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長いと思われた移動時間は、意外にもあっという間に過ぎた。何を話せば良いかなどと考える暇もなく。他の人の相手をするのと同じように、私にも気を遣ってくれたようだ。雑ではなく適度な丁寧さで。
一つ確信しているのは、この記憶力の良い彼が、あの時のことを忘れているはずはないということ。
『よくわからないが何かに逆切れした入山』
くらいにしか思っていないかもしれないが、おそらく覚えている。
何を考えていたのか、少し聞いてみたい気もするが、あの時はどうとか、もう蒸し返すつもりはない。これから一緒に働く時間が増えるのに、ややこしい昔話など要らない。
けれどそれを聞かない代わりに、聞いてみたい事が一つある。単なる好奇心か興味か。案外簡単に答えてくれそうじゃないか。
「──ヨーグルト、ごちそうさまでした」
「……いつの話だよ」
ひと月前ですね。
「冴島君も食べた?」
「あー、食べた、ガンジー牛な。あれめっちゃ濃かったな。けど俺はあの店のシンプルなので十分、高いのは濃すぎてヨーグルトって感じがしない」
「わかる。私あれからまたはまっちゃって、会社帰りに何度か買いに行ったけどプレーンが一番好き! 美味しいよね。あ、ところであの空瓶どうした?」
「……捨てた」
「えっ、もったいな!」
食べ終わった容器には全然見えない、シンプルだがかわいい小瓶は、気に入って棚の上に飾ってある。小さな花を飾るのもいいし、私はなにか小物を入れようと思っている。
「しかし食べ物のこととなると、生き生きと話し出すな」
「そりゃそうだよ、一応食品業界にいますから、興味なかったらだめですよね」
「まあ、そうだけど」
雨はしとしとと小降りになり、雲の隙間から青空が見え始める。
会社に到着するまで、あと数分。
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