暗殺未遂ふたたび Another Failed Assassination Attempt

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暗殺未遂ふたたび Another Failed Assassination Attempt

 左手の白い漆喰の壁に何かが食い込んで、小さなシミがじわっと広がっている。次の瞬間、中村は懐を探り隠し持った小型レーザー銃を握り、中腰で鋭く辺りを見回した。  ガーディアンの習い性で、この店に入る時もフロア全体を見渡し客や店員の様子を確認していた。人に背を向けないようテーブルの位置にも気を配り、窓際の席には間違っても坐らない。右手の座席に坐っていたビジネスマンの姿が、いつの間にやら消えている!男はアタッシェケースを、ソファでなくテーブルの上に載せていた。こちらにケースの側面を向けていたが、イラついていたせいで注意散漫になり見逃していた。  上着の下で銃を握り視線を通りの方へ向けたまま、ソファに横向きに腰を下ろして壁ににじり寄った。慎重に壁に刺さった異物の匂いを嗅いだ中村の目に、凶暴な光が宿った。スポーツバッグをひっ掴むなり、ソファから立ち上がり、油断なく周囲に視線を送りながら急ぎ足で出口へ向かった。 「あッ、あの、お客様・・・?」  水のグラスをトレイに載せて戻って来たウェイトレスが、戸惑い気味に声を掛けるのも構わず、中村はレストランを飛び出した。  「あれは麻酔薬じゃない。命中していたら心室細動でいちころだ・・・オレを消そうとしやがった!この都市でガーディアンの俺を狙うのは、ガーディアンしかいない」  ビジネスマンを装った暗殺者は、ホログラスで目を隠し濃いあごひげを生やしていた。この国で堅気の会社員が髭を生やしたりするはずがない。付けひげで変装した仲間のひとりに違いないと、中村は無意識に歯ぎしりをした。バッグを放り投げて背を向けた瞬間を狙われた。あのウエイトレスが偶然転ばなかったら、救急車が到着する前に心臓発作で突然死していた!  と、その時、中村は気づいた。 「いや、待てよ。偶然にしては出来過ぎだ。何だってあの子は、濡れてもいない腰の辺りまで拭いたんだ?」  周囲に目を気を配りながら、手早く上着の右ポケットを探って、四つ折りの紙ナプキンを摘まみ出す。素早く開いて目を通した中村の顔に、一瞬かすかに笑みが浮かんだ。 「命の借りができたな・・・確かKayaだった。ケイヤ?日本人ならカヤか。かぐや姫ってわけか?ありゃただ者じゃなさそうだ・・・」  だが、今はウエイトレスの謎にかまけている場合ではない。ナプキンを細かく引きちぎり、脱兎のごとく走り出した。大通りを横切りながら、バラバラと紙片を路上に落としていく。ガーディアン本部は、監視カメラで中村の姿をリアルアイムで追っているはずだ。けれども、行きかう車のホバーに巻き上げられ、散り散りになったメモの回収は不可能だ。  飛び出した中村を感知してオートセーフが働き、通りを走る車が次々に停止した。ドライバーたちがはた迷惑そうな視線を送ってくるのもお構いなしに、中村は大通りを駆け抜けた。万一に備え潜伏先は用意してある。監視カメラと尾行をかわすため、中村は大通りの雑踏の中に紛れ込んだ。  ぼかんと中村を見送っていたウエイトレスは、向き直ってテーブルを台拭きで丁寧にぬぐうと、壁に近づいて異物の染みを抜き取った。針はすでに気化して原型をとどめていない。台拭きを無造作に折りたたんで、エプロンのポケットにそっと押し入れてから、グラスを載せたトレイを取り上げ、何ごともなかったかのように厨房へ続く通路へ消えた。  昨日遅く、西日本から戻ったばかりの小田敦盛は、ウエイトレスの後ろ姿を見送ると、食べかけのランチに目をやった。そそくさと出て行った男も様子が変だったが、あのウエイトレスは男にぶつかる前、途中で二メートルぐらい一瞬で移動したように見えた。 「瞬きのせいか、じゃなきゃ目の錯覚だなあ、きっと。寝不足で食欲もないしなあ~。にしても、どこかで見たことがあるよなあ~、あの子・・・」  とつおいつ考え込んでいたが、ちょうど飛び込んできたメールに、気まぐれな小田の心はたちどころに切り替わった。なにしろ、本命の木村真弓からの返信なのだ。 「小田さん、メールを拝見いたしました。お戻りになったのね。おみやげがあるって、かたじけない!今日の午後は予定がすべて空白です。お誘いくだされば幸いに存じます」  マユと二人きりで会うのは初めだと思うと、顔が緊張でこわばるのを感じたが、マユらしい一風変わった日本語に少々興奮気味だった。 「こりゃ、つっこみどころ満載だ!飛騨乃さんに見せなきゃなあ」  この前途有望な科学者の卵は、いささか頭の回転が早過ぎるきらいがあった。好奇心も人一倍強く、衝動的にあちこちに頭を突っ込む癖がある。先ほどのウエイトレスと男のことなど、たちどころに頭からきれいさっぱり消してしまっていた。  アロンダは大通りに止めたピザ宅配スクーターに跨って、飛び出した中村の姿をうかがっていた。今日は黒いボディスーツではなく、ピザ店の制服に白いヘルメットを身に着けている。手元のホログラムには、移動する中村の位置が刻々と表示される。ガーディアンの靴にウエイトレスが仕込んだ追跡装置の信号を確認して、チラッと左後方のレストランに目をやった。 「早業ね!まる三日間徹夜してるのに、洒落っとしてるわ、あの子。あの男、メモに気を取られて靴には気づかなかったのね」  いまさら驚きもしないが、タクの様子を早く教えてほしいのに、先にガーディアンを追うように言われている。どこかであの機動歩兵に接触するはずだ。 「あの機動歩兵がカギになるって、どういう意味なの?」と、尋ねても「今にわかるわ」と、お決まりの返事しか返ってこない。 「いつもこれだわ!」  アロンダは苛立たし気に肩をすくめてスクーターを発進させた。  シティのドームの外では、春の雨が静かに降りしきっていた。
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