第三章

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「おう、薫。帰ろうぜ」  クラス全員への社交活動(彼自身は奉仕活動と呼んでいるが)を終えた嶋田は、持月が席を立つのを見計らって声を掛けた。様々な人物と交流を持つ彼だが、帰り道だけはいつも変わらず持月を誘った。持月はそれだけでも十分に嬉しかった。 「部室に本を返しに行くから、その後で良ければ」  彼は微笑みながらそう答えたが、嶋田は途端に弱った表情を浮かべ、「俺さ、今日はすぐにバイトだからあんまり待てないんだよ」と言った。  渋い顔で彼がそう話すのは、持月が本を返却する際に必ず次の目当てを探すからである。彼は人一倍時間をかけて吟味し、気分に合ったものを選ぶ傾向にあった。 「ううん、大丈夫だよ。ありがとう亮くん」 「おう。そんじゃ、また明日な!」  嶋田が教室を去るのを見届けた持月は、のんびりと階段を降り始めた。一階にある職員室で入口付近の鍵棚から部室の鍵を取った彼は、貸出ノートに名前を記入する。  文化系の各部室は部室棟と呼ばれる建物に集約されており、教室棟に隣接されていた。彼の所属する文芸部はその三階だった。  教室棟と部室棟はそれぞれが独立しており、渡り廊下は一階にのみ存在する。そのため部室へ向かうには三階の教室から一階まで降りたのち、渡り廊下を抜けて部室棟を再び三階まで上る必要があった。彼のような文化系の人間にとってはこれだけでもひと苦労である。  息を切らせながら部室の前に到着した彼は、鍵を開けて中に入った。教室の半分ほどの空間には壁際に本棚が設置され、歴代の文芸部員が少しずつ部費で買い揃えた書籍が所狭しと収められている。深緑色のカーテンが窓からの日差しを遮り、室内は薄暗い。窓際に寄ってそれを少し捲ると、直線的に差し込む光線に埃の舞う粒子が浮かんで見えた。  昨年までは持月を含めて四名の文芸部員が所属していたが、三月に上級生の二名が卒業すると、それに呼応するように残り一名の下級生も別の部活動へ移った。移籍先はオカルト部で、思えばその生徒は文芸部在籍時から超常系やホラーに関心を示していた。  部員一名では予算も割り当てられず、今年は新入部員が加入する気配もないため、文芸部は事実上廃部状態となっている。持月も時々本を借りたり読書をしたりする程度で、それ以上の活動を行うつもりはなかった。 「ふぅ。帰ろうかな」  パイプ椅子に腰掛けて持月が試し読みを繰り返すうち、気づけば一時間が経過していた。部室の扉に鍵を掛け、職員室へ返しに行くと、彼は運悪く担任の藤井先生に声を掛けられた。 「持月。ちょうど良いところに来たな」  藤井先生は顎髭を蓄えた大柄の中年男性で、やたらに声が大きく、大らかな割に妙なところで細かい性格をした人物である。昨年からの付き合いということもあり、持月も彼のことはある程度把握しているが、如何せん掴みどころがなく、まともな大人と野生動物を遺伝子配合したような生き物に思えた。 「こいつを写真部の部室に返して来てくれないか? 俺これから職員会議なんだわ」  そう言って先生が寄越したのは、ナイロンの細長いバッグだった。 「あ、はい」と持月が受け取ると、意外に重たい。写真部ということは恐らく三脚であろうと、彼は目星をつけた。 「写真部の部室ってどの辺りでしょうか?」 「えーと、確かな、三階に上がってすぐ正面だ!」  藤井先生は自信満々にそう答えたが、そこは先ほどまで持月が過ごしていた文芸部の部室である。その旨を彼が伝えると、「お前の方が詳しいじゃないか」と彼は感心したように答えた。「まぁ、ついでだと思って頼むわ!」  持月は、こういった突発的な頼みごとには慣れている。そういう体質なのだ。昔からよく道を尋ねられたり、見知らぬ外国人にカメラを手渡されたりした。嶋田からはよく善人ヅラだと言われるが、どの辺りが彼を善人たらしめる要素なのか、持月には今ひとつ理解できなかった。 「あれ、鍵がないな。じゃあ誰か居るだろうから、そいつに渡しといてくれ」  先生はそれだけ言うと、急ぎ足で職員室を去っていった。
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