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雨
窓の外には、雨がしとしとと降っていた。風があるせいで、傘をさしていても体が濡れる、嫌な天気だった。
あの日も、雨だった。
蓮が決して忘れることのない日。初めて昴と話した日。
その日は梅雨の時期で、雨が降っていたのはごく自然なことだった。
蓮は折りたたみ傘を持ち歩いていたため、それをさして帰るつもりだった。しかし、傘を開いて歩き出そうとした瞬間後ろから声をかけられた。
「待って、駅まで入れてってくれない?」
蓮が振り向くと、同じクラスの神谷昴が走ってきたところだった。
「なんで。もう少しで止むと思うけど」
蓮と昴は同じクラスだったが、今までほとんど話したことがなかった。
どうして僕がわざわざ傘に入れてやらないとならないんだ。
蓮はそう思ったが、口に出すのはやめておいた。波風を立てるようなことをするのはあまり好きではないからだ。
「駅で知り合いと約束をしてて、今行かないと間に合わないんだ」
昴がとても困っているという様子で言う。
蓮はため息をついた。自分はそれなりに性格のいい方だと自覚はしていた。それに、肩くらいなら濡れても大丈夫そうな程度の雨だから、無理に断る理由もない。
「……いいよ。入っていきなよ」
そう言うと、昴はパッと顔を明るくした。
「ありがとう! この恩はいつか必ず返すから!」
「大袈裟だね。別にいいよ、これくらい」
蓮が傘を広げると、二人は外へと歩き出した。
彼らはその日の授業のことやテレビ番組のことなど、たわいもない話をしていた。趣味などの共通点は少しもなかったが、蓮は不思議と居心地の悪さは感じず、むしろとても楽しかった。
そうして歩いていると、二人はいつのまにか駅の近くまで来ていた。
「今日、誰と会う約束してたの?」
ずっと気になっていたことだった。普通の友達なら、少しくらい遅れても問題はないだろう。
「ああ、彼女だよ」
昴は本当に嬉しそうに言った。
「そうなんだ」
「なんだよ、嘘でももうちょっと『すごーい』とか言えよ」
「別に、そういうの興味ないし」
事実、蓮には彼女がいたことも欲しいと思うこともなかった。
「いると楽しいぞ」
「そう」
そんなやりとりをしているうちに、駅に着いた。
昴は周りを見回したのちに、改札の前の辺りに手を振る。彼の視線の先に目を向けると、そこには小柄な女子高生がいた。
「昴」
彼女は少し高めの声で彼の名前を呼ぶと手を振り返した。
蓮が隣を見ると、夜明け頃に昇る太陽のように輝く昴の笑顔がそこにあった。
その瞬間、蓮の心臓は早鐘のように打った。まだ自分の知らない感覚。血が沸騰するようだった。
「じゃあな、今日はありがとう」
昴は蓮の方に振り向いて言った。さっきとは違う、いつも通りの顔だ。蓮は、なんだかひどく落胆したような気分になった。
「うん、どういたしまして」
「ちゃんと話すのは初めてだったけど、楽しかったよ」
「そうだね。じゃあ、また明日」
蓮がそう言って駅前のバス停の方に行くと、昴も改札の前に向かった。
(あの笑顔を向けてもらえる彼女が、羨ましい。僕にも向けてくれればいいのに)
そう思い、そして蓮は我に返った。そんなことを思うのは、生まれて初めてだった。
蓮の胸に、何か熱くずっしりと重量を持ったものが広がる。それは、彼が今まで抱いたことのない欲望だった。友達にも、周りの女子に対しても感じたことのない感情。
(どうしてこんなことを思ってしまうんだろう。今までこんなことはなかったのに)
――きっと、あの雨がいけなかった。雨は人の心にも降り注いで、根っこの部分まで駄目にしてしまう。
あの日から昴は蓮によく話しかけるようになり、いつの間にか一番の親友のようになっていた。
蓮と昴はお互いに求めているものは異なり、このまま友達で居続けていても、きっと不幸になるだけだ。そんなことは蓮もわかっていた。それでも、告白をして今の関係を壊す勇気はない。昴への執着を断って、ただのクラスメイトに戻ることもできない。
蓮は部屋のカーテンを閉めた。静かな雨音だけが室内に響き渡っていた。
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