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手紙
あなたにこの手紙が届いているとき私はどうしているんでしょう。
一体どこにいるんでしょう。
もしかしたらこの世界にいないかもしれません。
もしかしたら布団に寝っ転がってぼぉっとしているのかもしれません。
あなたもご存じの通り私は気分屋なので、確かなことはいえませんが、このことは別に特筆すべきことではありません。
先に進みましょう。
いきなりの手紙をあなたは驚いているでしょうか。
きっと驚いているでしょうね。
私は手紙を書くという行動を何よりも嫌っていた。
そしてそのことをあなたが一番知っているでしょうから。
私には時間がありません。
なに、物理的にないのではありません。
精神的にないのです。
あなたはこの前、並木道を歩きながら私におっしゃいました。
「君はふと目を離すとどこかにいってしまいそうで怖くなる。」と。
私はそのとき聞こえないふりをいたしました。あきれるかしら。怒ったらいやよ。
私は驚いたんです。
あなたにそんなことを抱かせていたのか、と。
まぁ、聞こえないふりをしてあなたの機嫌を損ねてしまっていたのなら謝ります。
ごめんなさい。
あなたはまた、私のことを生きることに執着していない、たとえるならば一度死んだことがある人間だと私をおからかいになりましたね。
私はそのとき泣きそうになったものです。
生きることに執着しているから、死にきれないのではありませんか。
あなたにそれが伝わっていなかったとはとても残念でなりません。
まぁ、これも結局今はどうでもいいのです。
あなたに私の生き方が伝わっていようが、いなかろうが別になにもかわることはありません。
先ほどから文章が乱れているのはごめんあそばせ。
急いでいるのです。
最近私は何かに追われている気がしてなりません。
あなたもそんな気分になったことはありませんか?
あら、また横道にそれてしまいました。ごめんなさい。
私の悪い癖です。
ではもうこれ以上横道にそれないように本題に移りましょう。
私は最後の最後になってわがままをあなたに言うことにいたしました。
私がわがままを言うことなんてなかったでしょう?
だからお願い。
私の最初で最後のわがままをどうか聞いて下さい。
ずっと私はあなたの記憶に残るまいと必死の努力をしてまいりました。
いつか消えていなくなっても気づかれぬように。
思い出なんかすぐ消えてしまうように。
あなたの人生の重荷になりたくなかったのです。
なにを馬鹿なことを言っているのだとあなたは今、私を馬鹿にしたでしょう?
では思い出して下さい。
私とあなたが出会ったのはどこでしたか?
思い出せないのではないですか?
思い出せたとしても、それはきっとゆがめられた真実だ。
人間なんて、人間の記憶なんて思い出なんて一番信用できないことを、あなたが一番ご存じでしょう?
どちらにしろ、思い出せなくともわたしはそれでかまいません。
それが私の本望だったんですから。
さっきから言ってることが矛盾していますね。
そうなのです。
私は最後にあなたを煩わせたくなったのです。
面倒な女でしょう?面倒な女はあなたはお嫌い?
嫌いなら嫌いなままでいい。
でもどうかこの手紙は最後まで読んで頂きたいのです。
私は嘘つきでした。
どうしようもないぐらい嘘つきでした。
あなたは気づいていたかしら?
あなたにさえ私は嘘ばかりついていました。
嘘とはいけないことでしょうか。
あなたはどう思う?
あなたは正直な人だったかしら?
私にはわかりません。
私の周りには嘘で塗り固められた壁がいつだってあります。
ですから私はあなたの本当の顔を知りません。
あなたはどんな声を本当はしていたのでしょう。
どんな笑顔で私を見ていてくれたのでしょう。
わかりたいといつだって私はもがいていました。
いまだってあなたの顔がどんなだったのかこれであっているのかわかりません。
そしてわかりたいと泥水の中をもがいています。
けれどただ一つ、私には答え合わせをしようという気力も、時間ももうないということだけはわかります。
もうどうだってよくなったのです。
生きようともがくことが馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
私の人生は後悔ばかりでした。
あなたと出会ったことでさえも後悔です。
あそこで引き返していれば私は苦しまずにすんだのに。
どうしてなんでしょう。
思い出に残るまいとするなら、あなたに近づかなければよかったのに。
後悔ばかりです。
いつだって後悔に追いかけられています。
でももう逃げることはやめようと思います。
疲れたのです。
どうでもよくなったのです。
ですからいつでも死ねるようにあなたに手紙を書いています。
私の唯一の心残りはあなたに忘れ去られてしまいはしないかという不安だけなのですから。
どうか私を忘れないで下さい。
きっと私の顔などあなたはもう思い出せないでしょう。
それでもいい。
それでいい。
私という漠然とした存在が生きていたことを忘れないでいただきたいのです。
私は貪欲な人間です。
どこまでもわがままで傲慢です。
最後になるときになって躊躇します。
意気地なしなのです。
どうかお笑いになって。
いいのよ。
私が馬鹿であることなんて自分が一番わかっているものなのですから。
あなたは今どんなことを思っているのかしら。
青ざめているかしら?
あなたはとてもお優しいものね。
でもその優しさは人を傷つけることもあるのです。
優しさとは難しいものね。
なに、あなたはあなたのまま生きればいい。
あなたは人間なのだから。
一人の孤立した生物なのだから。
あなたは何も考えずただあなたらしく歩いて下さい。
ただこのつまらない女の忠告を頭の隅に置いていただければ幸いなのです。
それだけなのです。
ああ、ここまで書いているけれどどこまでも私は馬鹿みたいですね。
思いのまま書きたいのに筆が思うように進まない。
どうかこの手紙をお読みになったら私のことはあなたの心にだけ止めて下さい。
重荷になるでしょうね。
重荷にしたいのです。
人はもろいのです。
誰かが覚えていなければ存在はなくなってしまうのです。
だけど私はあなたに憶えていてもらえるだけで幸せなのです。
はた迷惑な幸せでしょう?
でもお願い。私を忘れないでちょうだい。
そろそろ時間です。
永遠にさようなら。
あ
なたはあなたらしく生きて下さい。
あなたらしくなんて言葉はごまかしにしかならないけれど、あなたはあなただけの世界をみつけて下さい。
そして矛盾ばかりのこの醜い女を覚えていて下さい。
どうかあなたが人々に幾筋ものひかりをもたらしますように。いつまでも世界をその瞳で写して下さい。
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