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その1,西川雄治の憂鬱~恐怖のプレゼントのその後
モデルの仕事は報酬が入るとはいえ、西川雄治にとっては暇つぶしの遊びのようなものである。
大事なことはのめり込まないこと。
芸能の世界は一度喝采を味わえばもっともっとと欲しくなる麻薬のようなもので、満たされ続けている時はいいが、いったん渇望すれば、満たされるためになんでもしてしまう危うさがある。
そういうモデルや歌手、女優俳優たちを西川雄治は見て幼少期を過ごす。
親は大手の芸能事務所を経営している。
ルーツをたどれば出雲の御国までたどれるという歌舞伎の店から発展したという。
西条グループに所属しているが、表向きの看板にはそのようなものを匂わせるものはなにもない。
ひと昔前とはちがって、暴力団とつながりがあるとみなされれば芸能界ではやっていけなくなる。
それ故、西川プロダクションはまっとうな経営方針と健全な営業活動をモットーに、若手からしわがれた老齢のベテランまで多くかかえている。
西川雄治はその西川プロダクションの次男で、姉はフランスの香水モデルに日本人初で起用され、美貌とあふれる気品で一躍注目されたモデルである。
姉は西川雄治を溺愛し、着せ替え人形のようにいろいろ流行ファッションを試され、連れまわされ、大人たちにもまれたこともあり、高等部に進学するまでには、ひどく目や舌は磨かれ、服も恋愛も飽きるほど取り替えることになった。
普通の大和薫英学院での寮生活は退屈極まりなかった。
その退屈な生活を面白いものに変えてくれるのが西条弓弦の存在であった。
彼の周りにはいつも何かがひりひりと緊張していた。
西条弓弦を中心に小さなマウントの取り合いの小競合いを見るのは人間性がかいまみれて面白いと思うし、その仲裁をするのも、子供のころから欲望の渦巻く世界を見ていた西川雄治には容易かった。
あなたはいずれ日本に収まらない男になるんだから、日本的なものはしっかりとマスターしておきなさい、という世界的モデルの姉の言葉に従い、柔道や弓道、合気道といった格闘技はかなり真剣に取り組んだ。
格闘技的な体育の科目も多い大和薫英で、強くて甘いマスクにおしゃれな西川雄治は、いつの間にか四天王西条弓弦の右腕と目されるようになっていた。
この日はあの、学院を震撼させた事件がもみ消された翌週の日曜の午後である。
アールデコ調の寮一階ラウンジには新緑のさわやかな風が吹き込む。
採光のために玄関を大きくひらき、反射板をスタッフが持ち、ソファに座る西川雄治の顔に自然光を当てていた。
モデルの仕事も別に断ってもいいが、お気に入りのテーラーがぜひにとお願いをするので、どこか別の場所に行くのも面倒だから学院で完結するならばという条件でモデルの仕事を受けることにした。
撮影に適した場所は学院にはいくらでもあった。
白壁と紺碧の男子寮の外見と贅を凝らした内装は、このままフランスのホテルであるといっても通用しそうである。
新作のジャケットを着る。彼女とデートするのに羽織りたくなるようなジャケット、というコンセプトなのか。
ふんわりワンピースのモデルが周りをうろつき、きつい香水を振りまいていた。
「そこ、カメラに映るから少しごめんね~」
次第に撮影していることに気が付いた学生たちが、エントランスの内側のカメラマンの背中側に集まってきていた。
「はい、そこでりんちゃん、雄治くんの肩に触れて~、雄治くん笑って~」
作り笑いをする。
「もっと優しくわらってくれる~??」
カメラマンの駄目出しに、退屈な仕事で笑えるかと思う。
その時、カメラマンの後ろの学生たちの中に、じっと自分を見つめる藤日々希を見た。
彼は、なぜか周囲の大ぜいの同年代の友人たちとまとう空気が違う。
何が違うのかわからないが、さらっとみても、引き返して見たくなるような少年だった。
はじめは、人前で震える声に、臆病なヤツと思う。
関節が白くなるまでにぎりしめてそれでも最後までなんとか発言する姿に、次第に馬鹿にする気持ちは失せた。
彼は、極度の人前恐怖症だった。
西川雄治の周りは、わたしが、わたしが、と他人を蹴落として前に出て誰よりもうまみを吸い、気に入られて引き立てられたいと欲望むき出しにする者ばかりだったから、今すぐ自分の存在を消してしまって周囲の空気に溶け込みたい、という消極的な姿勢の藤日々希に、余計に興味が引かれた。
一度気になれば、どんどん気になる。
彼が、いつの間にか、あの傲慢な北条家の息子、和寿にやけに気に入られて付きまとわれていることも知る。
北条和寿にあまりいい噂をきかなかった。
西川プロダクションで抱える美を売る者たちと比べても和寿は秀麗であったが、それ故に全てが自分の意のままになると思う傲慢な態度をとり、友人になりたいと思う相手ではなかった。
いままで和寿がしてきたように、好意を持って近づいてきた女を適当に食って、捨てて、といった藤日々希の未来を見てしまう。
なら、自分の特別な人であるとアピールして北条和寿を退けてやろう、と思ったのだ。
その思い付きに、心は浮き立った。
横暴な和寿から守ってやって、必死にすがりつかせたいと思ったのだ。
