序章

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序章

c9e9135e-4a91-49f3-b861-5d487627190c 「はぁ……ッ、はぁ……ッ」 「もうちょっとだよ、頑張って!」 殆ど人気のない校舎裏に、少年たちの荒い息遣いがこだましていた。 ここは市立王羅学園高校(しりつおうらがくえんこうこう)。首都圏郊外にある、ごく普通の鉄筋三階建ての公立校だ。  唯一の特徴といえば裏手に小さな山が見える程度。  周囲を山地に囲まれた、少しばかり田舎の町にあるということだ。  雑草が伸びっぱなしの裏庭を走るのは、線が細いブレザー姿の少年がひとり。続いてそれなりにがっしりとした体格の、剣道着姿の少年がふたり。  剣道着のふたりは、外見通り現役の剣道部員たちだ。彼らは、目の前を走る一見ひ弱そうな同級生に先導され、何かから逃げおおせるように走り続けていた。  やがてそのうちの一人が、根を上げたように立ち止まる。 「じょ、冗談じゃねえよ……もう走れねえよ……」 「おい、しっかりしろよ! ここで諦めたら……」 「どこまで逃げりゃいいってんだ!」  逃走の気力が萎えつつある相棒を前に、もうひとりの剣道部員も顔に疲労がにじみ出ていた。コンクリートの壁に一度もたれかかってしまえば、あとはズルズルと体の力が抜け出てゆく。  それを見て、先頭を行くブレザーの少年は気の毒そうな表情を浮かべていた。 「……大丈夫?」 「なあ蓮河……俺たちもうヘトヘトだよ」 「諦めちゃ駄目だ。あともう少ししたら、助けが来るハズだから……」 「来たところで何が出来るってんだよ、あんな化け物相手に!」  押し殺した声で何とか励ましを送ろうとしたブレザーの少年は、不意打ちで浴びせられた罵声に顔をこわばらせる。 「それとも何か? オマエんちの信者になれば救われるとか、そういう話かよ蓮河!?」 「……別に、そういう意味で言ったんじゃ」 「おいバカよせ。蓮河に八つ当たりしたってしょうがないだろ」  相棒に冷静にたしなめられて、剣道部員のひとりが不貞腐れたようにそっぽを向く。  一方のブレザーの少年は、明らかに傷ついたような顔をしていた。  彼の名は、蓮河信二郎(はすかわしんじろう)。  故あって、ちょっとばかり特殊な家庭に生まれ育ったために、何かの拍子にこうした誤解や偏見に晒されることが、少なくない立場なのだ。  信二郎の内心に気付いたか、もう一名の剣道部員は済まなそうな顔になっていた。 「ごめんな、蓮河。こいつも悪気があった訳じゃないけど、状況が状況だから……」 「……いいよ、別に。いつものことだからさ」  言葉とは裏腹に、信二郎は少し気分が落ち込んでいた。  確かに「いつものこと」ではある。だがそれだけに、こうして善意の行動を示しても心無い台詞を浴びせられる境遇が、やはり辛くて堪らなかった。  そんな矢先、どこか遠くの方からズズンズズンと地響きのようなものが聞こえてきた。  真っ先に顔を上げる信二郎。周囲を警戒するが、それらしき影は見当たらない。  あっ、と信二郎は背後の壁を振り返った。 「まずい、逃げて!」 「「……ヒッ!?」」  剣道部員のふたりは互いに顔を見合わせてから、一瞬遅れて何かを察知した。  立ち上がって、そこを離れようとした瞬間、目の前の壁が内側から粉々に吹っ飛ぶ。 「「「うわああああ!」」」  衝撃に堪え切れず地面を転がる三人。  周囲が草むらだったお陰で大した怪我はなかったが、もはやそれどころではない。  信二郎はよろよろと立ち上がると、校舎に穿たれた巨大な穴を睨んだ。  背後の剣道部員ふたりは絶望的な顔色になっている。  即席の真っ暗な洞窟から、大地を揺るがして、身の丈二メートルにもなる怪物がその威容を露わにした。  それは端的に言うなら、直立二足歩行する牛の化け物だった。  しかも単なる牛ではない。なんと全身に剣道の防具を装着しているのだ。  右手にはご丁寧に、バカ長い竹刀まで携えている。さながら現代の鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)。  その名は牛魔獣(ぎゅうまじゅう)シナイバッファロー。信二郎たちを追ってやって来た、忌まわしい悪夢の化身だ。 「ぶおおおおおおおおおおおおお!」 「で、出たぁっ!」  吼え猛る牛魔獣を前に、剣道部員のひとりがこの世の終わりのような声を上げる。 