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虎の尾を踏む Tread On The Tigers Tail
西の都。
人口三千万人の巨大都市メガロポリスと周辺のスラム街の境は、名だたる非合法組織プラウドの根城である。メガロポリスの政財界にも深く食いこんで、互いに利用し合っては、不法な利益を一般市民から巻き上げてきた。
だが、外部勢力との抗争に非人道兵器を使用したと報道されてからというもの、世論の手前、警察と公安による捜査と監視は、かつてないほど熾烈を極めた。
プラウドの下部組織ラガマフィンからも、見せしめに逮捕される者が続出した。ここで、組織が弱体化したと噂が流れた日には、縄張りを虎視眈々と狙う周辺の組織暴力団はじめ、大小のならず者集団につけこまれるのは目に見えている。
追いこまれるほど虚勢を張るのは、暴力を得手とするボス猿タイプが集まる組織には普通に見られる現象だ。ラガマフィンも例外ではなく、組織を総動員して縄張りの警戒に当たっていた。
しばらく鳴りを潜めていた虎部隊が再び出現した、との噂が広まったのはそんな折のことである。もっとも、虎部隊のアジトが破壊されたと知るのは、日米中の政府と諜報機関の上層部に限られ、当のプラウドでさえ把握していなかった。
虎部隊がすでに撤収したとも露知らず、この界隈は一段と不穏な空気に押し包まれていた・・・
血の気の多い若手ラガマフィンは、虎部隊と聞くととりわけ激しい敵意をむき出しにする。そこには功名心をくすぐる歴史が絡んでいた。
都市伝説ともなった過去のいわゆる「レッド・マンデー事件」は、彼の国のミュータント兵士を、史上初めて民間人が倒した逸話として、世界的に知られている。ラガマフィン側にも多数の死傷者が出たが、当時は地域のいち武装自警団にしか過ぎなかったラガマフィンが、一躍勇名を馳せた出来事でもあった。
事件は日中政府が折衝を重ねて決着を見た。外国の特殊部隊員を民間人が襲うというおよそ常識では考えられない事態だったが、中国側のスパイ容疑を不問に付すことを条件に、休暇中の中国軍人の逸脱行為が原因と発表して、両国政府は手を打ったのである。
事件の真相を知るラガマフィンの幹部と戦闘の生存者は、その後プラウドに引き抜かれている。
「難儀やな~・・・だいたい、プラウドの連中はなんやねん!大卒やら弁護士やら会計士やら、高等教育を受けたお高く止まった野郎ばかりや!汚れ仕事は全部おれらに押しつけくさって!・・・」
何かといえば根性主義に走るラガマフィンの幹部たちは、全天候スーツなど柔な堅気連中が着るものだ、と決めつけ頑として受けつけない。
張りこみ任務とあって、定番の戦闘服ではなくカジュアルな服装だっただけでもいくらかましとは言え、下っ端の三人組はすでに汗まみれだった。
初夏の蒸し暑い日に、コンクリートまみれの街中を、いつ現れるとも知れない標的を求めて所在なく歩き回るのは、実に割が合わない仕事だ。二時間も何の成果もなくうろつき回った挙句、小太りのラガマフィンは早くも音を上げて、仲間に愚痴をもらした。
「・・・このくそ暑いのに、退屈な張りこみなんざお断りや!シマのショバ代を回収するんが、わいらの仕事やないか?今日は日曜やで。本当なら今ごろは、冷房の効いた店におってな、店主の奢りでアイスコーシーを飲んでやな~、地元のねえちゃんたちと仲ようしてるはずや」
お宝の号外は破られるわ、またも痴漢扱いされるわ・・・散々な目におうただけで沢山や。虎部隊の連中が大騒動を引き起こしたばっかりに、とんだとばっちりや、とふて腐れた。
すると、仲間の二人がとりなすように口々に言った。
「なんなかんち言いなんな。聞いたで~、この虎部隊のデータは、お前がシンから預かったんやて?頭が切れるやっちゃ!俺らが虎部隊をとっつかまえたら、プラウドに認められるでー、シンはそこまで考えてくれてるんや」
「そうや、シンはお前を気にかけてくれてるんとちゃうか~?あいつはプラウドに引き抜かれても、ちっとも変わらへん。下積みの苦労を知ってるさかいな。ほんま、見上げた奴っちゃ!」
三人は気心の知れた幼馴染同士である。ズバズバ本音を言い合っては、時に殴り合いの喧嘩にもなるが、必ず元の鞘に収まる。腐れ縁というやつだ。
絆の強い地域社会にしばしば見られる現象だ。都市部にありがちな丁寧だが冷たく距離を置く人間関係とは大きく異なる。
こうした地域共同体には、人間関係の安全弁がいくつもあって、下手な核家族社会より遥かに健全な対人関係が、自然に育まれる。言うなれば、人類本来の小規模な群れの心理力学がうまく機能する。
言われてみたらその通りかもしれへん・・・わいも将来設計せなあかん歳や。おかんにも心配かけっぱなしやし・・・
仲間の言葉に気を取り直したラガマフィンは、しようがないと口をつぐんだ。
そう言や、虎部隊のロケット弾の直撃を食って、シンの兄貴はマイカーを蒸発させられたんやった・・・そりゃ頭にくるわな~と、思いつつ、ふと目を上げた瞬間、固唾を呑んだ。
