11人が本棚に入れています
本棚に追加
バレンタイン
本当は、蓮はチョコレートなんて作るつもりはなかった。でも、何かをせずにはいられなかったのだ。自分がこれを昴に渡したところで、彼はただの友チョコだと思うだろうし、昴が本当に大切に想う人からのチョコレートに勝てるわけでもない。そんなことはわかっていた。それでも、ドロドロに溶かしたチョコレートに愛や秘めた想いを託さずにはいられなかったのだ。
「――昴」
放課後、いつものように蓮は昴に声をかけた。
「帰らないの?」
「――蓮か。この荷物をまとめ終わったら帰るよ」
そう言った昴は、女子にもらったお菓子を鞄に入れるのに忙しそうだった。
「今年も大変そうだね、モテモテで」
「なんでこんなにみんなくれるんだろうな」
彼はぽつりとつぶやいた。
「蓮、少しチョコいる? 俺、本当は甘いものそこまで好きじゃないんだ」
「え……」
静電気のような、小さな衝撃が蓮の体に走った。今まで二年近く仲良くしていたけど、それは初めて知った。
(どうしよう、僕もチョコレートを持ってきたけれど、渡さない方がいいのだろうか)
そして、一つの仮定が生まれた。本当に好きな人以外からはもらっても迷惑だという。
「そうなんだ……。でも、僕もそこまで好きじゃないから大丈夫」
いつも通りちゃんと、返答できただろうか。おかしく思われていないだろうか。そんな考えが蓮の頭の中をよぎり、胸がじわりと痛む。
「そっか。わかった。じゃあ、整理できたから帰るか」
「うん」
二人は立ち上がり、薄暗い無人の教室を出た。
いつも通りの通学路を二人で歩く。冷たい風がマフラーと肌の隙間に入り込んで、痛いくらいだった。
蓮と昴の間には、話をしづらいような、ぎくしゃくとした空気が流れていた。昴は今何を考えているんだろうと考えを巡らせたが、蓮には少しもわからなかった。
先に口を開いたのは、昴の方だった。
「蓮、もしかしてちょっと怒ってる?」
「なんで?」
「いや、さっき俺が甘いものが苦手って言った後から、ちょっと様子が変だったから。俺に話を合わせるために、本当は好きなのに無理して嫌いって言ったんじゃないか?」
「……いや、そうじゃないよ」
――本当はあの子からのチョコを待っているのだとわかって、自分のチョコレートに込めた想いまで否定されたような気がしたから。
声にならないつぶやきが、体の底へ沈んでいった。
(それに、僕は昴のことが他の女子と同じ意味で好きなのに、昴に宛てられたものを食べられる訳がない)
「なら、いいけど」
再び沈黙が流れた。ずん、と重い空気が再び二人の間を支配する。
「あ、蓮、リュックのチャックが開いてるよ。閉めてやるからちょっと止まって」
「本当? ありがとう」
蓮が立ち止まると、昴がその後ろに立って、リュックサックのチャックを閉めた。
「あれ、蓮も女子になんかもらえたのか、よかったな」
「え?」
「上の方に入ってる赤い箱、誰かにもらったんだろ? お前も隅に置けないな」
昴が、秘密の遊び場を見つけた子どものようにニヤッと笑う。
「あ、ああ、うん、そうなんだ……」
蓮はしどろもどろになりながら答えた。自分でも、どうしてそんなに焦るのかと不思議に思いながら。別に自分で作ったものだとバレたわけではないし、他人にもらったと思われることくらい、どうということはないはずだ。
「誰にもらったんだ? 成海とか? 最近仲よさそうだったけど」
「……」
喉に何か貼り付いているようで、うまく息が出来ない。
(僕は、どうすべきなんだ。何を昴に伝えるべきなんだ)
「なあ、蓮、言ってみろよ」
昴がいたずらっ子のような顔で笑う。
そして次の瞬間、彼はとても驚いたような顔をした。
「蓮、大丈夫か?」
「え」
昴の手のひらが蓮の頰にそっと触れる。頰には少し冷たい昴の指と濡れた感覚があった。その時、蓮は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
「具合悪いのか? それとも俺のせい?」
昴の瞳が、捨てられた子犬のように、不安げに揺れる。
(こんな顔を昴にさせたいわけじゃないのに)
「なんでだろう、僕にもわからないよ。昴も気にしないで」
蓮は笑顔を作ろうとしたけれど、涙は次から次へとあふれて、止まるところを知らなかった。
もし、今昴に想いを告げたら、彼は自分の気持ちに応えてくれるのではないか。そんな甘い誘惑が頭をよぎった。哀れみでもなんでもいい、もし、昴が自分だけのものになってくれるなら――。
そんな思考は、突然遮られた。不意に昴が蓮の身体を抱きしめたのだ。
「蓮、我慢しなくてもいいんだ。誰にでも泣きたくなる時はあるから……」
優しく、甘やかな声で昴が耳元で囁く。コート越しだが、骨ばった身体の感触と微かな熱が蓮に伝わった。
「昴、離してよ」
蓮は必死でもがいたが、体格差もあり昴の腕の中から抜け出せなかった。
(こんなことをされたら、期待が消えなくなっちゃうだろ)
「こういう時は、こうするのが一番いいんだよ」
昴はさっきとは違い、小さな子どもをあやすような調子で言った。きっと恋人に囁く時とは違う、穏やかな声だった。
これには自分の欲しがっているものは少しも含まれていないとは、蓮はわかっていた。それでも彼は、この温もりを、友情という枷を手放せなかった。
最初のコメントを投稿しよう!