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前編
その夜、秋葉原の一角を占めるとある複合型オフィスの二階フロアでは、夏の真っ只中だということを差し引いても異様と言ってよい程の熱気の高まりが起きていた。概ね五百人前後を収容可能なフロアいっぱいに、若い男女が七対三ぐらいの割合で集まって一分の隙もないほどひしめき合い、フロア奥に設置された円形のステージを見つめながら光り輝くサイリュームを振って事あるごとに熱狂を繰り返している。
その名も「トーキョ~☆サイキョ~☆アイドルフェスタ!」である。
数年前より毎年夏になると開催されているこのイベントでは、ピンはもちろんグループも含めた総勢五十組ものアイドルが一堂に会し、歌や踊り、そしてパフォーマンスを披露する。関東地方のアイドルオタクたちにとってはもはや夏の風物詩とも呼べる地位にまでのし上がった、文字通りの「アイドルの祭典」だった。
ミライは今、待機スペースにて極度の不安と緊張で押し潰されそうになっていた。
大変だ。どうしよう。もうすぐアタシの出番がやってくる。そうしたら、あのお客さんたちの前で歌い、そして踊らなければならない。やっぱりこんなの無理だ。アタシには荷が重すぎたんだ。今からでも遅くはない、辞退させてもらおうか? いやいやそんな訳には。
「ミライさん、次スタンバイお願いします」
「――は、はいっ」
会場スタッフの一人に話しかけられただけなのに、緊張のあまり声が上擦ってしまう。同じ待機スペースにいる、他の大勢のアイドルたちの視線が痛くて仕方なかった。ああ、駄目だ。こんなんじゃ駄目だ。絶対に失敗する。どうして自分はこんなところにいるのだろう?
逃げ出したい気持ちを幾度となく湧き上がらせては抑え込んでいるうちに、ミライの出番はもう目前に迫ってきていた。とうとう舞台袖に立たされてしまったのでコッソリとステージ上を覗き見ると、そこには乱舞する照明やレーザー光線に彩られて、普段ミライが踊っているのより何倍も広大なステージが横たわっていた。自分が背負った責任の大きさを見せつけられたようで、ミライは覗かなければよかったと思った。
「――に歌って頂きました! ありがとうございます! それでは次はいよいよ、本日の特別ゲストに登場して頂きたいと思います!」
ある意味で出演者以上に無駄な明るさを備えた女性司会の声が、観客らの期待を必要以上に煽ると同時にミライの不安を急加速させる。もう駄目だ、ブレーキが利かない。雷雨と暗闇の中で崖の上のカーブを走らせるミライの心は、今にもガードレールを突き破って崖下の荒波に真っ逆さまに転落していきそうになっていた。
「ここ、秋葉原にあるメイド喫茶『D ー GITAL』からやってきた期待の新星! ミライちゃんです、どうぞ――」
次の瞬間、バツンという音と共に会場内の照明が一斉に消え去った。
ミライは戸惑った。こんな演出があるなんて聞かされていない。
どうやら他の会場スタッフや出演者たちも同じ様子で、暗闇の中で一斉にざわめきが広がるのが分かった。どうやら本物の機器トラブルらしい。スタッフたちの慌ただしく駆け回る音がそこかしこから聞こえてきた。観客たちも不穏な空気を感じ取ったようで、次第にどよめきが会場いっぱいに広がっていった。今の今まで明るさ一辺倒だった女性司会も、観客たちを落ち着かせようと懸命に話しかけていたが、それも素の声量によるものでしかなかった。どうやらマイクの電源も落ちてしまったらしい。
ミライは正直ホッとすると同時に、何が起きたのか分からないことで強烈な不安を覚えるに至った。そのときだった。
