前進

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 「エリカ!無事だったんだね、良かったー、安心したー!」  私はマンションに着いてすぐにユイに電話をかけた。私は退院してからユイに連絡をしていなかったことを思い出した。  私たちは長時間にわたって電話で会話した。ユイによると、あの日の夜、私と連絡が取れなくなったことを心配して、ユイが警察に私の捜索願を出したのだそうだ。要するにあの日、私とランは樹海から救助されたのだった。私はこの時初めて知った。  ユイは私に深く追求してこなかった。恐らくユイは、私がこんなことになったのは自分のせいだと思っているからだろう。もちろん、私はそんなことは1ミリも思っていない。 「ユイ、ありがとね。もう、あんなことしないから。約束する。」  私がそう言うと、ユイはスマホの向こう側で泣いていた。ユイのおかげで、私は今ここに居る。ユイは命の恩人だ。そして、ユイのおかげで、私はランと出逢えた。 「エリカ、会社、来れるようになったらおいで。いつでも待ってる。いつになっても構わないから。」  ユイの温かい言葉によって、また仕事に復帰できたらと思った。でも、私には気掛かりなことがあった。 「ありがとう。でも、やっぱり私、まだ怖いよ。だって、また同じことを繰り返しそうで。部長からの嫌がらせ、さらにエスカレートだよ、きっと。もう、私、無理だよ…。」  また地獄の金曜が来るのなら、今度こそ本当に死んでしまってもいいとさえ思った。 「エリカ、そのことなんだけど、実は部長、解雇されたの。だから、今は会社に来ても、部長は居ないんだよ。心配しなくていいから。」 「えっ?どうして…?」  私がこんなことになったことは、翌日のうちに会社中に広がったという。初めのうちは誤った情報がまるで本当のことのように伝わっていったらしい。しかし、それを聞いたユイは、勇気を出して多くの人に訴えかけ、全否定してくれたそうだ。すると、同じチームの仲間が一丸となって、部長の解雇を求める署名活動をしてくれだのだ。署名はあっという間に集まり、それを取締役へ提出したことによって、部長は解雇が決まった、といういきさつだ。 「ユイ、ホントにホントにありがとう。私のためにこんなにいっぱいしてくれて…。」 「当たり前じゃないの。だって、悪いのは誰が見ても部長だもの。あんな酷いことしておいて、何も無かったように平然と過ごしているなんて、誰だって許せないよ。エリカ、これでもう安心できるよ。」  ユイをこんなにも頼もしいと思ったのは初めてだった。私は、一生ユイを大切にしようと心に誓った。 「ところでさ、エリカが救助された日、もう一人あの場から救助された人がいたらしいよ。」  ランのことだ。ユイはどこまで聞かされているのだろう。 「あ、うん、なんかそうみたいだね。ユイは、何か知ってるの?」 「いや、私は全然何も聞いてないけど、エリカが見つかったって警察から連絡があった時に、もう一人居ましたけどって。エリカの知り合い?」 「あ、えーっと、私もよく分からないんだよね…。」 「そうなの?二十歳くらいの男の人だって聞いたよ?じゃあ偶然居合わせただけだったのかな。」 「そうかもね…。」    私は何となく誤魔化した。あの日、あんな形で出会った人が、今現在めちゃくちゃ気になる存在だなんて、絶対どうかしてると反対されるに決まってる。私は怖くて言い出せなかった。 「ユイ、私、来週から仕事に復帰後しようかな。早くユイの顔見たいし、チームのみんなにもお礼言わなきゃね。」 「うん、待ってる。でも、無理しちゃダメだよ。こっちは大丈夫だから。」  ユイとの電話が終わった後、私は会社に連絡し、復帰することが決まった。部長がいないのなら、またもう一度やり直せる。そう思った。  部屋の中が静まり返った。ふと気付けば、今日は土曜日。外は物凄く天気が良い。澄んだ青空、暖かな日差し、心が洗われるようだった。私が一歩ずつ進んでいることを祝福してくれているかのように思えた。ベランダに出て外の空気を思い切り吸って、パワーチャージした。  そういえばつい三時間前まで私はランと一緒に過ごしていたのだ。とても不思議な感覚を覚えた。まるで夢と現実の狭間にいるようだ。あんなステキな一夜があっていいのだろうか。きっと私はお伽話のお姫様なのかもしれない。そう錯覚した。  ここ一日、二日で、いろいろなことが急展開に進んでいる。退院、仕事復帰決定、そしてランとの再会。スピード感満載の、中身の濃い毎日を過ごしている。今までなら、このくらいの展開なんて当たり前のようにあったはずなのに、今の私にはとても早過ぎて、こんな毎日について行けるかどうか、少し不安な気持ちにもなった。ポジティヴな自分とネガティヴな自分、二人の自分がぐるぐると回っていた。  夜になると、ランからLINEが届いた。今までと同じ、少しぶっきらぼうなたった一行の「おやすみ」だけ。私も同じく「おやすみ」と一行返す。きっとランは今、仕事中なのだろう、私はそう思い、ランを気遣った。  