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「……ですから何度も申し上げてるじゃないですか。明日までに帰京する必要があって、それにはどうしてもこの最終便に乗らなきゃならないんですよ。この通り料金も支払ったし、手荷物も見せたじゃないですか。空席だってあるんでしょう、なのになんで発券できないんですか」
焦ってまくし立てる僕をそっちのけで、窓口の職員は実に悠然と構えていたよ。まったく腹立たしくなるくらいにね。
そいつは女から人気のありそうな、俳優然とした顔立ちの男だった。束ねた長髪に、無精髭風の顎髭。お世辞にも、空港の事務職が似合う風貌とは言い難かったな。
「ええ、ええ。存じていますよ」何やら口元に笑みを浮かべて、奴はそう繰り返すばかりだった。
カウンターには他に職員が二人いたけど、残念ながらこの状況を打開するには、どちらもまるで頼りになりそうもなかった。元警官と思しき白髪の男に、年齢不詳の化粧が濃い女。男の方は見るからに陰険な目つきをしていやがったし、女の方は黒くてでっかいレトリバーの世話で手一杯みたいだった。……え、なんで空港に犬がいるのかって? さぁね、麻薬犬じゃないかな。
「いっそ離してみましょうか、何か見つけてくるかもしれないし」
苛立ち混じりのため息を吐くこっちをよそに、女はどっかへ行きたそうな犬を制しながら、そんな冗談めかしたことを同僚に言っていた。頭にくるじゃないか、こっちは急いでたってのにさ。
どうしてそんなに早急に帰京する必要があったのか? さぁな……今となっちゃてんで思い出せないよ。大方仕事でもあったんだろう。今となっちゃ思い出せないほど、取るに足らない仕事さ。それより、そもそもなんで、ろくに観光もせずに離島からとんぼ返りするような、クソがつくほど無意味な旅行をしていたんだっけな。僕はそっちの方が気になるね。
まぁいいや、話を戻そう。
ともかく飛行機の出発時刻は、刻一刻と近づいていた。なのに僕ときたら、未だに搭乗口どころか保安検査場にすらたどり着けず、カウンターなんぞで押し問答を繰り広げていた──否、押し問答ならまだマシだ。ありゃまるっきり、暖簾に腕押しというやつだった。
ああ、港の職員さんはみんな親身になって対応してくれたのに。いっそ翌日には帰れそうもないと、上司に連絡しようか──暗澹たる気分で、スマホを取り出そうとしたその時だった。
不意に窓口の床全体が、スライドを開始したのは。
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