ー運命のロク

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ー運命のロク

 電柱が落とす灯りをいくつも越え、近所をぐるっと一回りしたけれども、ぼくはどうしてもあの家へ帰る気にはなれなかった。  三津谷さんと出会ったあの公園へ入り、電灯のそばのベンチに腰をおろした。  ロクちゃんが珍しくおとなしい。  ぼくの足の前で伏せをして、なにもかもわかってくれたような瞳で見つめている。 「人夢くん?」  ぼくがロクちゃんを撫でていると、長い影が被さった。  顔を上げれば、小さなビニール袋をさげた健ちゃんが、こっちをうかがいながら歩いてくるところだった。ちらっとロクちゃんを見下ろす。 「犬の散歩?」 「うん……。え、健ちゃんはどうして?」 「いや、ほら」  健ちゃんはビニール袋を持ち上げた。 「いま、コンビニへ行ってきたんだけどさ、なんか人夢くんの姿が見えたから」  どこか心配そうに、そしてなにかを探るようなまなざし。ぼくは思わず俯いた。  その途端、沈黙が流れる。  すぐに去っていくだろうと思っていた健ちゃんは、なぜかぼくのとなりに腰を下ろして、デニムの長い足を組んだ。 「そういえば、その犬、ロクって名前だよね」 「うん」 「たしか、勇気んところからもらったんだよな」  ぼくは軽く頷いてから、「えっ」と声を上げた。ベンチの背もたれにそっくり返っている健ちゃんに目をやる。 「え? 人夢くん初耳?」 「うん……」  ロクちゃんは三津谷さんからもらった……。  そうか。だから、あんなになついていたんだ。 「勇気はもともと、野球つながりで善之さんと知り合いで、善之さんの弟が犬をほしがってるからってことで、飼っていた犬が産んだのをあげたらしいよ。それが……」  健ちゃんがロクちゃんをさした。その指先を、今度は自分のこめかみへ持っていって、ポリポリと掻いた。 「人夢くんてさ、もしかして、お兄さんたちとあまりうまくいってない感じ……?」  不意にやってきた、怖れていた質問。ぼくは、健ちゃんをただ見つめることしかできなかった。 「あ、いや。ごめん。余計なお世話だったら、聞き流してくれて構わないから」 「ううん」  と、ぼくが首を振ったのには、お兄さんたちとうまくいってないのを否定したい思いと、健ちゃんの優しさをむだにしたくない思いの両方があった。  なかなか帰る決心がつかなかったのは、あの家にぼくはいるべきじゃないと気づいてしまった……からじゃない。 「ただ、篠原さんて……あ、豪さんのことだけど、あの人結構キツいこともずけずけ言うだろ? ホトケの勇気も、あの人は好かないみたいだし」  ぼくは、その豪さんがさっき放った言葉を思い出した。 『弟がほしいなんて望んだ覚えはねえし、だいいち──』  どくん、と胸が鳴った。 「『チビ坊主』とかってからかわれてたみたいでさ。勇気、なかなか背が伸びないの、めちゃくちゃ気にしてるのに。あいつの前でうっかり豪さんの話題を出すと、たちまちキゲン悪くなるから」  最後のほうは半分独り言みたいな健ちゃんの声を耳にして、ぼくはきょうのお昼休みのことを思い出した。  もしかしたら、あのとき三津谷さんの機嫌が悪くなったのは、豪さんの話になったからだろうか。久野さんが、ってことじゃなく……。 「え? リエちゃん?」  健ちゃんがそう返事をして、心の中で呟いていたはずのものが、じつは声になっていたことに、ぼくは気づいた。  慌てふためいて、お昼休みのことをつぶさに話してしまった。 「それはかなりヤバいな。人夢くんと豪さんのことをリエちゃんに言っちゃったの、しっかりバレてるし」  あごを撫でながら、遠くに目をやる健ちゃん。  その横顔を見て、ぼくはずっと不思議で仕方なかったことを訊いてみた。 「ねえ、健ちゃん。三津谷さんと久野さんて、フウフみたいな仲なんだよね?」 「フウフ? ……あ、まあ。そんな感じっちゃあ、そんな感じだけど」 「じゃあ、久野さんはなんで、三津谷さんの前で豪さんのことを口にしたのかな? 三津谷さんが怒ることはわかってたはずはのに」  どうやら、健ちゃんの頭をも悩ます疑問だったみたいで、何回か首をひねっていた。 「あー……きっとあれじゃない? 勇気をちょっと妬かせてみたかったとかの、複雑な女心」 「複雑な……」 「そうそう。なんにせよ、あいつらつき合い長いからさ。人夢くんがそんなに気にやむことないよ」
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