てて立ち上がる。
「えと。こんばんわ。カナデです」
鷹揚にうなずく王。だけど想像していたより、優しそうな顔をしている。
「カナデ殿。こちらの都合で異世界より呼び立てて申し訳ない」
おや?なんか腰が低くない?
王は私に椅子を勧め、テーブルに向かい合わせに座った。どうも王はひとりっぽい。お付きの人や警護が見当たらないのだ。お忍びなのかな。
「あの、先に謝っておきます。私の世界じゃ王様とかはあまりいなくて縁がないんで、どう振る舞ったらいいか分かりません。もし失礼なことをしたら、すみません」
「異世界から来たのだ、常識が違って当然だ」と王。
やっぱり良い人っぽい。第一王子を王太子にしたけど内心ではほぞを噛んでいる、という感じには見えない。
「エーリクの話では、ナマケモノの専門家ではないが造詣は深いとのこと」と王様。
エーリクって誰だ?と思って王の後ろに控えているアスラクを見ると、手で口髭を表している。なるほど、侍従長だな。
「いや、それほどでも」
「ペッレルヴォは心優しき男だ。このように理不尽な呪いを受けるような者ではない。どうか呪いが解けるまで、無事に生き延びるよう世話をしてほしい」
王の言葉に首をかしげる。
「呪い、解けちゃっていいんですか?」
「なに?」
「ペッレルヴォ殿下は立場が微妙と聞いたんです。あ、もちろんお世話はがんばりますけど」
王は振り返りアスラクを見た。アスラクはうつ向いている。
再び私を見る王。
「確かにペッレルヴォの立場は微妙だ。母親の力がある第二王子を推す者も多い。しかもあいつは性格が王に向いてはいない。心根が優しすぎてな。王の仕事が彼の心を蝕み、国が混乱する恐れがある。だがそれと、呪いを解くことは別問題だ」
王もペッレルヴォが王太子であることを望んでいない、というのはそういう理由なの?感情的な差別かと思いきや、ちゃんとした理由じゃないか。
「そうなんですね。良かった」頭上のペッレルヴォ殿下を見上げる。「私、四人兄弟の一番上なんですよ。『お姉ちゃんだから出来てあたり前』『弟妹たちの手本であれ』『下の子たちの面倒も見るのも当然』って感じで、だけど親の愛情を一番受けているのって、末の子で。ものすごくもやもやするんですよ。こんな異世界に来てまでよそんちのそんな兄弟格差に巻き込まれるのか、って思ってたから。王様が長男のことをちゃんと考えてくれてて、良かったです。
ペッレルヴォ殿下にも、王様の心配が届いているといいですね」
「……カナデ殿」
「はい」
「ペッレルヴォを頼む。そなたを正式な宮廷飼育員に任命し、見合った地位も授けよう」
「それは遠慮します」
「なぜだね?」
「飼育員って専門家っぽい響きじゃないですか。私は飼育係ぐらいがちょうどいいです」
「……分かった。では飼育係で。困ったことがあったらアスラクかエーリク、ヒルダに遠慮なく申し付けなさい」
そうして異世界の王と私の会合は終わった。
温室に静けさが戻る。ひょいと殿下を見上げると、微妙に位置と顔の向きが変わっていた。いつの間に。
「ね、殿下が動いたみたい」
そう言ってアスラクを見ると、なぜか彼は泣いていた。
「どうしたの!?」
「陛下があのようなお考えだとは露知らず。ペッレルヴォ殿下を疎んじているものだとばかり……」
「殿下もそう思っている?」
うなずくアスラク。
「そうなんだ。じゃあ早く教えてあげたいね」
「はい……」
ズビズビと鼻をすすり上げるアスラク。17歳の男子がこんなに泣くのは初めて見るよ。
ポケットからハンカチを出して渡す。
「ほら、殿下が見てるよ?いいの?」
「……そうですね」
アスラクはハンカチで涙を拭うと、鼻をかんだ。なんてことだ。それは返さないでいいよ。
「カナデ様。殿下も私も、いらっしゃった飼育係様がカナデ様で良かったです」
「そう?ありがとう」
ナマケモノの殿下はそっぽを向いているけどね。
それにしても、ずいぶん動かない。今夜中に、食事風景を見せてもらえるのかな。
◇◇
異世界で王子様の飼育係となって4日目。つまり3回の夜を過ごしたのだけど、観察は進んでいない。まだ一度も殿下が動いている姿を見ていないのだ。
夜になると、どうしても眠くなってしまう。
