143人が本棚に入れています
本棚に追加
再会
ランからのLINEに飛びついた私がいた。たった一行の無機質な「明日会える?」が物凄く嬉しかった。すぐに返信し、私たちは翌日に会う約束をした。
朝を迎え、昨日までのことが現実なのかどうかを確かめるべく、私はスマホをチェックした。そこにはちゃんとランからのLINEがあった。私はホッとした。
約束の時間は夕方なのに、私は朝から少しだけ緊張していた。どんな顔でランと会えばいいのかという不安と、早く会ってお礼を言いたいという希望とが、ぐるぐると私の中を駆け巡った。
約束の時間が近づいてきた。私は少し早めに準備をした。何を着ていこうか、どんなメイクにしようか、私はまるで久々に彼氏に会う彼女のようだった。でも、ふと我に返る。私、何やってるんだろう…、と。
待ち合わせ場所には、約束の時間よりかなり早く到着した。気合いが入っていると思われないかどうか、少し心配になった。心躍る自分がどこか恥ずかしかった。
街並みはすっかりクリスマスモードになっていた。あの日から、だいぶ経っているのだと実感した。私だけ、時が止まっていたのだ。辺りを見渡すと、いつもよりもカップルが多いように思えた。この時期はみんな何故か気合いが入っている。私もその一人に仲間入りなのかもしれない。
気が付けば、今日は金曜日だった。いつもあの部長と過ごしていた地獄の金曜日。そう気付いたとたん、また鳥肌とフラッシュバック。私は急にめまぐるしい恐怖心に襲われた。どうしよう、ここで倒れてしまうかもしれない。目眩が始まった。
「エリカ!」
その声でハッとなった。振り返るとランだった。目眩が急に止まった。
「お待たせ。ん?どうした?エリカ、なんか顔色悪いよ。大丈夫?」
「あ、うん、…大丈夫だから。」
私たちはゆっくりと歩いた。入院中の、看護師を通じたコミュニケーションの話をしながら、公園へと向かった。
ベンチに座り、私はランから受け取ったスマホを入れた紙袋を、ランに渡した。
「これ、ありがとう。助かったよ。私のスマホ、まだちゃんと生きてるから、これはお返しします。お世話になりました。」
「いいえ、どういたしまして。」
「私のスマホになっても、またLINEしていい?電話かけてもいい?」
「いいよ。」
そうひと言、ランはあっさりと承諾した。
「ねぇ、どうして、私にここまでしてくれるの?ランは私のこと、何一つ知らないのに。それなのに何で?」
「んー、何でだろうね。」
ランは辺りをキョロキョロと見渡しながら言った。この返事で、完全にはぐらかされたような気がした。
「言いたくないなら別にいいけど。またどうせ “話したくなったら話す” でしょ?」
ランが笑った。あの日以来のランの笑顔にキュンとした。
「覚えてたんだね。エリカってスゴいや。」
「え?何がスゴいの?」
「別に、何でもないけど。あのさ、何で俺がエリカにここまでするのかって、それは、俺はエリカの力になりたいからだよ。」
「私の、力?」
「あの日、エリカと一緒にいて、なんか自分と似てるなぁって感じた。そしたら、エリカのこと他人事に思えなくなったんだよね。」
「あ、それ。実は私も思った。私、ランと似てるかもって。」
「でしょ?やっぱそうだよな。良かったー、俺だけじゃなくて。こんなこと言ったらキモいとか思われるんじゃないかって、ちょっと心配だった。」
「そんなこと、絶対に思わないから、大丈夫。」
ランと私の感覚が一緒だったことが、純粋に嬉しかった。どこかホッとするランを見て、今日こうやって実際にランと会えたことは間違いじゃなかったと強く思った。
「そういえば、エリカ、今日体調悪い?さっきエリカと顔合わせた時、めっちゃ青白い顔してた。今日無理して来たんじゃないの?」
「あ、あの、もう大丈夫!貧血気味なのかもしれない。」
ランに悟られないようにと、私は全力の笑顔で返した。
「エリカ、何か隠してるだろ?」
やっぱり。予想通り一発で見破られた。
「俺、エリカの力になれないかな…。頼りないかもしれないけど。」
ランが見せた初めての自信なさげな姿だった。私は戸惑いを隠せなかった。意外な一面に心が揺れ動いた。
「あの…。今日って、金曜でしょ。私、金曜の夜が怖いの。さっき一人だった時、急にいろいろ思い出しちゃって…。」
「わかった。じゃあさ、これから一緒にメシ行こう。」
「え?」
「いいから。何食べたい?」
「何でもいいけど。ランが食べたいものでいいよ。」
「じゃあ行こ!」
そう言ってランは私の手を引っ張って、連れて行ってくれた。
小洒落た外見の店に到着した。そうか、ランはいつもこういう所に来ているんだと、新たな発見がまた嬉しかった。
店に入るとすぐ、店員がランに声を掛けた。
「ランさん、いらっしゃいませ。あ、珍しいですね、今日はお連れ様と一緒なんですね。」
