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オリヴィアがパリの劇場通りを走っている。不規則に揺れる視界。あのときの怪我で、脚に後遺症が残ったのかもしれない。
劇場の通用口のドアを勢いよく開け、中に駆け込む。
部屋の中は騒然としていた。狂ったように罵倒を続けるジョルジュ。それを劇団の男たちが両側から取り押さえている。必死にジョルジュをなだめようとする初老の男。女優たちはおろおろと動き回り、啜り泣く声があちこちから聞こえた。皆、劇場の関係者のようだ。
騒然とした部屋の隅に、あの日オリヴィアに嫌味を言った黒髪の女がいた。腕を布で押さえ、憮然とした表情で椅子に腰掛けている。
「――オリヴィア!」
初老の男が、すがるような視線をこちらに投げた。
「ああ、来てくれて助かった。実はジョルジュが、ジャンヌにナイフで切りかかったらしくて……」
――何ですって?
やって来たオリヴィアに気づいた途端、ジョルジュは気の触れたような声を上げた。
「オリヴィアァア!! あのあばずれが、君を階段から突き落としたんだ!! そのせいで僕らの子どもが……!! あああ!! 僕の手であの女をぶっ殺してやる!!」
「ちょっとぉ! そんなことしてないって言ってるでしょう!! 証拠があるなら持ってきなさいよ! 人殺しはあんたの方じゃないの!!」
ジャンヌが負けじと金切り声を上げる。
初老の男は、おろおろと額の汗をハンカチで拭った。
「いやぁ……あの階段の最上段に、不自然な切り込みがあったとかどうだとか、そんな噂が流れてね……そんなことをするとすれば、主役を取れなかったジャンヌじゃないかって」
「ねえ、オーナーさん!! 私は神に誓って絶対にやってないわよ! この人殺しをこのまま雇い続けるんだったら、パパにお願いしてこの劇場潰してやるからね!」
「落ち着いて、ジャンヌ。私は君を疑っていないよ、ただ状況の説明をしただけで」
深いため息を吐きながら、劇場のオーナーがこちらに向き直る。
「そういうわけなんだよ、オリヴィア。申し訳ないが、ジョルジュとの契約は今日限りということで――」
オリヴィアァア!と悪魔の形相をしたジャンヌが叫び声を上げる。
「あんたら、他の劇場に移ろうとしたって無駄だからね! この男は人殺しの狂人だってパリ中の劇場に言い廻ってやるから! 私を悪者扱いして殺そうとしたこと、一生許さない! こいつの作家生命も今日で終わりよ! ざまぁみろだわ!」
そしてまた、胸の奥の糸が一本、ぷつりと切れた。
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