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雪解け
蓮は昴と話すことのないまま一ヶ月半が経った。教室で会っても話しかけないように、話しかけられないようにしていたからだ。昴とどう接していいのかわからず、話しかけられなかったのだ。
いくら時間が経っても、昴の指の感触も、身体の温かさも、少し低く優しい囁きも、何もかも忘れることができなかった。蓮の身体と心に深く刻み付けられてしまっていたのだ。ただ、ひたすらに記憶から消えるのを待つことしかできなかった。同時にそれには途方もない時間がかかるということも、それしか心からそれを消し去る方法がないことも蓮はわかっていた。
蓮が帰り道、一人で駅前まで行くと、目の前がパッと明るくなった。クリスマスが近いため、広場ではツリーやサンタクロースの形を取った電光装飾の点灯式を行っていた。周りにはカップルがバラバラと集まっている。彼らはパートナーと腕を組んだり、手を繋いだりと幸せそうで、蓮は目が眩みそうだった。
(昴と、来たかったな)
イルミネーションを一緒に見たかったと言うよりも、周りのカップルのように、お互いの瞳に相手を映して、恋をして、寄り添いたかった。世界に二人きりになったかのように。しかし、その夢を壊したのは自分だ。そんな甘い夢を見る資格など、とうに失ってしまった。
蓮は人の群れを一瞥すると、駅の中に向かおうとした。
「蓮」
不意に名前が呼ばれた。かつて何度も呼ばれた声で。
(嘘だ)
蓮は現実が信じられずに恐る恐る振り返る。すると、そこには息を切らした昴の姿があった。
「昴……」
「やっと話せた……」
「なんで……」
蓮は少し後ずさった。昴が何をしようとしているのか、何を告げようとしているのかわからなかった。不安だけが胸の中にうごめく。
「俺、あの後色々考えたんだ」
昴は乱れた呼吸を整えてから続けた。彼の瞳はまっすぐ蓮を見つめていた。
「蓮のことは、元々は一番仲良い友達だと思ってて、だから彼女に振られた後に色々なものをすっ飛ばしてあんなことになって、頭の整理が出来てなかったんだと思う」
「……そうだね」
やっぱり、と蓮は思った。昴は「あれは気の迷いだった。今までのことは忘れて、普通の友達に戻ろう」とでも言いたいのだろうか。それならそうで構わない。そうなることを望んであの関係を終わらせたのだから。
「だから、最初からやり直したいんだ。無理なこととはわかってるけど、それでも。
最初は、ただの友達だと思ってた。そのあとは蓮の身体を独占したくてたまらなかった。きっと、この気持ちの間にあるのが恋なんだ。あの時すっ飛ばした恋を、俺はちゃんと蓮としたいんだ」
昴からの告白。蓮は目の前の光景が本当に信じられなかった。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「信じられない」
「信じて」
「……」
「俺は、自分の気持ちは伝えた。あとは、蓮の気持ち次第だ。ちゃんと教えて、蓮が本当に思ってることを」
まっすぐな声と瞳で昴は言った。
蓮は、正直自分の発言で昴の運命を決めてしまうのが、怖くてたまらなかった。勝手に片想いをするのは、苦しいけど気楽だった。しかし、今は違う。蓮の一言で、昴を縛り付けることになる。これから待っているはずの幸せを遠ざけてしまう。
「いいよ、どんなことでもいいから」
昴が、温かく包み込むような声で言う。
蓮は大きく息を吸い込むと、速くなる鼓動を押さえつけて口を開いた。
「……俺は、本当はずっと昴のことが好きだった。初めて話した日からずっと、昴に恋してた。僕も、昴に触れたいし触れてほしい。笑顔を、泣き顔を、昴の全てがほしい。ずっとそばにいたい」
一つ一つ、自分の心のかけらを拾い上げるように、言葉にしていく。昴はそれを、静かに見守る。
「でも、僕は昴のことを傷つけた。これからも、先が不安になって逃げたくなるかもしれない。僕と一緒にいるせいで、幸せになれないかもしれない」
「そんなこと、絶対にない」
昴はそう言って、そっと蓮の頰に触れた。冷えた頰に、静かに、じんわりと熱が広がった。
「俺は、蓮が隣にいてくれれば、きっとそれだけで幸せになれる。だから、離れないで。そばにいて」
そう言った昴の瞳には、はっきりと蓮の姿が映っていた。
「……」
「……」
静寂が二人を包む。
蓮の瞳が潤んだ。昴にそんなことを言われて、拒むことが出来るはずがなかった。
「……ずるい」
蓮がぽつりとつぶやくと、昴は「してやった」という風に、太陽のような笑顔を見せた。
「いいんだよ、お互い様だろ?」
空からふわりと、真っ白な雪が降り始めた。今までの罪や過ちを、全て包み込んで許すように。
「蓮、折り畳み傘持ってる?」
「持ってるよ。しょうがないな……」
あの日から蓮の降り注いでいた雨も、きっと雪に変わった。もう、蓮の心を駄目にすることはない。ただ、優しく降り積もっていくのだ。
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