突然、電気系統のショートするようなバチバチという音がすぐ目の前で聞こえると同時に、舞台袖から辛うじて見えていたステージや客席の風景がグニャアと渦巻のように歪み始めた。え、とミライが思わず固まっていると、何の光源もない舞台袖に向かって渦巻の中心から光の奔流が流れ込んだ。ミライや他のアイドルたちが咄嗟に顔を覆い、そしてもう一度その場所を見たとき、一同は絶句した。
空間の歪みが消失し、代わりにそこに奇妙な風体をした集団が出現していたからだ。集団の先頭に立っているのは、白髪でキツネ目、そして如何にもな白衣に身を包み謎の大きな機械を携えた科学者風の男だった。
「な……な……」
「ホッホッホ、御機嫌よう諸君。我が名はDr.マヤギス……偉大なるレプリカ帝国の創造主にして支配者である!」
白衣の男――Dr.マヤギスは両手を大きく広げ、会場の天井を仰ぎ見ながらそう宣言した。その大仰な仕草は、自らの発言に陶酔しているようにも見えた。
「フーム、あ奴だ……あ奴こそが、我がセンサーの示した極上の素材!」
マヤギスがこもるような声で笑い、そして指差したのはなんと徐々にその場から後ずさりを開始していたミライであった。マヤギスの背後に控えていた全身黒づくめ集団の視線が一斉にこちらを向き、ミライの口から思わず「ひっ」と悲鳴が漏れた。
「パチモンスターども、捕まえてきなさい!」
「「「イホーッ!!」」」
パチモンスターと呼ばれた黒づくめの没個性集団が、甲高い叫び声を響かせて次々とミライに向かって飛び掛かってきた。腰を抜かしてしまうミライ。背後では他のアイドルたちが悲鳴を上げては逃げ出し、狭い出入り口へと殺到しつつあった。
会場スタッフの中には、果敢にもミライを守ろうとする者もいた。が、そんな人々はいとも簡単にパチモンスターによって殴り倒され、投げ飛ばされ、周囲の機器に叩きつけられて気を失ってしまった。
あっという間に孤立無援になったミライの体をパチモンスターたちが捕えて、力づくでその場に立ち上がらせた。呆然としているミライの目の前に、やがてあのマヤギスがやってくると舌なめずりした挙句、実に嬉しそうに笑って言った。
「クックック……いいですねぇいいですねぇ。そのまま、動かぬよう抑えていなさい」
言うが早いかマヤギスは元々持っていた機械を床に置くと、今度は別の、一見するとカメラのようにも見える小型機器を取り出してミライに向け、様々な角度へと移動しながらパシャリパシャリとシャッターを切る動作を繰り返した。
押さえつけられ、力づくで撮影されている。その事実に気付いたとき、ミライの中で生理的嫌悪感とも呼べる強烈な感情が湧き上がって来た。ミライは急速に我に返った。
「ちょ……なに勝手に撮ってんのよ! やめて! 放して!」
ジタバタもがくミライの様子を見て、それまで笑っていたマヤギスは途端に細い目をカッと見開くと、一瞬遅れてミライに鋭い平手打ちを見舞った。パシィン、という乾いた音が舞台袖に拡散して消える。じわじわと広がってくる頬の痛みに耐えながらミライがキッと睨み付けてやると、マヤギスは人が変わったように喚き散らした。
「――黙らっしゃい! ピーチクパーチクうるさい女だ……貴様の仕事は赤の他人に媚を売り痴態を晒すことであろうっ! 黙って撮影に応じていればよいのだ!」
とんでもない言い草だった。いったい何なのだ、この男は。
するとその時、
『ディメンションゲートオープン シュトラーゼGO!』
「んなっ!?」
何処からともなく聞こえてきた、ノリのいいアナウンス。それを耳にした途端、マヤギスが目に見えて狼狽するのが分かった。不安げにキョロキョロと辺りを見回し、パチモンスターたちもそれに倣う。いったい何をそんなに恐れているのか。そう疑問に思っていると、
「――そこまでだ、変態野郎!」
どこか少年っぽさも混じる威勢のいい声。ソレと共に突然、マヤギスの背後からオレンジ色の人影が舞い降りてきた。マヤギスは気付くなり大慌てでその場から飛び退る。その人影はミライを捕らえていた左右両サイドのパチモンスターを空中から続けざまに蹴り飛ばすと、シュタッと華麗に着地し、倒れかけたミライの体を咄嗟に抱きとめた。
