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7 [回想]駆け出しの商人
役場からの帰り道は、今にも降り出しそうな曇天だった。
憂鬱な私におあつらえ向きの暗い空。
「お嬢様、あっ、いえ、ご主人様。急ぎましょう。嵐が来ます」
「ええ、そうね」
執事のセシャンが、空から庇うように腕を掲げる。
物心ついた頃からの付き合いである老齢の執事は、家族を失った私にとって、親戚のような安心感を与えてくれる大切な存在だった。
実際、祖父母が立て続けに亡くなった時の嘆きようは、凄まじかった。そのまま彼も死んでしまうのではないかと心配したくらいだ。執事のセシャンは、祖父母と共に生きた人だった。
だから、今、頼りない私にさえ仕えてくれる。
私たちは身分の隔たりを越えた、家族だから。
「……」
馬鹿なイアサント。
王族を裏切って駆け落ちなんて、どうしてそんな身勝手な事を。
その愛がどんなに素晴らしいものか知らないけれど、私たちを愛してくれた家族はみんな不幸のうちに死んでしまったわ。
そして私も今日、領土を失いかけた。
とてつもない借金を背負ってなんとか守り抜いたけれど、いつ流浪の民になってもおかしくない。そうしたら……もしそうなったら、すべてを失った私はやっとあの子の頬を叩きに行ける。
「早く帰って、せめて温かいスープを飲みましょう」
「はい、おじょ……ご主人様」
あの子もこの空の下にいる。
せいぜい、風邪でもひいて苦しめばいいんだわ。
馬車に乗り込む直前、若い罪人を引き摺る憲兵とすれ違った。
「違うデス! 俺……、俺は、盗賊なんかじゃない!!」
「?」
なぜかわからない。
私は、風に飛ばされそうな帽子を押さえて振り返った。
「外国の人だわ」
「見ちゃいけません」
「待って」
なぜか胸騒ぎがした。
浅黒い肌の逞しい、少年だ。王家との確執で情勢が不安定な今、領民は気が立っている。外国人でまして盗賊なら、酷い拷問を受け、そのまま死んでしまってもおかしくない。
でも彼は、少し訛りがある程度の語学力で無実を訴えている。
身ぎれいにしているし、服装も粗末とは言えない。
もし、罪もない人なら。
私と同じように、不幸に見舞われた無実の人なら。
見過ごすわけにはいかない。
「待ってて、セシャン」
「お嬢様!」
「いいえ、私はレディ・ドルイユよ。もうお嬢様じゃない」
私は憲兵のもとへ駆けた。
「止まって。彼の罪状はどういうものなの?」
「どきなさい、お嬢さん」
「おい」
私をあしらった憲兵を、別の憲兵が窘めた。
「御領主様だ」
「えっ!? あ、あの……!?」
「そうです」
私は顎をあげて、わざと横柄な態度で頷いた。
多少、生意気に見えても仕方ない。
そして恨まれていても仕方ない。
これ以上、このドルイユが弱っている様を見せてはいけないのだから。
「外国人ね? 見たところ、私よりも若い。少年じゃない。なにをしたの?」
「俺はやってないデス!」
「黙れ!!」
憲兵は容赦がなかった。
私はその手を掴んだ。腕力がなくても、血統がこれほど強力なのかと頭の隅で感激した。そして少年も、助っ人の登場に感激していた。
「……御領主サマ? レディ・ドルイユ……?」
それが彼との出会いだった。
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