空がうっすら明るくなるころ、アスラクの天幕で目が覚める。毎回彼がテーブルセットのところから、自分のベッドに運んでくれるのだ。
アスラクの考えでは、この世界は万物に大なり小なりの魔力が宿っていて、その力を自然に発している。それが異世界人の私の体にはまだ慣れなくて、疲れて眠ってしまうのではないか、ということだ。
情けなさすぎる。なんのための飼育係なんだ。
代わりにアスラクは、夜に動くペッレルヴォ殿下を確認しているそうだ。動いて葉っぱや果物(これはアスラクが殿下のそばに置いている)を食べているという。
役に立たなくてごめんと謝るとアスラクは、生態を教えてくれたのだから十分だと言ってくれる。いいヤツだ。
それとこれもアスラクの予想だけど、ペッレルヴォ殿下は私を警戒していて、私の前では動かないのではないかという。
何しろアスラクは、殿下がナマケモノになってからずっとそばにつきっきり。さすがにケモノでも、敵ではないと分かっているのだろう。
それに比べて私は殿下の前に現れたばかり。未知の敵と思われて当然。
確かに。
仕方ないので、ナマケモノ殿下に敵意がないと分かってもらえるまで、気長に待つことにした。
頭上の殿下を見る。午前中とはほんの少し、顔の位置が違う。今日はぶら下がっておらず木の枝と幹の間に挟まりうずくまっている。昨晩、大きく動いたらしい。
ちなみに今のところ、徹夜しているアスラクは午前中に天幕で寝て、その間は私が殿下を見ている。たまにヒルダがやって来て、話し相手になってくれる。
午後はアスラクとふたりで殿下の観察。
夜行性ではあるけれど、昼間全く動かないわけではないはずだから、目を離さないようにしている。
だけど今日の昼下がり、アスラクは留守だ。この1ヶ月、殿下のそばにつきっきりで他のことを何もしていないというので、用を済ませるよう説得して温室の外に送り出した。
本当、忠義者すぎる。
ひとりぽっちの私は、テーブルにペッレルヴォ殿下のスケッチブックを出して眺めている。殿下は植物や鳥の絵を書くのも好きだそうで、まるで芸術品のような仕上がりだ。
きっと繊細で細やかな性格のひとなのだろう。
と、アスラクが留守のために警護を任されている侍従がやって来た。
「カナデ様。第二王子のウオレヴィ殿下がお話したいといらっしゃっていますが、いかがいたしましょう?」
「申し訳ないけど、あとでこちらから伺うって言ってくれるかな」
「それが今ここでがよろしいようで。アスラクの留守を狙って来たようです」
私はペッレルヴォ殿下を見上げた。この席からは顔は見えない。
夜更けに彼の父王と話した翌日のこと。遠慮したはずなのに私は謁見の間に呼ばれて、正式な『飼育係』に任命された。その職を表すという金と深紅のリボンでできたロゼットを下賜されもした。
更に気の強そうな美人の王妃が、内心はどうだか知らないけど、よろしく頼みますとのお言葉をくれた。
それでも。城内を歩いていると、意地の悪そうなヤツラがわざわざ寄ってきて、嫌みを言ったり殿下を嘲笑ったりするのだ。
だからアスラクは、そんなヤツラの不躾な視線からも殿下を守るために、1ヶ月の間、片時も離れないでがんばってきたのだ。
ただ、ペッレルヴォの異母弟たちは、そんな『ヤツラ』に含まれてはいない。
そしてウオレヴィは無理やり中に入ってくるのではなく、私に許可を求めている。
「分かった。殿下をお通ししていいよ」
スケッチブックを閉じて傍らのワゴンの下段に置き、立って待つ。
すぐにきらびやかな服を着た王子が従者をひとり従えてやってきた。
15歳のはずだけど、私より背は高く身体つきもしっかりしていて年上に見える。太い眉に鋭い目つき、不遜そうに見える表情。
「異世界より来た飼育係、カナデだな?」
「はい」
「スィネンの第二王子、ウオレヴィだ。通してくれて、礼を言う」
それから彼の視線が逸れた。頭上を見ている。
「……兄上。ご無沙汰しています」
やはり、彼も悪い王子ではなさそうだ。
第二王子は再び私を見た。
「兄上には意思がないと聞いているが、本当か」
「分かりません。少なくとも私は、ペッレルヴォ殿下がこちらの呼び掛けに反応するのを見たことがないです」