翌日の朝、またランから一行のLINE。「おはよう」といつもの調子だった。私もまた「おはよう」と一行返し。これだけで充分だと思えた。たったひと言でも、毎日こうして繋がっていられるのなら、それで構わない。ヘタな返しをしてランとの関係を失うくらいなら、このままでいい。私はこれ以上の高望みはしないと決めた。  仕事復帰の日を迎えた。朝から物凄く緊張していた。部長はいないとしても、周囲からどんな目で見られるのかが不安だった。でも、一度復帰すると決めたからには、行かない訳にはいかない。覚悟を決めて、いざ出陣だ。    オフィスに着くと、予想に反してみんなが大歓迎だった。私は心の底から安心した。これでまた私は「私」をやり直せる。そう確信した。 「エリカ、またよろしくね。」  ユイが私の支えになっていた。同じチームのみんなにも感謝の気持ちを忘れずに、私はこれからみんなに恩返しをしていこうと強く思った。  復帰してから四日が過ぎた。面白いくらい順調に進み過ぎている毎日だった。でもきっとそれは、周囲が私に気を遣ってくれているからなのかもしれない。みんな、まるで腫れ物に触るように私に接しているのだろう。何だか申し訳ない気持ちになった。それと同時に、情けない気持ちにもなった。考え過ぎなのかもしれないが、どうしてもネガティヴが勝る。  その日の夜、ランからいつもの一行LINE。「おやすみ」だった。私も一行返しのはずが、何故かこの日は近況報告をしたくなった。    私、毎日頑張ってるから  これ以外の言葉は見つからなかった。とにかく、今私が前進していることだけどうしても言いたかった。ネガティヴな気持ちを掻き消すために、頑張る自分を伝えたかった。    やるじゃん。良かった。  たった一行のランからの返信。でも、心がほっこりした。よし、明日もまた頑張ろうと思えた。明日は金曜日。これで復帰第一週目が無事終わる。ここを乗り越えよう。  金曜の勤務が無事終わった。私は一気に肩の力が抜けた。同じチームのみんなが笑顔で「お疲れ様」と言ってくれた。普段は何気ない挨拶のはずなのに、この日ばかりはめちゃくちゃ嬉しい言葉だった。 「エリカ、やったね!」  ユイも心から喜んでくれた。私は達成感でいっぱいだった。  仕事は無事終わったが、ここからが私にとっては最も重要だった。そう、金曜の夜がやって来る。先週はランが一緒に過ごしてくれたおかげで乗り越えることができたが、やはりまだトラウマは完全に取り除けている訳ではない。また恐怖心が込み上げてきそうだ。 「エリカ、週末はどうするの?大丈夫?もし良かったら私と一緒に大阪来る?」 「ううん、ありがと。ユイ、せっかく彼氏に会うのに私なんかが一緒に行ったら台無しだよ。それに明日はクリスマスでしょ。私は大丈夫だから、ユイ、行っておいでよ。」  ユイの気遣いは嬉しかった。でも、さすがに二人の邪魔はできない。頑張って一人で乗り越えられるようにならなくては。そう奮い立たせた。これからは誰にも頼らずに、一人で生きていくんだ。  少しでも恐怖心を忘れる為に、一時間程度の残業をすることにした。仕事に追われている方が、余計なことを考えなくて済む。私には、こっちの方が向いているのかもしれない。デスクに向かって集中する。 「エリカさん、まだ頑張るんですか?今日せっかくのイヴですよ?あまり無理しないでくださいね。」  振り返ると、同じチームの2つ年下の後輩ハヤトだった。 「エリカさんが戻ってきてくれて、ホント良かったです。これでまた毎日楽しいです!だから、今が一番大事な時期だから、無理は禁物ですよ。」 「ありがとう。そうだね、無理しすぎない程度に頑張る。あと一時間だけ。」 「だから、それが頑張り過ぎなんですよ。イヴの夜に予定とかないんですか?」 「予定とかは何もないの。だから本当に大丈夫。」  ハヤトの気遣いも嬉しかった。自然と笑顔になれた。後輩も私のことを心配してくれているなんて、私は何て環境に恵まれているのだろう。今のこの状況を大切にしようと思った。    しばらくして、全ての仕事を終え、さすがにやることが無くなってしまった。もう仕方ない。勇気を出してオフィスを出ることを決めた。 「ハヤト君、お疲れ様。私、帰るね。お先に失礼します。」  残業のハヤトに声を掛けると、ハヤトはニコッと微笑み、私に手を振って返した。小さく“メリークリスマス”と呟いているように見えた。  でも、残念なことに私にはクリスマスもイヴも嬉しくなかった。そんなことよりもエレベーターへと向かう足取りが重かった。乗り込んだ下りのエレベーターが少し怖かった。1階ロビーはもっと怖かった。外に出ると、やはり恐怖心が襲いかかってきた。もうダメだ。目眩が始まった。どうしよう、私はこのままどうなってしまうのだろう。過呼吸が始まった。苦しい。誰か助けて。   「エリカ!」  ふと顔を上げると、そこにはランがいた。  
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