花火大会

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花火大会

『来週の花火大会、一緒に行かない?』  そんな連絡が昴から来たのは、昨日のことだった。これにどう返信すべきか、蓮は考えあぐねていた。  蓮と昴は何度も学校外で遊んだことはあったが、去年の花火大会やクリスマスのイルミネーションは、昴は彼女と行っていた。今年は、彼女の側に何か行けない事情があったのだろうか。 (昴に会えるのは嬉しい。だけど、本当にいいのだろうか)  昴は自分なんかとでは心から楽しめないのではないかと、蓮は不安に思っていた。確かに誘ってきたのは昴で、彼のことは好きだ。昴も、蓮と一緒で楽しめないということはないだろう。しかし、彼女と行けなかった残念さの方が上回るのではないかと思ってしまう。蓮は、幸せそうに彼女とのことについて語る昴も好きなのだ。 (でも、僕だって昴にもっと会いたい)  初詣もそれ以外の動物園なども、昴に誘われて行った。今回もそうだ。向こうから誘われたのだから、後ろめたさも、不安も感じる必要はないのだ。  蓮は自分で自分を納得させてから、返信した。 『いいよ。どこでやるんだっけ』  日々はあっという間に巡り、花火大会当日となった。道路には露店が立ち並び、家族連れやカップルなどで賑わっている。  二人は人通りの少ない、神社の少し奥まったところで待ち合わせをしていたが、時間になっても昴は来なかった。蓮はスマートフォンを確認したが、昴からの連絡はない。  夕方だから、寝坊ということはないだろう。どこかで事故にでも巻き込まれたのだろうか。蓮の胸に不安が広がる。  それとももしかして、すっぽかされたのだろうか。昴は少し忘れっぽいところがあるため、ありえない話ではない。  しかし、最悪な可能性は、昴が蓮の想いに気がついていて、蓮を弄ぶためにやったということである。昴は嘘のつけない人間だと、蓮は思っている。あの素直で明るい性格は、きっと演技ではないだろう。それでも、疑いを捨てきれない自分と、それによって激しく自己嫌悪する自分がいた。  蓮はふるふると頭を振った。 (やめろ、昴を信じろ。自分の心の弱さで昴を悪者にするな)  拳を固く握り締め、ゆっくり深呼吸をする。 (きっと何か事情があったのだろう。来るまで待とう)    約束の一時間後に、昴は現れた。すでに空には花火が上がり始め、人も増えてきていた。 「蓮、ごめん……」  そう言って走ってきた昴の顔には滝のような汗がきらきらと光っていた。 「別にいいよ。何かあったの?」 「ああ、うん……。でも、蓮には関係ないことだから大丈夫だ。気にしないでくれ。本当にごめん……」  昴は息を切らしながら言った。本当に急いで来たようだ。  しかし、この言い方はないのではないかと、蓮は少しムッとした。 「僕はずっと昴のこと待ってたんだから、理由を聞く権利はあると思うけど」  高圧的になってしまったと思ったけれど、この言い分は間違ってはいないだろう。純粋に何があったのか聞きたい気持ちもある。そして何より、昴のせいで心の中がぐちゃぐちゃになったのだから、責任を取ってほしい、ではないが何かしらの理由の説明が欲しかった。 「ごめん、でも、今は本当に聞かないでいてほしいんだ……」  昴は弱々しい声で言った。今にも涙が決壊しそうな瞳。それは蓮が初めて見る昴の表情だった。  蓮はごくりと唾を飲み込んだ。そして、何か考えるよりも先に昴の身体を抱きしめていた。腕の中では、汗で肌に張り付いたTシャツと、その下のまだ静かな熱を帯びた身体が感じられる。 「……何も話さなくて、いいよ。僕がこうしたいだけだから」  蓮はただ、昴を一人にしたくなかった。大遅刻した理由は、もちろん知りたい。でも、今はそれよりも先に昴を癒してあげたい、と思ったのだ。  ――もっと自分を頼ってほしい。もっと昴のことが知りたい。今だけでも、昴の心と身体を独占したい。  声にならない想いが身体の底からこみ上げる。  そして何より、昴のこの表情を他の誰にも見せたくなかった。自分だけのものにして、世界から隠してしまいたかったのだ。 「……助けて、蓮」  耳元で昴が囁く。今にも消えてしまいそうな声だった。昴の手のひらが、蓮の背中に触れる。昴の鼓動が、蓮の鼓膜を揺らす。お互いの身体が、心臓の音が、溶け合って一つになってしまいそうだった。 「……振られたんだ。彼女に」 「……うん」 「他に好きな人ができたって」 「うん」 「俺はあいつのこと、ずっとちゃんと好きだったのに」 「うん。知ってるよ」 「なんで、うまくいかなかったんだろうな。なんで、簡単に人の気持ちは変わっちゃうんだろうな」 「……そうだね。なんでだろうね」 (僕の気持ちは、きっとずっと変わらないのにな)  蓮の背中に回された昴の腕の力が強くなる。ここまで固く抱きしめられたのは、これが初めてだった。そして、今まで彼女にはこうしていたのだろうか、とふと蓮の頭によぎる。 (もし、ここで僕の自分の気持ちを告げたら、彼女の代わりになれるのだろうか。今度はあの笑顔を僕に向けてもらえる? 笑顔以外も、僕だけのものに出来る?)  蓮は深呼吸を一度だけすると、口を開いた。 「昴」   喉が乾燥して、舌がぴったりと張り付いてしまいそうだ。鼓動も、さっきより速くなったような感覚がする。 「僕が……僕が、代わりになるよ」  出来るだけ緊張を悟られないように、ゆっくりと話す。 「え……」 「次の恋人ができるまでは、僕がそばにいるよ。彼女と同じと思わなくていい。好きな時に、好きなように扱ってくれていいから」 「何言ってるんだよ」 「一緒に遊ぶでも、手を繋ぐでも、なんでもいいよ。彼女とやりたかったこと、色々まだあるんでしょ」 「待てよ、そんなこと蓮に何も得はないだろ」 「そんなことないよ。僕は昴が元気になってくれれば、それで」  その言葉に嘘はなかった。また昴に笑顔を見せてほしいというのは、蓮の一番の願いだ。  昴は、女を好きになる人間だ。だから、きっとどんな状況であっても、蓮を選んで恋愛の意味で好きになってくれることはないだろう。だから、今だけでも夢を見たかった。たとえ一時でも、昴が本当に自分を愛してくれることはなくても、隣で歩くことを許されたかった。昴の全てを独占したかった。昴に触れたかった。そのことで昴の心の傷が癒えるのなら、余計。  きっと蓮の心の根っこの部分は、昴と初めて話したあの日から降り注いでいた雨で、駄目になってしまっていたのだ。 「……ごめん、俺はきっと一人じゃ耐えられないから、俺から離れないで……。本当にごめん……」 「いいんだよ」  昴の顔は見えない。でも、きっと泣いているのだろうということは、蓮はわかっていた。 (昴は悪くない。悪いのは、僕だけだよ。  ――でも、僕の気持ちには一気がつかないんだろうな。気がつかなくて、いいよ) 「……昴、好きだよ」  その瞬間、今日一番の大輪の花火が上がり、蓮の声はかき消された。
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