「蓮河、助けってのはまだなのか!?」 「くそ……まだ駄目だ……まだ……」  同級生のすがる様な目線にも、そう答えるしかない自分が歯がゆい。  穴を這い出て距離を詰めてくる牛魔獣から目を離さず、信二郎は少しずつ背後にいる二人を後退させていった。 「……駄目じゃあないか……」  その時、何処からともなく聞こえてくる、また別の声。  信二郎たちが身構える中、牛魔獣の背後からまるで幽鬼の様にゆらゆらとした動きで一人の眼鏡の男が姿を現した。 「練習をサボるとは何事だ……そんな甘えた態度だから、試合で結果が出ないんだ……」 「もう! もう、やめてください柳田先輩!」 「こんな化け物に見張られ続けたら、俺たち剣道どころじゃないですよ!」 「うるさい黙れッ! 人が親切に言ってやっているのに、何だその失礼な態度はッ!」  柳田と呼ばれた剣道部のOBは、現役部員たちの悲鳴を聞いてもなお、金切り声を上げて逆上するばかりだった。信二郎の後ろで、ふたりの少年が絶句する。 「大体お前たちは、口の利き方からして全くなっていなァい! 目上に対する敬意さえ忘れるから剣道の精神を失い、あまつさえ部の練習にも身が入らないんだァ!」 「……あんた、いい加減にしろよ!」  それまで黙っていた信二郎だが、流石に見るに堪えないと感じて間に割って入る。  見ず知らずの相手に苦言を呈され、柳田は不快そうに顔をしかめていた。 「話は全部聞いた。頼んでもない人間が毎日部活に来て入り浸ったら、後輩のやる気が下がるのは当たり前じゃないか。自己満足の押し付けはやめろ!」 「目上への態度がそれかァ! たとえ部員でないとしても目上に不満を告げるのなら、それに相応しい態度というものがあるだろ! まずはそこからだァ! 分かったらもう二度と生意気な口を――――」 「――――そもそも、あんた卒業生だろ!」 「…………」  指摘を受けた途端、柳田は急に真顔になって沈黙した。  ホーホケキョ! とそれまでの緊張を揶揄するが如く、ウグイスの鳴き声が無情に通り過ぎてゆく。 「もう二か月前から大学生なんだろ? だったらもう諦めて大学行けよ! いつまでも高校の部活にへばり付こうとすんなよ! 何も結果残せなくて悔しかったのか知らないけど、ハッキリ言ってみっともないんだよ!」 「何ィ? 早口で聞き取れないぞ! もっと明確に喋れ! 社会に出るならそのぐらい常識だぞ、全く! ……おいっ、何だ? 何なんだその顔は!?」 「…………」  そのときの信二郎は、失礼は承知だが柳田に遠慮することなく、思いっきり呆れ顔を浮かべてしまっていた。背後では更に、同級生である剣道部員らのヒソヒソ話さえ聞こえてくる始末。 「あの人、都合が悪いといつも『早口で聞き取れないぞ』ってキレ始めんだよなぁ……」 「あれでバレない気でいるんだもんな……」 「聞こえているぞ、貴様らァ! よくも! 目上に向かってそんな口のきき方をォ!」 「……普通に耳いいじゃん、あんた」 「指導! 指導指導指導指導ォォォッ!」 「無視かよ!」  信二郎の冷静なツッコミもスルーして、柳田は居直ったが如く喚き立てるばかり。  それに呼応したように、沈黙していた牛魔獣が雄たけびを轟かせ、手にした竹刀を振りかざして再びの突撃を開始した。  信二郎の背後で、為す術の無い剣道部員たちのパニックの声が聞こえる。  信二郎だけはあえて、その場から一歩も引いていなかった。  目の前にいる牛魔獣の正体や、誕生経緯。  そういった事情に、この場の誰よりも精通していたという精神的余裕もある。  だが何よりも、待ちかねた救援の到着に気付いたというのが、最大の理由であった。 「――――シュウウウウウウワァッ!!」  気合い一閃、校舎裏を真っ直ぐに疾走してきた人影が高々と跳躍して信二郎たちの頭上を飛び越え、目前に迫った牛魔獣をそのままの勢いで蹴り飛ばした。  たちまち、もと来た方向に押し返されて転倒し、地面を揺るがせる牛魔獣。  近くにいた柳田が「うわーっ!」と悲鳴を上げて逃げ出すが、時すでに遅し。  衝撃で無様にもすっ転び、そのまま気絶してしまっていた。  対照的に、信二郎たちの目の前に華麗に着地するひとつの人影。  八〇年代頃を連想させる、古いタイプのセーラー服にロングスカートをはためかせ、頼もしいポニーテールの少女が顔を上げ、二カッと笑ってみせた。 「どうやら、待たせちまったみたいですね!」 「遅いよソラ! 