「……大丈夫か?」
「う、うん。貴方は……?」
窮地に駆けつけてきたその人物は、ミライがもう一度自力で立てるようになったのを確認すると、黙って肩に手を置いて頷き、それからマヤギスたちの方に向き直って言った。
「“世界を繋げるエンターテイメント”ッ――」
若々しく、力強さを備えた宣言が舞台袖いっぱいに轟く。マヤギスやパチモンスターたちが警戒し身構えるのが分かった。
その人物は両腕を使って何らかの構えを形作ると、更に続けて名乗りを上げた。
「――D.H.シュトラーゼ!!」
その瞬間、シュトラーゼと名乗ったその人物の全身各部からチカチカと明滅する光が放たれた。その光に照らし出されて、暗闇の中にガッチリとしたメタリックオレンジの体躯が浮かび上がる。その姿はさながら鎧をまとった勇者のようでもあった。
一方マヤギスは、心底気に入らないという様子で全身をぶるぶると震わせていた。
「おのれぇ~、シュトラーゼめ! やってしまいなさい!」
「「「イホーッ!!」」」
姿を現したとき同様。マヤギスの命令を受けて黒づくめのパチモンスターたちが一挙に飛び掛かってくる。
が、今度は彼らが殴り倒され、投げ飛ばされる番だった。シュトラーゼは驚くほど強かった。大の男が束になっても敵わなかった怪人たちを、シュトラーゼがちぎっては投げ、ちぎっては投げる。誰一人としてミライに触れられる者はいない。シュトラーゼの背中が、ミライにはとても広く大きく感じられた。
それにしても、数が多すぎる。シュトラーゼがどれだけ蹴散らしても何処ともなく出現するパチモンスターたちは、まるで巣穴から這い出てくる働きアリのようだった。
そのとき、シュトラーゼが急にミライの腕を掴んで言った。
「こっちだ、少し走るぜ!」
「えっ!?」
戸惑うミライをよそに、シュトラーゼが疾風のごとく走り出した。それに牽引されてミライも必死に足を動かす。背後でマヤギスの怒り狂う声が聞こえた。
「逃がすな、追えーっ!」
パチモンスターたちの追いかけてくる音が聞こえる。シュトラーゼに手を引かれ、ミライは先ほど他のアイドルたちが逃げ出した出入り口を潜り、狭い通路を駆け抜け、幾度となく角を曲がった。そうしているうちに、ミライは自分が今何をしているのか、よく分からなくなってきてしまった。
「ま、待って!」
ミライは思わず目の前のシュトラーゼに向かって叫んだ。
「アイツらは何なの! いったい何が起きてるの!?」
しばらくして、シュトラーゼとミライは会場の地下にある駐車場にやって来ていた。マヤギスやパチモンスターたちの探索をかいくぐって、ここまで逃げてきたのだ。
気が付けば、ミライは先程からずっとシュトラーゼに手を握られ、引っ張られ続けていた。もう大丈夫と手を離そうかとも思ったが、ミライは自分でも何故かはよく分からないが、一向にそれが出来ないままでいた。
にわかには信じられないような話を、次々と聞かされたショックの所為かもしれない。
シュトラーゼの話によれば、彼とマヤギスはこことは違う別の世界から次元を超えてやって来た存在だという。マヤギスの目的は、あらゆる世界から収集した文化や芸術の類を彼の生み出した怪人・パチモンスターたちに反映させていき、その軍団で自らの世界・レプリカ帝国を築き上げること。シュトラーゼはその野望を阻止するために、マヤギスを追って色々な世界を旅して回っているロボット戦士だということ。
到底一度には理解しきれない、目が回るような情報の嵐だったが、それを「へへっ……凄ぇだろ?」の一言で済ませてしまうシュトラーゼも相当なものであった。どうやらシュトラーゼには、体躯に比して子供っぽい性格がプログラムされているらしい。彼を造って送り出したのは、一体どんな人物なのだろう?
