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2章・2 常識の違いを忘れる
国王夫妻と魔法使いのおじいちゃんが帰り、温室にはいつものメンバーが残った。
「ウオレヴィは帰らなくていいの?」
王太子になる前から向上心と王子の心得がしっかりしていた彼は、予定がびっしりで忙しい。
「兄上の緊急事態だからな」と、キリリとした顔で答えるウオレヴィ。
「ペッレルヴォ様とカナデ様がイチャイチャしているから、見張らずにはいられないのですよ」
ヨウシアが言えばヒルダがうなずく。
近頃ふたりはいい感じらしい。
「だってナマケモノは可愛いもん。可愛いは正義なんだよ」
「くっ。カナデ。ナマケモノより好きな動物はいないのか」ウオレヴィが子犬のような目を向けてくる。「私だってカナデに抱っこやよしよしをされたい」
「王太子のセリフではないですよ」と辛辣なヨウシア。
「仕方ないなあ。ウオレヴィは案外甘えん坊だね」
手を伸ばして、普段は凛々しい王太子の頭を撫で撫でする。と、ウオレヴィの頬が弛み、幸せそうな顔をする。
おや。可愛いぞ。これは母性がくすぐられるかもしれない。
と、お腹がギゥゥと絞められる。ナマケモノなペッレルヴォが抱きついているのだ。
「ペッレルヴォ。ちょっと痛いよ。力が強すぎ」
「やきもちですよ」とアスラク。
「面倒な兄弟だなあ」
「カナデが魅力的すぎるのがいけないのだ」とウオレヴィ。
「なんだか女の人好きなダメ男が言いそうなセリフ」
ウオレヴィがショックを受けた顔をして固まる。
「ごめんごめん。ウオレヴィがそうだと言っているわけではないよ。めちゃくちゃ硬派だって知っているから」
彼は真面目すぎるのが珠に傷だけど、男前で勤勉な努力家で人の上に立つ器もある王太子だ。結婚相手としても恋愛相手としてもパーフェクト。当然、ものすごくモテる。
だけどどの令嬢にも礼節を持って接し、誰も特別扱いしない。
……いや、私が特別扱いか。毎日のように口説かれている。
とにかく私を除けば、その立場が嘘のように硬派なのだ。もう少し女の子たちに愛想よくしてあげたらと心配になるくらいに。
ちなみに。ペッレルヴォは全くモテない。今や彼は王子ではなく無一文の魔法使い。
しかも令嬢たちよりも美しく、一方で中身はふわふわなマイペースなものだから、観賞用と思われているようだ。
廊下で出会ったときに『眼福だわ!』と喜ばれておしまい。
本人もそれでいいらしい。
「ところでどうしますか、今日の仕事」
そう言ってヒルダが予定表を差し出す。
スリーバイスリー普及委員会会長である私は、午前中は書類整理をして午後は城下で行われるデモンストレーションに参加する予定となっている。
「城下は行けないな。ペッレルヴォを置いて出掛けたくないから。ヒルダはひとりで行ける?女性も楽しめるアピールをしたいから、できれば女の子はひとりはいてもらいたい」
他のメンバーは近衛騎士の猛者たちだ。女子ひとりはちょっと居心地が悪いかもしれない。
「任せて下さい。問題ないです」
「それなら私も。騎士たちとの緩衝材代わりに」とヨウシア。「ウオレヴィ様。午後休下さい」
「お前は書記だろ。仕事で構わん」
「やったね」
「ついでに城下の視察もしてきてくれ」
訳したら、『デートをしてきていいぞ 』というところだろう。ウオレヴィってば、自分は硬派のくせに気の利くことを言う。
「書類整理も急ぎではないから」 私はナマケモノなペッレルヴォと目を目を合わせた。「せっかくの機会だからみんなが揃っているうちに、アレ、試しちゃおっか」
◇◇
宮廷魔法使いとなり三ヶ月。元々その才に長けていたペッレルヴォは努力を重ね、水晶を使って異世界を自在に覗き見ることができるようになった。ただし私の世界のアマゾン流域に限る。
──つまりナマケモノへの偏愛ゆえだ。
この魔法を使ってペッレルヴォと私は毎日、アマゾンを見ている。運が良ければナマケモノが映り、ナマの生態を観察できるのだ。
ナマケモノが映らなくても、他にも多種多様な動植物がいるから飽きることはない。ペッレルヴォなんて得意のスケッチで何十という種類の鳥を描いている。
そんな観察をしていたあるときのこと。のんびりスローリーなはずのナマケモノが川を軽快に泳ぐ姿が映ったのだ。ペッレルヴォはびっくり仰天。私も泳ぎが得意なことは知っていたけど実際に見るのは初めてで、その素早い動きに感動した。
