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覚悟を決め、身体の重心を下げた。――絶体絶命。俺、今日で死ぬかもしれない。
最悪の状況……のはずだった。なのに次の瞬間、死への恐怖がすっぽり抜け落ちた。
夜空から降ってくる、美しいシルエット。ゆるくカールした髪が星空にふわりと広がって、胸元の金貨は黄金の波のようにさざめいていた。薄い布に脚の輪郭が透け、アンクレットはしゃらりと音を立てる。見る間に近づくその両腕、黒目がちの大きな瞳。
飛び込んでくる身体を全身で受けとめた。――その瞬間、信じられないような感覚に唖然とする。
まるで綿のかたまりだった。予想した人間ひとり分の重みがない!
「メルシィ」
俺よりひとまわり小柄なその人が、腕の中でしおらしい笑みを浮かべていた。その見慣れない風貌にふたたび目を奪われる。
腰まで届く艶のある黒髪。その頭に被ったエメラルドグリーンのヘッドドレス。金の鱗のような布で胸元だけを覆い、小麦色の肌が透ける橙色のパンタロン(ゆるいズボン)を履いている。大きな瞳を縁取る長い睫毛が、俺を見上げぱちぱちと瞬いた。
それはあたかも、千夜一夜物語から飛び出してきたお姫様のような――だがその瞬間に、重大な事実に気づいた。
――こいつ、男だ!
ぽかんとする俺の手をとり、女装少年はパッと身を翻す。
「逃げなきゃ!」
「逃げるって、何から!?」
「検閲!」
訳もわからず、ふたりで転がり落ちるように階段を駆け下りる。
走りながらちらりと後ろを振り返ると、鉄柵の向こうにぬめぬめと蠢く黒い塊が見えたような気がした。
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