バレンタイン

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バレンタイン

 本当は、蓮はチョコレートなんて作るつもりはなかった。でも、何かをせずにはいられなかったのだ。自分がこれを昴に渡したところで、彼はただの友チョコだと思うだろうし、昴が本当に大切に想う人からのチョコレートに勝てるわけでもない。そんなことはわかっていた。それでも、ドロドロに溶かしたチョコレートに愛や秘めた想いを託さずにはいられなかったのだ。 「――昴」  放課後、いつものように蓮は昴に声をかけた。 「帰らないの?」 「――蓮か。この荷物をまとめ終わったら帰るよ」  そう言った昴は、女子にもらったお菓子を鞄に入れるのに忙しそうだった。 「今年も大変そうだね、モテモテで」 「なんでこんなにみんなくれるんだろうな」  彼はぽつりとつぶやいた。 「蓮、少しチョコいる? 俺、本当は甘いものそこまで好きじゃないんだ」 「え……」  静電気のような、小さな衝撃が蓮の体に走った。今まで二年近く仲良くしていたけど、それは初めて知った。 (どうしよう、僕もチョコレートを持ってきたけれど、渡さない方がいいのだろうか)  そして、一つの仮定が生まれた。本当に好きな人以外からはもらっても迷惑だという。 「そうなんだ……。でも、僕もそこまで好きじゃないから大丈夫」  いつも通りちゃんと、返答できただろうか。おかしく思われていないだろうか。そんな考えが蓮の頭の中をよぎり、胸がじわりと痛む。 「そっか。わかった。じゃあ、整理できたから帰るか」 「うん」  二人は立ち上がり、薄暗い無人の教室を出た。    いつも通りの通学路を二人で歩く。冷たい風がマフラーと肌の隙間に入り込んで、痛いくらいだった。  蓮と昴の間には、話をしづらいような、ぎくしゃくとした空気が流れていた。昴は今何を考えているんだろうと考えを巡らせたが、蓮には少しもわからなかった。  先に口を開いたのは、昴の方だった。 「蓮、もしかしてちょっと怒ってる?」 「なんで?」 「いや、さっき俺が甘いものが苦手って言った後から、ちょっと様子が変だったから。俺に話を合わせるために、本当は好きなのに無理して嫌いって言ったんじゃないか?」 「……いや、そうじゃないよ」  ――本当はあの子からのチョコを待っているのだとわかって、自分のチョコレートに込めた想いまで否定されたような気がしたから。  声にならないつぶやきが、体の底へ沈んでいった。 (それに、僕は昴のことが他の女子と同じ意味で好きなのに、昴に宛てられたものを食べられる訳がない) 「なら、いいけど」  再び沈黙が流れた。ずん、と重い空気が再び二人の間を支配する。 「あ、蓮、リュックのチャックが開いてるよ。閉めてやるからちょっと止まって」 「本当? ありがとう」  蓮が立ち止まると、昴がその後ろに立って、リュックサックのチャックを閉めた。 「あれ、蓮も女子になんかもらえたのか、よかったな」 「え?」 「上の方に入ってる赤い箱、誰かにもらったんだろ? お前も隅に置けないな」  昴が、秘密の遊び場を見つけた子どものようにニヤッと笑う。 「あ、ああ、うん、そうなんだ……」  蓮はしどろもどろになりながら答えた。自分でも、どうしてそんなに焦るのかと不思議に思いながら。別に自分で作ったものだとバレたわけではないし、他人にもらったと思われることくらい、どうということはないはずだ。 「誰にもらったんだ? 成海とか? 最近仲よさそうだったけど」 「……」  喉に何か貼り付いているようで、うまく息が出来ない。 (僕は、どうすべきなんだ。何を昴に伝えるべきなんだ) 「なあ、蓮、言ってみろよ」  昴がいたずらっ子のような顔で笑う。  そして次の瞬間、彼はとても驚いたような顔をした。 「蓮、大丈夫か?」 「え」  昴の手のひらが蓮の頰にそっと触れる。頰には少し冷たい昴の指と濡れた感覚があった。その時、蓮は初めて自分が涙を流していることに気がついた。 「具合悪いのか? それとも俺のせい?」  昴の瞳が、捨てられた子犬のように、不安げに揺れる。 (こんな顔を昴にさせたいわけじゃないのに) 「なんでだろう、僕にもわからないよ。昴も気にしないで」  蓮は笑顔を作ろうとしたけれど、涙は次から次へとあふれて、止まるところを知らなかった。  もし、今昴に想いを告げたら、彼は自分の気持ちに応えてくれるのではないか。そんな甘い誘惑が頭をよぎった。哀れみでもなんでもいい、もし、昴が自分だけのものになってくれるなら――。  そんな思考は、突然遮られた。不意に昴が蓮の身体を抱きしめたのだ。 「蓮、我慢しなくてもいいんだ。誰にでも泣きたくなる時はあるから……」  優しく、甘やかな声で昴が耳元で囁く。コート越しだが、骨ばった身体の感触と微かな熱が蓮に伝わった。 「昴、離してよ」  蓮は必死でもがいたが、体格差もあり昴の腕の中から抜け出せなかった。 (こんなことをされたら、期待が消えなくなっちゃうだろ)  「こういう時は、こうするのが一番いいんだよ」  昴はさっきとは違い、小さな子どもをあやすような調子で言った。きっと恋人に囁く時とは違う、穏やかな声だった。  これには自分の欲しがっているものは少しも含まれていないとは、蓮はわかっていた。それでも彼は、この温もりを、友情という枷を手放せなかった。
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