終点のない環状線

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終点のない環状線

 三食好きなものを食い、帰宅後は好きなだけテレビを見て、休日も好きなだけ寝る。洗濯と掃除は、休みの午後にまとめて片付ける。手間暇かける自炊は最初から諦めて、駅前の弁当屋とコンビニ弁当で手軽に済ました。最近は、駅前の居酒屋やファミレスの世話にもなっている。  当初、気楽な疑似独身生活に浮かれていたが、日が進むごとに心がゆっくりと淀み、「慣れ」という病に蝕まれていった。  会社と家庭を往復する単調な日々。妻がいた時も行動パターンは同じだったが、彼女の存在が多少なりとも紛らわしてくれていたのだろう。ところが独りになったことで、己の状況が浮き上がってきてしまった。  俺にはこれといった趣味もなく、親しく付き合う友人もいない。出世欲も金への執着心もないから、仕事へのモチベーションも高くない。ふと立ち止まって周りを見回してみたら――まるで自分が、環状線のレールの上を惰性でグルグル走るちっぽけな電車に見えてきたのだ。乗客もなく、目的地もない。ストレスもないが、達成感や充実感も得られない。  あと2ヶ月もすれば、妻は帰ってくる。俺は家事から解放され、いくばくかの会話が生まれるだろう。それでも、生活に張り合いや潤いが出来る訳じゃない。この先も車輪をすり減らしながらグルグル回り、ゆるゆると干からびていくだけだ。 「普通に働いてきただけ、なんだけどなぁ……」  金曜の夜。飲みに行くのか、遊びに行くのか、ワイワイと連れ立ってはしゃぐ人々とすれ違った。その度に、疲弊した心から虚しさが滲み出し、足が身体が重くなる。溜め息を吐くと、駅前広場のベンチに腰を下ろした。 「おじさん。コレ、どーぞ」  缶コーヒーを飲もうとした時、目の前に、白いハンペンがニュッと差し出された。 「えっ?」 「もらってくださぁい」  派手なピンクのジャンパーを着た若い女の子が押しつけてきたのは、ハンペン――じゃなくて、薄いが大きめのポケットティッシュだった。 「あ、あぁ……」  あって困るものでもない。上着のポケットに捻じ込もうとして、なんとなく裏返した。どうせ風俗か金融関係の広告カードが差し込まれているんだろう。紙だけ抜き取って、帰りに捨て――。 『安心・安全・ヒーロー体験。その一撃が、人生を変える!』  奇妙なキャッチコピーの下には、すだれ頭の中年男が、赤いメットの戦隊ヒーローと肩を組んで、白い歯をキラリと覗かせていた。 「なんだこりゃ?」  新手の風俗だろうか。苦笑いして、チラシを抜く。ティッシュだけポケットに押し込むと、行き交う人の動きを眺めながら、缶コーヒーをグビリと飲んだ。 「……ここ、か?」  およそ風俗店が入っているとは思えない雑居ビル。足を運んでしまった理由は……よく分からない。ただ、あのまま誰もいない家に帰って、いつも通り適当にテレビを流したまま、朝方までリビングで寝入って迎える週末に、うんざりしただけだ。  店構えを、入口を覗くだけ。  スケベ心が皆無かと問われれば……どうだろう。妻とはずいぶんご無沙汰だけど、別にしたいとも思わない。そのことに彼女も不満を持っていないようだし……って、そんなことはどうでもいい。 「いらっしゃいませ! 初めての方ですね! 無料体験をご希望ですか?」  エレベーターで5階。チョロッと上がって、ササッと覗いて、パパッと帰るつもりでいた俺は、エレベーターのドアが開いた目の前が受付になっていることに動揺し、案内嬢に腕を取られるまま、うっかり店内に足を踏み入れてしまった。
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