興奮気味に、しかし小声で二人に話しかけた。
「おい、顔を動かすんやないで・・・わいの十一時方向や!手配写真にヒットしたど!」
広い大通りの路面は、荒れ果てたまま放置されている。エアカーなら路上を通過できるが、ラガマフィン一味はスラム街の周囲に私用検問所を設けて、通行を監視している。対立組織の襲撃を警戒しての措置だが、一般車両からもちゃっかり「車両通行費」を巻き上げている。
そのせいで、歩道には通行人が少なからずいたが、日曜でも車両の往来は週日とさほど変わらない。歩きながらでも十分に視界が得られた。
二人のラガマフィンは、歩みを止めずにホログラス越しに左手に視線を送った。ホログラスが認識モードに切り替わり、有線で連携したイヤーモジュールから発信音が聞こえた後、「データ一致」と自動音声が響いた。
「そや、タオイェイとかいう奴っちゃ!間違いあらへん!」
左手首に付けた時計型AIに触れて、改めてホログラスを確認した仲間が声を潜めた。
「よーし、このまま歩き続けるんや。さりげなくやで、ええな!」
「そ、そや、さりげのう、さりげのう歩くんや!」
三人はホログラス越しに、タオこと李道栄の姿を視野に捉えたまま、道路の反対側をすれ違った。
いくら強がって見せたところで、三対一では勝ち目はゼロだ。いったん距離を置いて応援を呼ぶしかなかった。
虎部隊が相手となれば、緊張したラガマフィンたちの動きがぎこちなくなるのも、無理からぬことだった。「組織」の「コマンダー」にして虎部隊に潜入する敏腕スパイは、三人組のさりげないへっぴり腰に、目ざとく気づいた。
くそッ、地元のチンピラに目をつけられたか・・・
野球帽を被り服装もカジュアルに決め、ホログラスも掛けている。しかし、顔認識の詳細データと、変装シミュレーション・モンタージュが裏組織に漏れたらしい、と即座に見当がついた。
何しろ、極東地域の荒仕事に何度も関わった身だ。中国を除く各国政府の諜報機関が情報を共有して、警戒に当たっても何の不思議もなかった。
一瞬、逡巡したものの、タオは目下の任務に固執した。
大滝はほんの数ブロック先にいるのだ・・・GPS信号の移動速度から見て、スラム街の外に車を駐車して、徒歩で北側からこの地区に入りこんだ。
むろん、真正のプロを単独尾行するべきではないのは重々承知していたが、止むにやまれぬ事情があった。王兄弟はテロ実行犯としてマークされ、日本には当分派遣できない。おまけに、妹の美琳もダレスに呼び戻され、合衆国東部の任務に回される始末だ。
白人至上主義の「組織」は、東洋人の補強を軽視してきたため、この度の一連の危機では、典型的な人材不足問題を露呈する羽目になった。
他に凄腕の部下はいない。下請けの末端工作員では、大滝の尾行は荷が重い。俺がやるしかない!手間をかけてGPSを仕こんだのも、距離を置いて追跡できるからだ・・・
タオは功を焦っていた。
日本最悪の犯罪多発地帯に立ち入った以上、大滝には後ろ暗い用向きがあるはずだ。是が非でも確認しなければならない、と強迫観念めいた衝動に駆られる。シティの二の舞を演じる訳にはいかないのだ。失敗しようものなら、ダレスの逆鱗に触れるだろう。
己の戦闘力には何の不安もない。一見、何の変哲もない長袖長ズボンのカジュアルな服装だが、その下には耐レーザー性を高めた防弾スーツを纏い、強力な武器をいくつも隠し持っている。並みの人間なら容易には動けないほどの重量がある。
軍隊が保有する重火器ならいざ知らず、ラガマフィンのハンドガン程度では、レーザーか実弾かを問わず、「コマンダー」を倒すのは至難の技だ。相手の数的優位など取るに足らない。闇雲に攻撃をしかけた挙句、同士討ちを引き起こすのが関の山だ。
それほど、異種すなわちスピーシーズの対人戦闘能力は高く、虎部隊をも凌駕するほどだ。事実、一敗地に塗れたのは、ワン兄弟が例の新人類の娘に思わぬ逆襲を受けたわずか一度だけだった。
いや、正確には二度だ。マグレブでも未知の武器を使われ、あの娘を取り逃がした・・・王兄弟は、波動銃特有の圧縮空気音は聞こえなかったと言った。第一、ずんぐりした波動銃はスーツの下に隠し持てる武器ではない。
謎に包まれた新人類の正体を暴こうと、ダレスが躍起になるのも当然だ・・・そして、大滝は連中と繋がる最重要人物だ。プラウドごときに尾行を邪魔されてたまるか!
一見ひょうきんにさえ映るタオの童顔は、戦闘の予感に厳しく引き締まった。
いざとなれば、チンピラどもを始末して撤退するまでだ。虎の尾を踏んだらどうなるか、思い知らせてやる!
暗殺者の獰猛な殺気が、ホログラスに隠れた黒い瞳に黄色い炎となって燃え上がる。戦闘を控えた高揚感が、このところの鬱屈した気分を一気に吹き飛ばした。
この周辺は、日本最悪の犯罪多発地帯だ。裏組織同士の抗争事件も後を絶たない。多少手荒な真似をしたところで、世間の注目を惹く恐れはなかった。
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