「ああ。だから今日は奥を使わせて貰いたいんだけど、いい?」
ランがそう言うと、その店員は私たちを奥の部屋へ案内した。
奥の部屋は個室だった。個室に一瞬恐怖心が走った。ランはそんな私の姿に気付いたのだろうか、私の手を引いてそっとエスコートしてくれた。私の全身が、安心感で満たされた。
「ねえ、ランって、本名なの?それとも…」
「うん、ちゃんと本名。ホストも本名でやってる。」
私の言葉を遮り、ランが自分の口からこう放った。ランという名前も、ホストをしていることも、本当だったことを知り、また一層ランとの距離が近くなったと勝手に感じていた。
「よくここのお店に来るの?店員さんと仲良さそうだったから。」
「ああ、よく仕事行く前に寄ってメシ食ってる。たいてい一人だけど。だからいつもはここじゃなくてカウンターね。たまに仕事終わってから来ることもあるかも。」
あの日と違って、ランは私が質問したことに全部真剣に答えた。ランが私と向き合おうとしてくれているように思えた。
注文をしていないのに、席には料理が運ばれてきた。目を奪われるようなフォトジェニックなオムライスに感動した。そういえば洋食は久々だった。いつも部長とは料亭、居酒屋ばかりだったから。
「これがいつも俺が食べてる、いつものってヤツ。」
ランは自慢げに言うと、あっという間に平らげた。私も一口一口味わっていただいた。食べる毎に童心に返るようだった。
食事が終わると、すぐに帰ろうとせず、私たちは雑談を弾ませた。地獄のあの日々とは大違い。会話が楽しいと思ったのはいつ以来だろう。
私は次第にランに心を許せるようになった。ランならきっと大丈夫、今なら何でも話せる気がする。
「ラン、あのね、私さっき金曜の夜が怖いって言ったでしょ。そうなるきっかけが実はあってね…。」
でも、これ以上言葉が出てこなかった。話そうって決めたのに、何故…。
「エリカ、無理しなくていいから。“話したくなったら話す” で全然構わないから。焦らないで。その時が来るの、待ってるから。」
ランは優しい瞳で私を見つめた。私の頭の上に、ポン、とランの手が乗った。私は涙が止まらなかった。
「エリカ、ちょっとここで待ってて。一時間くらい。大丈夫?」
そう言ってランは店を出た。私のもとには一杯のハーブティーが運ばれてきた。店員は、サービスです、と言って私に微笑んだ。
ランは一体どうしたのだろうか。きっとまた戻ってくるとは信じているけれど、何があったのだろう。私が思わず涙を流してしまったから、気まずさを感じてしまったのだろうか。やっぱり私と会うのは迷惑だったのかもしれない。私はあれこれとネガティブな発想しか浮かばなかった。
それから一時間経ち、店員が私のいる個室に来た。
「外でランさんがお待ちです。お代はいただいていますので、そのままどうぞ。」
私は言われるがままに、店員にごちそうさまでしたと伝えて外へ出た。するとそこには、一台の車に乗ったランがいた。
「エリカ、乗って!」
「えっ?これ、どういうことなの?」
「いいから。早く乗って。」
そう言うとランは車から降り、助手席のドアを開けてくれた。私はそのままランの車に乗り込んだ。
「どこ行くの?」
「いいから。今日はずっと走らせるから。何も心配しないで。行くよ!」
ランの車が勢いよく発進した。私たちは夜の街を走り抜けた。
「ねぇ、ランは今日仕事じゃないの?」
「ああ、仕事ね。今、店行って休み貰ってきた。」
「えっ?いいの?だって金曜の夜ってホストにとっては重要なんじゃないの?稼ぎ時でしょ?お店に迷惑かかっちゃうよ。」
「いいのいいの。ホント大丈夫。」
「ね、やっぱ戻ろ。私は一人でも大丈夫だから。」
「だから、ホントに大丈夫なんだって。何も心配しないで。ほら、俺、NO.1ホストだから、明日にはすぐに挽回できるからさ。」
私はランの言葉に甘えて、今日は何も考えずに過ごそうと決めた。このままランと夜のドライブを堪能することにした。私の気分を紛らそうとしてくれているランの優しさが心に染みた。
どんどん先に車を走らせるランは、車内で私が悲しくならないように、たくさんの話題を作って気遣ってくれた。さすがは現役のNo.1ホストだ。会話が途切れることなく、そして私を笑顔にしてくれる。こういう女性の扱いには慣れているといった感じだ。
夜の街を駆け抜ける爽快感がたまらなかった。これまでのいろいろなことがどうでもよく思えた。そして、何もかも忘れ、生きづらいこの世の中から解放されたような気がして、私の心は晴れていった。
ふと気付けば、目の前には工場夜景が広がった。眩しいほどのキレイな景色にテンションが上がっている私がいた。壮大な迫力で広がるこの景色を、独り占めしたいとさえ思った。
この時間が永遠にに続いたらいいのに…
自然と私は心の中で願っていた。
最初のコメントを投稿しよう!