「……そうか」
ウオレヴィに勧められてテーブルに向かい合って座る。
「アスラクから兄を取り巻く状況を聞いていると思う。理解していることを前提に話す。が、分からないことがあったら、話を遮って構わぬから尋ねろ」
うなずきながら、15歳って中三だよなあと考える。私が中三だったとき、クラスにこんなしっかりした男子はいなかったよ。
「率直に言う。私は王になりたい」
「はぁ。本当に率直ですね」
ウオレヴィがじっと私を見る。
「すみません!失礼でしたか?」
「いや、構わぬ。兄はその能力はあると思うが、性格は王には向いていない。私の方が人心をまとめ良い国政ができる」
王と同じことを言っている。
「私は母と父の間では長男だ。異母兄さえいなければ、何の問題もなかったのにとよく考える。どうすれば兄に代わって王太子になれるか、とも常に考えている」
ウオレヴィはナマケモノになった兄を見上げた。こちらからは背中しか見えない。
「だが、こんな事態は望んでいない」
そう言った声は、怒りを含んでいるようだった。彼はまた私を見た。
「兄は男として情けなく思うほど、優しい人柄だ。女性の恨みを買うような人間ではない」
「逆恨みなのでしょうね」
「そうとは思えない。逆恨みすら買えないような人なのだ」
「はぁ」
「だから」ウオレヴィの表情が崩れる。「この件の犯人は私の支持者ではないかと思う」
「心当たりがあるんですか?」
「普通に考えれば母だが、母はこんな卑怯なことはしない。やるならば正々堂々と兄が王太子に相応しくない実例を上げて、父に罷免を要求する人だ。事実、母は成人した私の器を見て、行動を起こすかどうか決める予定だったそうだ」
「なるほど」
先日の王妃を思い浮かべる。いかにもそんなことをやりそうな顔だった。裏でコソコソというタイプじゃない。
「だが世間は、私や母が黒幕だと考える。そして私の支持者が犯人ならば、私たちが黒幕であると同義だ」
「それは違うんじゃない?」
ウオレヴィがギロリと私を見る。
「違わない。支持者を制御できなかった責任がある」
「……あなた、15歳だよね?ちょっとしっかりし過ぎじゃない?私の世界の15歳男子なんて、もっとバカっぽいよ?」
「他など知らぬ。王族に生まれた以上、国民に対して責任がある。バカではいられないのだ」
「王子様は大変なんだね」
いつの間に来たのか、ヒルダがお茶と菓子受けを出す。それを王子は手にして優雅に口に運んだ。それを見て、そうだな私の世界の15歳とは違うんだ、と思った。
「それで、だ」ウオレヴィは話を続けた。「私は黒幕が私だと思われたくない。なによりこんな状況で王太子になるのは、嫌だ。カナデ」
「はい」
「兄の呪いが解けるまで、世話をしっかり頼む。兄は飲み食いをほとんどしないで衰弱していると聞いている。万が一のことがあったら困るのだ」
「分かりました。まだ殿下にはお心を開いてもらえてないのですが、精一杯務めるつもりです」
「うむ、頼む」
「それとナマケモノは元々食べる量が少なくて、あまり動かないいきものなんです。殿下の満腹度合いがどうなっているかは分かりませんが、今のところ夜に食事をして多少は動いているようです」
ウオレヴィの顔がゆるんだ。ほっとしたようだ。
「カナデ自身は困っていることはあるか?」
「特には」
「アスラクは兄に忠義を尽くしすぎて頑ななところがある。仲良くやれているのか?」
はいと答えると王子は良かったと言い、それから少しばかり元の世界の話をした。未知の世界を知りたがるウオレヴィは、年相応の顔だった。
第二王子とその従者が去り、ヒルダも食器を下げに行き、温室はペッレルヴォ殿下と私のふたりに戻った。
「ねえ、殿下」と木の上の背中に語りかける。「弟くんはいい人だったよ。王様も心配してくれていたしさ。アスラクの話から受けた印象とは全然違う。殿下ももし知らないのだったら、もったいなかったね。人の姿に戻ったらみんなと、たくさん話したほうがいいよ」
気のせいだろうか。殿下が小さくうなずいたように見えた。
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