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1章・6 契機行動について考える
一夜明けて、のどかな昼下がり。いつものテーブルセット。いつもと違うのは、向かいの椅子にナマケモノ殿下が座っていること。眠いみたいで、うつらうつらしている。
人の姿に戻ったらワガママ三昧すると宣言したけど、『今すぐに』に変更した。そして絵のモデルを頼んだのだ。だから向かいに座ってもらって、絵を描いているのだけど……。
ひとりで黙々と描いていて、ふと思った。
カメラがほしい。
私の下手な絵より、絶対に写真で可愛いナマケモノの姿を写しとりたい。
そして気づいたのだ。勇者とやらがこの異世界に来たのは大昔でも、彼は私の世界ではわずか一年前に存在していた人だ。当然カメラぐらい知っている。
そして『ナショジ○』を持っているぐらいだから、ネイチャー系が好きなはず。それならば異世界の動物植物魔物を写真に撮りたがったんじゃないかな?
となれば、カメラみたいな魔法もあるかもしれなくない?
殿下やアスラクの話だと、魔法にも流行り廃りがあるらしい。それなら勇者様が平和をもたらした後に、流行ったかもしれない。
ペンを音を立てないように置く。もし、カメラ的な魔法があったら、もうひとつやりたいことがある。
それはともかくとして。
実は呪いに関して、試したいことがある。ペッレルヴォとアスラクに話してはいない。なんだかビミョーな制約があるみたいだし。ちょっと恥ずかしいし。
立ち上がり、静かに殿下のそばに行きしゃがむ。
殿下はうつらうつら。目は閉じられている。
やはり呪いといったらアレだよね。
ふと視線を感じて見ると、隣の椅子に座ったナマケちゃんだった。立ち上がり、
「キミは向こうを向いていなさい」
と向きを変える。
ここに来た初日に、月が空に浮かんでいるときにナマケモノ殿下は木の上にいた。あれも魔法かと尋ねたら、ペッレルヴォとアスラクは、またまた深く頭を下げた。
なんとアスラクが、殿下の身代わりに私のナマケちゃんを使ったそうだ。全く気づかなかった!それで茂みの影に隠れていた殿下がタイミングを見て、魔法で顔の向きを変えていたんだって。
なんて悪辣なのだ!
……さて。
殿下はぬいぐるみではないから、サクッと済ませないと起きてしまうかもしれない。
覚悟を決めるのだ、カナデ。
下っ腹に力を込めると、殿下に顔を寄せて素早くキスをした。
心臓がドキドキいう。
離れて見守る。
殿下がゆっくり目を開けて私を見た。
「何をしているのだカナデ!」
叫び声に飛び上がる。ウオレヴィだった。それとアスラクと、ウオレヴィの従者。
いたずら現場を見つかったような気恥ずかしさだ。なんでこんなタイミングでみんなが来るのだ。
「私の世界だと呪いを解く定番はキスなんだ」
ナマケモノ殿下を見る。殿下はつぶらな瞳で私を見ている。
「だけどダメだったね」
「ああ!ペッレルヴォ殿下はファーストキスだったのに」
アスラクが世界の終わりかのような悲劇的表情で嘆く。
「私もだよ!殿下のために勇気ふりしぼったんだよ!」
恥ずかしいので、さっと殿下を前向きに抱っこして椅子に座る。
「がんばり損だった!」
「カナデ……」
なぜかウオレヴィが思い詰めたような顔で近寄ってきた。
「なあに?」
「私も呪われている」
「へ?そうなの?」
「呪いを解くにはカナデのキスが必要かもしれない」
「……」
ウオレヴィはものすごく真剣だ。彼の従者を見ると、困った様子で首をかしげている。
「……どんな呪いなの?」
「カナデに会いたくて仕方ない呪い。今日なんてついに、歴史の授業をサボってここに来てしまった」
「それは本当です。初めてのことです」と従者。
「ウオレヴィ殿下はがんばりすぎだから、そのぐらいしたほうがいいよ」
「だからカナデ!私にも」と迫るウオレヴィ。
「ちょ、ちょっと、待って!」
顔が近づいてくる。
アーッ!!!