藤日々希の笑顔が似合いそうなプレゼントを送ろうと考える。
誰もが贈れるわけではない高価で価値のある特別なヤツだ。
時間が経てばたつほど、愛着や味わいが増し、なおかつ資産価値が上がる可能性があるものがいい。
私服の藤日々希は、ありえないほどダサかった。
グレーのパーカーに薄汚れたジーンズ。裾たけももう少し長ければ足を長く見せるのにくるぶしの位置である。
外見を良く見せようとする努力が見られないのは、田舎育ちだからだった。
今日の彼もいつものその休日の服装である。
バリエーションも極端なほどすくない。
彼にこのジャケットを着せればどうなのか。
靴はスニーカーではなくて革靴で。
シャツは、靴下は、そして下着は……。
西川雄治は夢想する。
撮影中、ずっと藤日々希の視線を感じる。
藤日々希はテーラーの近くにいた。
そうだ、テーラーに自分の服だけでなくて彼の服も作ってもらおう。
自分好みに頭のてっぺんからつま先まで染めるのだ。
自然と頬がゆるんでしまう。
「雄治くん笑顔がいいね~!」
カメラマンの賛辞が飛ぶ。
撮影が終わり片付けが始まる。
モデルが話しかけるのを制し、西川はためらいがちに向かってきた藤日々希に笑顔を向ける。
「モデル、素敵でした。それからこれを返そうと思って」
藤日々希はちいさなスクエアの箱を持っていた。フランクミュラーの箱だとすぐにわかる。
だが受け取るつもりはない。
身に着ける姿が見たいと思うが、身につけなくても持っていてもらうだけでもいいと思う。
今でなくてもいずれ時期が来れば手に取るはずだった。
それほど高価で価値のあるものだから。
「もらっておいて欲しいといわなかったかな。それから、この後時間があるのなら少し付き合って欲しいんだけど。懇意にしているテーラーがきているから、君のもついでに見繕ってもらおうかと……」
藤日々希は少し困った顔をした。
その時、藤日々希はバランスを崩しかける。
腕を強引に腕を引かれたのだ。引いたのは北条和寿。
「おい、なにあぶら売ってんだよ。お前の休日服最低なんだよ。俺のいらない服やるっていってるんだから、処分に付き合え」
なかなか傲慢な物言いである。
いらない服を引き取らせて喜ぶものなどいない。
「ひびきくん、古着じゃなくていいのがあるよ。日本未上陸のカジュアルブランドで君に似合いそうなものがあるんだ。僕にコーディネートさせてほしい。遠慮しないで。すべてプレゼントで……」
西川の胸に箱が押し付けられ、思わず受け取ってしまった。
「すみません!きちんと頂いたお礼も伝えられず申し訳なかったです!いただく理由もありませんし、いつまでも部屋にあるのも落ち着かないのでお返しいたしますね!僕に似合うと思ってくださったのは嬉しいです。次に自分で時計を選ぶときの参考にします!」
「え……?これは君のだから」
「和寿を待たせているので、これで失礼します!」
すっきりとした笑顔で藤日々希は踵を返した。
西川雄治は箱を手にその背中を追う。
いつまで見ても、その背中は振り返ることはない。
自分の色気と好意のプレゼントは、藤日々希の気持ちにひとかけらの影響力をもっていないことに呆然とする。
潔い背中に、事件を思い出す。
藤日々希は臆病で震えるだけの、かわいい小動物のような少年ではなかったのだ。
自分も咄嗟に動けなかった場面で、真っ先に刃の前にたつ度胸と勇気をもっていた。
藤日々希は体の中にナイフのような鋭さと強さを持っている。
ナイフを包むサヤが優しく臆病に見えても、それだけを見て愛玩するには、藤日々希は足りない。
今ここで彼を追いかけ、和寿から奪い、彼の人生をこの手の中に包んだとしても、いずれは刃を突き立て逃げ出すかもしれない。
そんな予感がした。
「雄治くん、これから部屋で服を選ぶの?わたしも同席してもいいかな?」
モデルがなれなれしくいう。
「それに、なにその箱。見せて?」
恋人役をしただけで、モデルは勘違いしている。
甘いマスクの男なんて見慣れているだろうにと思う。
だが、このマスクは藤日々希には全く通用しなかった。
媚をうりしなだれかかるモデルに対し、いつものように作り笑顔を向けるのも面倒だった。
ちやほやされていた自分が馬鹿らしくなった。
感じるのは敗北感。
それと同時に藤日々希に自分を認めさせたいという気持ち。
そんな気持ちを誰かに抱くのは初めてだった。
予定通りテーラーは西川雄治の部屋で採寸を済ませた。
成長期で定期的な制服の作り変えは欠かせない。
初めて返されたプレゼントは勉強机の上に置いた。
あれから藤日々希が和寿のおさがりを着ているのを何度も見かける。
強制されているわけでもなさそうである。
そんな服にはフランクミュラーは似合わない。
西川雄治は悟らずにはいられない。
プレゼントは高価である必要などなかった。
誰から贈られるかが大事なのだ。
使い古しのいらなくなった古着でさえ、喜ばれることだってあり得るのだ。
だから。
再び誰かに何かを贈りたくなった時。
その人にとって喜んでもらってもらえるような、イイ男でありたいと思ったのだった。
西川雄治の場合 完
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