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帰り道
木枯らしが葉の落ちた街路樹を揺らす。秋も深まり、さみしさのために人々が肌を寄せ合う季節となった。花火大会から、約二ヶ月が経つ。蓮と昴の関係は、その前と比べてあまり変わらなかった。何も、と言うと嘘になるが。
前と同じように、学校で過ごし、休みの日には一緒に出かけた。数少ない変化したことは、肌の触れ合いが多くなったことくらいである。元から多少はあったが、昴が蓮を抱きしめることや手を繋ぐことが以前よりも増えた。昴は気を遣っているのか、『どうしてもさみしくなってしまう時だけ』しか触れなかったが。
昨日も、そうだった。蓮は昨日の記憶を反芻する。
昨日も、放課後蓮と昴は放課後教室に二人で残っていた。いつも通り、一番窓際の列の前から二番目の席に蓮が、その後ろの席に昴が座っていた。
「寒くなったな」
「うん」
「そろそろ帰る?」
「そうだね。もう日も暮れてきたし」
蓮と昴は同時に椅子から立ち上がった。そして、昴は蓮のすぐそばに近づき、そっと蓮の身体を抱きしめた。
「……」
「……」
昴も蓮も、何も言わなかった。ただ、二人で静かに抱き合う。沈黙だけが、彼らのこの行為を見つめていた。いつからこうなったのか、蓮も覚えていない。あの花火大会の後、最初の方は昴はいつも「ごめん、さみしくてたまらないんだ」と謝りながら蓮に触れていた。蓮はいつも「いいよ」と応えて。しかし、いつの間にか昴は無言となり、蓮もそれに無言で応じるようになった。
昴の指が、シャツの上から蓮の背中をなぞる。以前とは違う、優しく、しかしねっとりとした触れ方だった。背骨、肩甲骨と指はどんどん上っていく。
蓮は、ぞわぞわと、何か湧き上がるものを感じた。くすぐったいような、気持ち悪いような、気持ちいいような感覚。
「っ……」
身体の力が抜けて倒れそうになり、慌てて昴にしがみつく。
「大丈夫か?」
昴が心配そうに尋ねた。しかし、その顔には熱に浮かされたような双眸があった。熱く湿った息が微かに彼の口から漏れる。
「……うん」
「よかった。じゃあ、帰ろうか」
そう言って、昴は机の上に置いてある鞄を取った。その表情は、影に隠れてうかがえなかった。
昨日の夜、ずっと蓮は昴のことを考えていたが、何もわからなかった。昴は蓮とどうしたいのか、蓮のことをどう思っているのか。
(そんなこと、今はどうでもいい。昴が僕を求めてくれるなら)
蓮から昴に触れることはほとんどなかった。前よりも減ったくらいだ。嘘をついて昴に付き合ってもらっていることに、罪悪感を覚えているからだ。それに、自分から昴に触れることで自分の想いが気づかれてしまうのを恐れていたから、というのも大きかった。昴はそのうち自分から離れていくのだから、危険を冒して伝えて、嫌われてしまったらおしまいだと必死に自分の言い聞かせて、想いを伝えないように耐えていた。
しかし、感情とは別の部分は、蓮は昴に触れたくてたまらなかった。彼の本能が叫んでいたのだ。
昴に触れたい。あの髪に、手に、もっと深いところも全て。自分にも触れてほしい、この身体の余すところなく全てに。
一つ手に入れたら他のものまで欲しくなってしまう。欲望が際限なくどんどん膨れ上がってしまう。
(ダメだ、これ以上は後戻りできなくなる。それに、確かに昴も前より僕に触れてくれるけど、それは僕の身体を都合よく利用しているだけだ。それ以外の昴の全ては絶対に手に入らないんだ。勘違いするな)
蓮は、隣を歩いている昴に気づかれないように、ふうっとため息をついた。白くなった息が、静かに空気中に広がる。
「蓮」
昴が不意に声をかけた。何の変哲も無い、いつも通りの様子で。
「何?」
「……しても、いい?」
「何を?」
「……キス」
その言葉は、とろけるような、この上なく甘美な言葉に蓮には聞こえた。
しかし、彼は目の前の状況が理解できなかった。これが本当に現実なのかという疑惑が渦巻く。あまりにリアルで嘘みたいに美しい夢、脳が作り出した麻薬のような幻覚。思わずそう考えてしまう。
「……僕、と?」
「ああ。蓮は嫌?」
「別に、嫌ではないけど……」
本当に、嫌ではない。嬉しいくらいだ。昴が自分を選んでしてくれることが、自分を求めてくれることが。でも、これで昴との間にあるものが決定的に変わってしまうような、そんな気がした。もう駄目になってしまった、蓮の根っこの部分がこの一線だけは超えてはいけないと告げていた。
「バカだね、昴。キスは好きな人とするものでしょ。僕は彼女の代わりになるとは言ったけど、昴の好きな人は僕じゃないんだから取っておきなよ」
今さら何を言っているんだと、自分でも思う。でも、この一線を超えてしまったら、昴が道を踏み外してしまうと思った。それに、いざという時に昴の手を離せなくなってしまう。
(自分の望みが叶いそうな時に怖気付くとか、バカは僕だ)
「俺は、蓮としたいと思ったんだ」
「昴は勘違いしてるんだよ。僕が背が低くて女みたいだから、彼女の代わりをしてるうちにその気になっちゃっただけ。あとで本当に彼女ができた時に後悔するよ」
(我ながら、最低だ。自分から誘っておいて、昴が僕のことを求めてくれたと思ったら拒絶して)
「……ごめん」
昴がシュンとした様子で謝る。
(違う、僕が悪いんだよ。ごめん。全部ごめん)
「でも、俺は」
「もう、終わりにしようよ」
蓮は昴が言葉を言い終わる前に遮った。
「え……」
「こんなことしてたら、どんどん彼女作るの遅くなっちゃうよ。それに、失恋の傷はもう癒えたでしょ? もう僕も飽きたし」
――嘘だよ。傷つけてごめん。飽きてなんかない。本当はもっとずっとそばにいたいしキスもしたい。でも、そう言わないと、この関係はずるずると続いてしまうだろ? そうしたら、僕はこれ以上自分の気持ちを隠すのは限界なんだ。この先昴が自分の元から去っていったら悲しみに耐えられなくなってしまうから、自分から終わりを告げたいんだ。
喉元まで出かかった言葉を必死で我慢する。
「もう、ただの友達に戻ろう?
……ごめん、今日塾あるから、急いで帰るね」
蓮はそう言うと、昴の返事を聞く前に走り去った。頰を伝う涙を、昴に見られないように。
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