追憶の先、交わす約束

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 床に転がる酒瓶。ぐしゃぐしゃに丸めた原稿。灰皿からあふれる吸い殻。  机に突っ伏して眠っているジョルジュは髭も髪も伸びたままで、服はいつから着替えていないのかわからない。全身からあふれ出していたあの溌剌とした輝きは、もうどこにもなかった。  ジョルジュ爺さんは、もう物語を書けなくなったんだ。そう思った。  オリヴィアはそっと部屋のドアを閉める。そして隣の部屋のドアを開けた。  見覚えがあった。シンプルなベッド。児童書が並べられた本棚。小さなテーブルの上のオイルランプ。俺が知っているものよりずっと真新しいカーテン。  ジョルジュ爺さんの家に泊まるとき、いつも使わせてくれた子ども部屋だった。  ――子ども部屋。いや違う。ジョルジュ爺さんの子どもは、。  オリヴィアは布団をめくり、胸に抱いていたらしい男の子の人形をベッドに寝かせた。布団を戻し、子守唄を歌いながら、その胸をとんとんと叩く。  ――もうすぐ三歳になるっていうのに、甘えん坊ね、。  オリヴィアは確かにそう言った。――リュカ。オリヴィアが空想の息子につけた名前。  突然すべてが繋がった気がした。ジョルジュ爺さんは俺の名前がリュカだったから、本当の息子のように可愛がってくれたのかもしれない。  オリヴィアは人形を寝かしつけ、ふたたびジョルジュの部屋に戻った。丸められた原稿を床から拾い上げる。それを広げた途端、息を止めた。  『千と一の夜、無限の殺戮』  ああ、とオリヴィアから絶望の声が漏れる。そして胸の奥の最後の糸が、ぷつり、と途切れた。
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