そしてペッレルヴォは、『もしまたナマケモノになることがあったら泳ぎを試したい』と言ったのだった。
「兄上……」
人払いをした大浴場を目の前に、私の説明を聞いたウオレヴィは手で額を押さえた。
「本当に自分で変身したのではないのですか?」
こくんと首を振るナマケモノ元殿下。歩くのは大変だから私が抱っこをしてここまでやってきた。
「ナマケモノを堪能しすぎです」とウオレヴィ。「私だってカナデに抱っこされたいのに一人占めでずるい」ぶつぶつ。
「先ほどから抱っこを連発していますが、物理的に無理でしょう」とヨウシア。「あなたのほうが大きいではありませんか。諦めて、ペッレルヴォ様を抱っこしているカナデ様を抱っこしなさい」
「それではダメだ。カナデに愛されている感がないではないか」
おかしなやり取りをしている主従はほうっておいて、ペッレルヴォを湯船のきわにおろす。
かつて私の世界からやって来た勇者の発案で作ったという大浴場は、古代ローマ風だ。天井はなくて見上げれば空。深さもあるようでどちらかといえばプールのような雰囲気だけど、源泉掛け流しらしい。日本語でそう書いてあるから。
ナマケモノ元殿下はのそのそと湯船に足をつけると、ゆっくりパシャパシャと動かした。
「可愛い!」
野生のナマケモノは絶対にしないだろう動きだけど、これはこれでいい。
「うぅ。録画したい」
「む。あれだけでカナデのハートを鷲掴みとは」
「殿下。人の姿で対抗しないで下さいね」
「……カナデ様。ひとつ気になるのですが」とアスラク。
「なあに」
ナマケモノなペッレルヴォから目を離さず尋ねる。
ぽしゃん、とプールのような湯船に入るナマケモノ。
ばしゃばしゃと手足を動かしている。
「ペッレルヴォ様なのですが」とアスラク。
ナマケモノは四肢を動かして犬かきのようにして泳ぐ。泳ぐのだが……。なんだか……。
溺れているようにしか見えない。前に進まないし。
「泳いだ経験はないのですが、ナマケモノになったら泳げるものなのですか?」
アスラクの言葉の途中で、水に沈んでゆくペッレルヴォ。
「先に教えてよ!」
私は叫ぶとプールに駆け寄り飛び込んだ。はね上がる水しぶき。目に入るけど、それどころじゃない。水中からペッレルヴォを救い上げる。
げほごほとむせるナマケモノ。
「しっかりして!」
走ってきたアスラクにペッレルヴォを託して浴槽から上がる。
アスラクが咳き込む主人の背を盛んに撫でている。ヒルダがタオルで包みこむ。
どうしよう、溺れたナマケモノの手当てなんて分からない。
「ペッレルヴォ!」
ぬれそぼった頭から垂れるしずく。
ハンカチを取りだそうとしたけど、私もびしょ濡れだった。
「落ち着け、カナデ」
ウオレヴィがハンカチで兄の顔をそっと拭う。
「大丈夫ですか、兄上」
ペッレルヴォが頭を振る。でも咳き込んでいるのかもしれない。
「すぐに救い出しただろ、カナデ。兄上は水が気管に入っただけだろう」
「でも喋れないし、ナマケモノだし」
と、ペッレルヴォのナマケモノな手が伸びてきて私の腕を掴んだ。こんなときでもミユビナマケモノだから笑ったような顔をしている。
「ほら、兄上も心配ないと言っている」
「……本当?」
うなずくペッレルヴォ。むせるのも収まったようだ。
アスラクから託され、タオルに包まれた彼をそっと抱きかかえる。
「大丈夫?」
またうなずくペッレルヴォ。
ほっとしたら、腹が立ってきた。
「もう、なんで泳げないって教えてくれなかったのよ! 」
「ナマケモノが泳げる生き物なら、自分も自然に泳げると思っていたのだと思いますよ」とアスラク。
またまたうなずくペッレルヴォ。
「そんなバカなことある?」
「そもそも我々は泳いだことがないので、難しいなんて知りません」とアスラク。
ウオレヴィもヨウシアもヒルダもうなずいている。
そう言われてみると、城付近には海川湖などはない。目の前にプールチックな施設はあるけど、大浴場だ。
「……そうか。私の確認不足だね。ごめん、危ない目に合わせて」
ナマケモノなペッレルヴォは『元気だしなよ』とでも言うかのように、頭を私にすりすりとしたのだった。
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