突如、甲高い声が響き渡った。
膝の上のペッレルヴォ殿下が鳴いたのだ。しかも片腕を上げている。
「どうしたの!どこか悪い?痛い?」
「……威嚇じゃないですか?」とウオレヴィの従者。「カナデ様にウオレヴィ殿下が近づくのを怒っているように見えます」
「ええ?弟のウオレヴィ殿下だよ?」
誰なのか、分からなくなっちゃったのだろうか。ナマケモノでもペッレルヴォの意識はあると話していたのに。
「どうしよう、アスラク」
「ウオレヴィ殿下がカナデ様から離れれば、問題ないでしょう」
「ちっ!兄上がケンカを売ってくるなんて」
そういう問題ではないよと思ったけど、ウオレヴィが私から離れて椅子に座ると、ペッレルヴォは腕を下げて私にもたれた。
「アスラク。兄上に意識がないのは本当か?絶対にあるだろう」
「そのように見えますね。ナマケモノな殿下は飼育係様にすっかりなついたようです」
「ていうか、アスラクは殿下と一緒に来たの?」
「……温室の入り口で一緒になっただけです」
「うむ。偶然かち合ったのだが、丁寧に招き入れてくれた」
「……ペッレルヴォ殿下の弟殿下ですから」
殿下とふたりの従者は、それぞれがもじもじ居心地悪そうにしている。ナマケモノな殿下を見ると、こちらは眠そうにしていた。マイペースだな。
ヒルダがお茶を並べる傍らアスラクが、筆頭より預りました、と封筒を差し出した。またお母さんの字で『カナデへ』と書いてある。開けると、中に写真が一枚入っていた。今年の年賀状用に撮った、家族の集合写真。
『高校生なんだからこんなの撮りたくない!』
『おじいちゃんたちに喜んでほしいの!』
お母さんとそんなケンカをした挙げ句、臨時おこづかい三千円と引き換えに写った写真だ。
裏を返すと、すぐ下の弟の字で『俺たちを忘れないで!』と書いてあった。
「もしかしてご家族ですか?」とアスラクが尋ねる。
「うん」写真をテーブルの真ん中に置く。「これがお母さんで……」
私の説明にみんなが写真を覗きこむ。
気づいたら、ナマケモノな殿下も伸び上がって見ていた。
「兄上、絶対に意識がありますよね?」
弟の質問にペッレルヴォ殿下はそっぽを向いて、長い爪でのそのそと頭をかく。
「みんなが見ていたから、気になったんじゃない?」
「それからもうひとつ」とアスラクが話を反らすように、肩にかけていた袋から何かを取り出した。
「筆頭がカナデ様の世界を覗いて真似をしたのですが、どうでしょう」
アスラクの手には、白い革張りのボール。
「弾むの?」
立ち上がり殿下を椅子に座らせて、ボールを受けとる。弾力がある。地面に落とすと、小気味良い音を立てて跳ね返った。
「すごい!完璧!」
片手でつく。
「ああ、スカートが邪魔」
左手でスカートをちょいと持ち上げて、ドリブル。見えないゴールに向かってシュート。
「おお!バスケができる!ウオレヴィ殿下。私の世界のスポーツができるよ!」
どれどれとウオレヴィが期待に満ちた顔をする。はいとボールを手渡すと、初めてとは思えないほど上手に片手でドリブルをした。
「すごい、殿下!」
「殿下にできないことはありません」
ウオレヴィの従者が、自慢気に反り返っている。
「お前もやるか?おもしろいぞ?」とウオレヴィ。が、「いや、アスラクが持ってきたな。ほら、アスラク」と兄の従者に手渡した。
やっぱり、いいヤツじゃないか。
ペッレルヴォ殿下を見ると彼も弟をじっと見ていた。私の視線に気づくと、のそのそと首を回転させる。そんな殿下を抱き上げた。
弾むボールの扱いに戸惑いながら、ふたりの従者が揃ってアワアワしている。それを見ているウオレヴィは、下手だなあと言って、楽しそうだ。
「ペッレルヴォ殿下も遊びたい?」
つぶらな瞳が私を見上げている。
「早く呪いをとかなくちゃね」
「兄上」ウオレヴィがやって来て兄を見た。「可愛らしいお姿です。頭を撫でてもよろしいですか」
ペッレルヴォは反応しない。
「やってみたら?イヤならさっきみたいに怒るよ」
ウオレヴィはゆっくり手を伸ばして頭を撫でた。それから。
「祝うべき誕生会でこのようなことになり、さぞかし無念でしょう。この呪いをかけた者がもし私の支持者だったなら、私はいかような罰も受けるつもりです。今、父や魔法使いたちが呪いを解く方法を必死に探しておりますから、今しばらくのご辛抱のはず。どうかお心を強くお持ち下さい」
そう言ったウオレヴィのほうが、辛そうな表情だった。
◇◇
その晩。ふたつの月が見える温室の片隅で、ペッレルヴォが隠れて静かに泣いていた。
◇◇
お荷物で無能の王太子が、見たことがないケモノになり人の意識も失ってしまったら。きっと都から離れた森の中の離宮に隔離される。
どう考えたって王太子として恥ずかしい姿だし、国民を不安にさせる。
ペッレルヴォとアスラクはそう考えていたらしい。
だけれどその予測は外れ、ケモノになったペッレルヴォは丁重に扱われた。温室に入れられたのだって、それを好むケモノだと分かったから。
ということはつまり、ペッレルヴォとアスラクは、呪い発動後は他人との接触がほぼなくなると考えていたのだ。それならキスを契機行動に選ぶはずがなかった。
私はそれが何か、分かったと思う。
◇◇
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