来てくれないのかと思っただろ!?」 「不安にさせてすみません。なにぶん人払い工作に手間取りまして……思っていたより骨でしたよ、いやはや」  言葉と裏腹に、一転して安堵の表情を浮かべる信二郎。  彼にソラと呼ばれたセーラー服の少女は、信二郎の更に背後にいる剣道部員たちに気が付いてあたかもヒーローのように駆け寄ると、手を差し伸べた。 「お怪我はありませんか?」 「助けが来るって、サトリだったのか!」 「だ、誰だよこいつ」 「前に話したろ。こないだウチのクラスに転校してきた、運動神経バツグンの……」 「こう見えて、昔は番を張っていたこともあるモンでして」 「こう見えて? 見た目そのまんまじゃないか」 「ふふ、ちっぽけなサル山に過ぎませんけどね」  口を挟んできた信二郎に、小首を傾げてウインクを返すソラ。  そんな余裕めいたやり取りに、さっきまで信二郎に八つ当たりしていた剣道部員のひとりはすっかり圧倒された様子だった。 「す、すげえ……」 「そんなことより、今のうちに早く逃げてください、お二人とも」 「そうだった。ありがとう蓮河、サトリ!」 「何だか知らないけど、恩に着るぜ!」  ソラに促された剣道部員たちは、支え合うようにして慌てて遠くへと逃げてゆく。  その後ろ姿を見送ってのち、ソラは唐突に信二郎の頭に手を置くと、乱暴な手つきでガシガシと撫で始めた。信二郎は、堪らず身をすくめる。 「や、やめてよ……恥ずかしいじゃないか」 「いいじゃないですかー、誰も見てやしないんですから! それにしても信二郎、よく頑張りましたね。私が来るまでの時間を、稼いでくれていたんでしょう?」 「……別に。身がすくんで動けなかっただけさ」 「またまた、謙遜しちゃって!」  ニコニコ笑って相手を突っつき続けるソラと、少女のように頬を染めて俯く信二郎。  何だか男女が逆の様な気もするが、これが二人の平常運転なのだった。 「どうでもいいけどさソラ、キミってホント表現古臭いよね。『番を張ってた』て……一体いつの時代なのさ」 「こう見えて一応、昭和の女を志向してるんです!」 「まあキミの場合は、それですら若作りだもんね。昭和どころか、隋や唐の女だし……」 「それ言わんといてください!」  会話を続けようとしたその時、コンクリの破片を蹴散らして牛魔獣が立ち上がった。  生みの親たる柳田は横で気絶したままだが、先程と変わらず吼えまくっている。  それを見るなりソラは、一転して真面目な顔つきに変わった。 「……お喋りの続きは、こいつを倒してからのようですね。さァ、今日も行きますよ、信二郎!」 「……ああッ!」  パートナーの一声に、信二郎は自らも表情を引き締め、サッと胸元に手をかざした。  たちまち十字の光が解き放たれ、その体内から信二郎の眼前に小さな筒状のアイテムが実体化する。  セイテンスパーク――――信二郎とソラを繋ぐものだ。  それを力強く握りしめ、想いを籠めるように天高く突き上げた信二郎は宣言する。 「――――セイテン!」  信二郎の言葉で起動したセイテンスパークから、光のエネルギーが噴出する。  まばゆいばかりの純粋な光。  その傍にいたソラは、屈伸するような動きを経て地面を蹴ると、展開された光の内部目掛けて一直線に飛び込んでいった。 「シュワアアアアッ!」  光をその身に纏ったソラは真っ赤な光球に変じ、複雑な軌道を描いて学校の屋上へと着地する。光の膜がはじけて消えた瞬間、そこに立っていたのは今までと同じソラではなかった。  赤いボディに、煌めく金色のライン。  風を受けてはためく二又のスカート。  上半身を中心に要所をガードするスタイリッシュな鎧。  露出した胸元と額の中央にそれぞれ輝く宝石。  何よりも、後ろめたさを一切感じさせない美しい赤い瞳。 「聖天大聖――――ゴクウッ!!」  己を鼓舞するが如く、名乗りを上げ全身を躍動させたポーズを決めるソラ、あらため聖天大聖ゴクウ。  信二郎がそれを、頼もしげな眼差しで見上げていた。  これは、立ちはだかる困難を乗り越えるべく、手を取り合ったふたりの物語。  そんな彼らが今の関係に至ったのは、僅か半月前の出来事に過ぎない。  では、そのプロセスをもう一度見てみよう――――。 a8c104fc-4998-4aaf-b4bd-2f39125e411a
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