ー運命のロク

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“本物以上の兄弟”  その言葉を噛みしめると、がらりと変わった環境がもう一回りして、新しい世界を見せてくれるような気がした。  たとえ、豪さんがぼくを認めてくれなくても、ニセモノはニセモノなりにがんばろう。  広美さんから英気をもらい、家に帰れる一歩を踏み出せたとき、今度はロクちゃんが動かなかった。お座りの格好のまま、家とは反対の道をじっと窺っている。 「ロクちゃん、なにかいるの?」 「ほら、帰るぞ」  広美さんが無理やり綱を引っ張ると、ロクちゃんはゆっくりと腰を上げた。  なんとなく名残惜しそうに見える後ろ姿。ぼくは、そのだらりと下がっているしっぽを見つめながら、湿っぽい夜風の帰路についた。  次の日の朝、空はグレーの雲に覆われていた。  朝ご飯を終えたあとのひととき。大体の身支度も終え、自分の部屋の窓から空模様を眺める。いまは降っていないけれど、いつ崩れてもおかしくない天気だ。  一清さんと豪さんは、ついさっきまで、いつもと変わらない感じで一緒にご飯を食べていた。 『喧嘩をしてもそうは引きずらない』  広美さんがゆうべつけ加えてくれた言葉は正しくて、同じ席にいたぼくが安堵したのは言うまでもない。  しかし、話しかけることはできなかった。 「いってきます」  返ってくるものがなくても、声をかけてから家を出る。  きょうは傘も持った。  家を出てから最初の角を曲がると、少し先に、あの公園が見える。湿気を含んでいるからか、緑がとても色濃く感じられた。  園内に目をやりながら通りすぎようとした瞬間、ぼくの足が止まった。この時間には会わない珍しい姿が、あのベンチにあったからだ。 「三津谷さん……」  大また開きで座り、三津谷さんは地面を見据えている。ズボンのポケットに両手を突っ込んで、どっしりと腰を下ろしている。  それが、恐いくらい別人に見えた。  久野さんのことで、まだ機嫌が直っていないのかもしれない。  ぼくは、近寄りがたいオーラを感じ二の足を踏んでいたけれども、野球部の朝練にいるはずの三津谷さんがなぜここにいるのか気になって、ゆっくりと近づいてみた。真正面からじゃなく、ちょっと遠巻きに進む。  距離が縮むにつれて、そのうち足音で気づくだろうと身構えても、三津谷さんの視界は少しもぶれなかった。となりに立つ位置まで来たって、まったく反応がない。  とても声をかけづらく、まずは、持っていた傘で気づいてもらおうと、三津谷さんの視界にある砂を掻いた。  顔がようやく上を向いた。 「お……はよう」 「あ、ああ」  ぼくを見ても、別段びっくるするふうでもなかった。  なにか言ってくれるのかと思ったら、三津谷さんは固く口を閉じ、視線も外す。  ベンチから立ち上がると、ぼくを気にすることなく歩き始めた。 「み、三津谷さん!」 「ん?」  なにがきっかけかわからないけど、振り返った三津谷さんの顔は、いつもの穏やかさで緩んでいた。  ぼくは小首を傾げつつ横に並ぶ。どちらからともなく、学校へと向かい歩き始めた。 「そういえば三津谷さん、きょうはずいぶんゆっくりなんだね」  大通りに出たところで、ぼくは思い切って話しかけた。 「野球部の朝練、きょうはないの?」 「ああ。テストが近いからな」 「あ……っ」  そうだ。そうだった。一週間後には試験が始まるんだった。 「だからか知らねえけど、きのうはみっちりしごかれてさ。家に着いたのなんて八時だぜ」 「うわあ。大変だね。あ、三津谷さんて、帰りもこの辺通るの?」 「あ、ああ。まあ」  べつにおかしなことを訊いたわけでもないのに、三津谷さんは返事をにごした。  しかも、急に足を速める。  そのとき、ぼくの肩に手がのっかり、背中に強い衝撃があった。そうしていきなり視界に入ってきた人物は、もう片方の腕を、ぼくから離れかけた三津谷さんの首に巻きつけた。 「勇気、人夢くん。おっす」  そう言って顔を見せたのは健ちゃんだった。  元気のいい弾んだ声と、三津谷さんに負けず劣らずのまぶしい笑顔。この天気や空気を吹き飛ばす勢いがあって、ぼくは内心で安堵していた。 「おはよう。あ、健ちゃん、きのうは……」  ゆうべのことで改めてお礼を言おうとしたら、健ちゃんが人差し指を口に当てて、軽く首を横に振った。  いきなりだったから、その理由を考える間もなく、ぼくはとっさに口を閉じた。 「勇気。ゆうべは、なんで俺をシカトして行っちゃったんだよ。ベンチから手を振ったのにさあ」  ぼくから離れて、健ちゃんは今度、三津谷さんの背中に覆い被さった。  しかし、すぐに弾かれてしまう。 「なあ、勇気?」 「お前じゃないと思ったからだよ」 「じゃあ、だれだと思ったのかな?」 「……さあな」  二人の会話に耳を向けていたら、三津谷さんと目が合った。  すかさず、そのあいだに健ちゃんの体が入ってくる。  三津谷さんは前を向き、ぼくらを置いていくように早足で歩き出した。 「なんだかなあ」  健ちゃんはそう呟くと、肩をすくめた。頭を掻きながら、三津谷さんを追う。となりに並んで、また話しかけていたけど、三津谷さんは顔を動かすこともしなかった。  始まったばかりなのに、なにかがもうずれてきているような、変な緊張感。ぼくは、二人とは一定の距離を保ちつつ学校へと向かった。
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