深夜零時の客

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 そこはとある家の台所だった。松方の目の前には一人の女が恐怖に怯えながら彼にむかって両手で握った包丁を構えていた。隙を見て松方が女に飛びかかり、二人がもみ合いになった。女の手にした包丁が松方の手の甲を深く切る。松方が逆上して女へと再び飛びかかり、包丁を奪うと女の腹に突き刺し、女が床の上に崩れ落ちた。  松方が顔に飛んだ返り血を手の甲で拭い、背後を振り返った。そのとき、部屋の隅で蒼白な顔で立ち尽くす一人の男児と目が合った。男児へとゆっくりと歩み寄る松方の手の傷からは鮮血が滴り落ちていた。  松方はふと回想から我に返ると、布巾で床の血を拭い、ガラスの破片を片付けた。その一部始終をカウンター席に座る男が鋭い目を光らせて観察していた。  ちりとりで破片を集め終わると、松方は顔を上げ、何気なさを装って男に言った。 「申し訳ありません……今日はもう閉店なんですが……」 「俺の顔、憶えてるよな?」 「さあ……申し訳ありませんが」  男が急に笑い出した。 「もう少し上手くとぼけられないのかよ。お前だろ、俺の妻と息子を殺して家ごと燃やしたのは……やっと突き止めた」 「私には何のことだか……人違いです」  男は徐にジャケットの内ポケットから一丁の拳銃を取り出した。  とっさに身構える松方。  男は壁の時計を眺め、苦笑いする。  壁の時計は午前零時を過ぎている。  松方の目の前のカウンターに銃を置き、男はため息をつくと言った。 「松方、逃げ切ったお前の勝ちだ。俺は昨日付けで刑事を定年退職した。俺たちはもう、ただのバーテンと客だ」  松方は元刑事と名乗った男の深い皺の刻まれた額に赤く残る火傷の痕を眺めている。  男は銃を取り上げ、シリンダーを手で勢いよく回転させ、止めた。 「弾は六発のうち一発だけこめられている……松方、俺と賭けをやらないか?」  男は銃口を自らのこめかみに当てると少しの躊躇いもなく引き金をひいた。  空を打つ撃鉄の音が妙に大きく店内に響いた。  男はほっと息をつくと松方に銃を差し出して笑う。  松方は困惑の表情を崩さない。 「お前の番だ……俺とお前とどっちが罰を受けるべきか、白黒つけようじゃないか」 「罰……?」  男が額の火傷痕を指で撫でながら言う。 「お前が俺の家に強盗に入った日、俺は非番だった……それなのに、なんで家にいなかったんだと思う?」  松方は黙って男を見つめ、次の言葉を待った。 「女と逢ってたんだ……仕事だと嘘をついてな……俺が若い女とイチャついてる間に、お前が俺の家族を殺し、何もかも燃やしちまった……」  言いながら男の脳裏にはかつての記憶がよみがえっていた。
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