「……怖くないの?」
「怖いって、何が?」
ミライの投げかけた質問に、シュトラーゼは僅かに振り返って首を傾げる。アイドル業の自分が言うのもなんだが、ロボットであるシュトラーゼは仕草が極めて漫画的というか、あざとい傾向にあった。コミュニケーションを円滑にするための措置だろうか。
目や鼻、口などがあるべき場所に大きな一枚のディスプレイがはめ込まれたシュトラーゼの顔を見つめ返しながら、ミライは少し迷いながらこう言った。
「全然知らない世界を行ったり来たりしなくちゃいけないこと、とか……」
「怖くなんかないぜ!」
即答だった。シュトラーゼは、更に続けた。
「それよりも、ワクワクするんだ! いつもいつも、見た事もない世界に飛び込んでいくその瞬間がさ!」
極めて明るい声音でそう言いきってみせるシュトラーゼ。
その自信のほどに、ミライは圧倒されてしまった。と同時に、自分自身の情けなさが思い起こされてきて、先程までのように落ち込んでしまう。
「……凄いな、シュトラーゼは。アタシなんかとは大違い」
「えっ?」
シュトラーゼが思わずといった風に訊き返してくる。その顔をミライは直視出来なかった。
「アタシ、こんな小さな一歩でも怖いんだ……」
トーキョ~☆サイキョ~☆アイドルフェスタ! は本来、プロのアイドルのみが集められるイベントである。しかしながらミライに関しては違う。どこかの事務所に所属しているという訳でもなく、秋葉原某所にあるメイドカフェのミニステージで、時々個人的にパフォーマンスをさせて貰っていただけのいわば地下アイドルなのである。
もしくは限りなくアマチュア寄りのセミプロと表現しても良い。
ところがひと月ほど前、急に転機が訪れた。ミライが通っていたメイドカフェに、たまたま足を運んでいた某・中堅プロダクションのスカウトマンが、ミライの歌唱やパフォーマンスを高く評価してくれたのである。そしてミライの意思を確認したうえで、一定の条件をクリアすれば自分たちの事務所からプロデビューさせるとの約束をしてくれた。
その条件とは、二〇一三年度「トーキョ~☆サイキョ~☆アイドルフェスタ!」に出場し、会場の出入り口に設置されている観客アンケートで一定以上の得票を集めること。
元はといえば幼い頃、街中で目撃したプロアイドルのキレッキレのパフォーマンスに抱いた憧れの延長で地下アイドルを始めたミライである。その申し出は、まさしく願ってもないものだった。こうして事務所の伝手で設けて貰った特別枠に入れられる形で、ミライはフェスタに参戦している。
……が、実際会場にやって来てみれば、そこから先はずっと緊張の連続であった。大なり小なりメディアに露出しプロとして知られている他のアイドルたちの名前が呼ばれる度、ミライは今日ここにやって来たことを激しく後悔しそうになる。たとえメイドカフェでは一番の人気パフォーマーだろうが、彼女たちに比べれば赤子も同然という気にさせられた。
「そうか……大変なんだな、アイドルってのも」
コツン、とコンクリート製の柱に背中を預ける形で、シュトラーゼは殺風景な地下駐車場の天井部分を仰ぎ見る。しばらくの間、沈黙が場を支配した。
「でもよ……落ち込むことないと俺は思うぜ? なんせ、あのマヤギスのセンサーが反応したぐらいなんだからな」
「えっ?」
今度はミライが聞き返す番だった。ミライの不思議そうな視線を受けて、シュトラーゼは腕を組んでうーんと悩むような仕草を見せてから、ゆっくりと語った。
「マヤギスってな、センスは最悪だけど発明の技術だけは凄いんだぜ……って、褒めるのも変だけどさ。俺が旅してきた色んな世界で、マヤギスのセンサーが反応したのは毎回とても価値のあるものばっかりだったんだ……。だからさ、元気出せよ。ミライが気付いてないだけで、ミライには凄ぇ可能性が隠れてるってことなんだぜ?」
「……そう、なのかな」
異次元の話同様、ミライには容易に信じられないようなことだった。あの身勝手極まりない胡散臭い科学者の発明に反応したから、自分には才能がある? そんなことってあるのだろうか。そもそも、こんなステップひとつ踏み出すのに躊躇している自分に、一体どんな可能性があるというのだろうか。
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