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恋心
「ラン?どうして?どうしてここに居るの?」
軽い目眩の中、私はランに問いかけた。これは夢なのか、現実なのか、目眩のせいで判断することが難しかった。
「今日は俺はエリカと過ごす日って決めてるから。」
「え?」
「前にエリカ、金曜の夜が怖いって言ってたから、これからは毎週金曜の夜は、俺はエリカと過ごす。そう決めたから。少しでもエリカの不安取り除くから。」
ランの言葉に心を奪われた。あの時私が話したことをちゃんと覚えていてくれたことが嬉しかった。あの日だけのことにしないでくれたことに感動した。
「エリカ、前にこのオフィスで働いてるって言ってたから、迎えに来てみた。もう一時間も路駐して待ってたんだよ、遅いよ。」
「だって、ランそんなこと一言も言ってなかったから…。だったら昨日LINEで教えてくれても良かったじゃん。もう…。」
「ゴメンゴメン、そうだな。悪かったよ。じゃ、決まり。これからは毎週金曜の夜はエリカは俺と過ごす。迎えに来るから。」
気が付けば、目眩はおさまっていた。私はランの車に乗り込んだ。
「今日イヴだって知ってた?俺すっかり忘れてたよ。メシ食いに行こう。何食べたい?」
「先週のあのお店がいい!」
「あ、気に入ってくれた?良かったー。じゃ、そこにしよう。」
先週の洋食屋さんへ行って私たちはディナーを満喫した。その後は雑談。店長さんの粋な計らいで、小さなクリスマスケーキが運ばれてきた。私たちは一緒に小さくお祝いした。
「じゃあそろそろドライブ行きますか。」
ランはそう言って、私たちは店を出た。ランは車をどんどん走らせる。夜の街を駆け抜ける爽快感が蘇った。
工事夜景が広がった。いつ見ても鮮やかで華やかな光だった。これからはこれを毎週見ることができると思うと、心が躍った。
私たちはまた横浜へ来た。ランも私もこの地でパワーチャージをする。夜風は冷たいが、心地良かった。私は大きく息を吸い込んだ。
「ねえ、ランのこと、もっといろいろ知りたい。聞いてもいい?あ、答えたくないことは、いつもの“話したくなったら話す”でいいから。」
「わかった。いいよ。」
「ランは、この街で生まれたんだよね。子どもの頃はどんな子だったの?」
ランは一瞬真顔になり、黙り込んだ。
「あ、ゴメン、いいよ、無理しなくて。いきなり話したくないことだった?」
「いや、そんなことないよ。そうだなぁ、バスケ少年だったかな。小学生のころから高校までずっとバスケばっかやってた。中学の頃は、県選抜の選手にも選ばれた。凄くない?」
「凄い!ってか、自分で凄いとか言っちゃったら可愛げないなぁ。」
ランが笑った。
「エリカも言うようになったね。いいね、この感じ。」
褒められた訳でもないのに、私は何故か誇らしくなった。
「私、元の私に戻ったんじゃなくて、新しい私に生まれ変わったって思ってるの。またここからがスタート。生きていれば、何度でもやり直せるんだってわかった。」
ランは私をじっと見つめた。
「エリカは、何の為に生きるの?」
「え?」
「考えたことない?何で自分は生きるんだろうって。当たり前のように朝起きて、日中は活動して、夜になったら寝て、また朝が来て、こうやって毎日過ごしてるけどさ、何の為に生きてるんだろうって思っちゃうんだよね。俺だけかな?」
「私は…、ゴメン、考えたことなかった。」
「そっか。何の為に生きるかなんて、永遠の課題なんだろうな。答えなんて、あるのかな。」
何の為に生きる…私は何の為に生きているのだろう。何度考えても、その答えは見つからなかった。ランの言う通り、永遠に見つからないのかもしれない。
「エリカ、行こう。また車走らせたい。」
私は頷いて、ランの後ろを歩いた。ランはああ見えて、いろいろなことを細かく深く考える人だということがわかった。単にチャラチャラしたホストではない。そして、心の奥に何か抱えているものがある。それを隠すためにホストという仕事をしているのかもしれない、そう思った。
ずっと夜の街を走り抜けた。ランと一緒なら、金曜の夜は怖くない。
「エリカ、寒かった?」
ランはそう言うと、私の右手を握った。
「冷たっ!ゴメン、冷えちゃったね。ゴメンゴメン。」
私はドキドキのせいで、ランの方を向くことが出来なかった。ランは私の右手をさらにギュッと握った。
「エリカ?大丈夫?どうした?」
「あ、うん、大丈夫だから。」
私の心拍数が上がっていく音が、ランに聞こえてしまいそうで恥ずかしかった。ランはその後もずっと私の右手を握りしめたままドライブを続けた。
ランはどういうつもりで私の手を握っているのだろう。私のことをどう思っているのだろう。私たちって、どういう関係なのだろう。聞きたいけど、絶対に聞けない。
私はランのことが好きなのだろうか。私にとってランは何なのだろうか。私はランとどうなりたいのだろうか。自分自身にも聞きたいけど、絶対に聞けない。
空が明るくなってきた。ランとのドライブも、これで終わる。どこか寂しい気持ちになった。もっとランと一緒に居たい。自然とそんな気持ちが沸いてきた。
「帰ろっか。家まで送るよ。」
私は頷いた。でも、本当は“帰りたくない”と言いたかった。
空がすっかり明るくなった頃、マンションに到着した。
「来週の金曜は大晦日だね。仕事は休みだろうからここに迎えに来るから。それじゃあ、またね。」
「うん、ありがと。またね。」
これでランと過ごす時間が終わった。物凄く寂しい気持ちでいっぱいになった。完全に“ランロス”だ。
部屋に入ると、すぐにソファに横たわった。ランが隣に居なくて寂しい。ランに会いたい。もっともっとランを近くに感じたい。ランへの想いで溢れている私がいた。やっぱり私はランが好きなのかもしれない。その気持ちに正直になってもいいのだろうか。
その日の夜も相変わらずの一行の「おやすみ」LINE。翌朝は一行の「おはよう」LINE。ランはいたって普通だった。ランはどう思っているのだろう。私のことなんて、何とも思っていないのかもしれない。切なくてたまらない。これを恋と呼ぶのだろうか。
大晦日がやってきた。私たちは車の中で一緒にカウントダウンして新年を迎えた。今まで生きてきた中で一番楽しい瞬間だった。もしかしたら本当は、ホストクラブでカウントダウンパーティーがあったのではないかと少し気になったが、あえてそこには触れないでおいた。
それから毎週金曜の夜はランと過ごした。お決まりの洋食屋さんからの横浜ドライブ。朝まで車を走らせて、最後は家まで送ってくれる。毎回同じコースだった。それでも私は飽きもせず、毎回満喫した。それ以上のことには何も発展しないが、ランと一緒に居られるだけで、幸せだった。
いつしか私は、金曜の夜が楽しみになっていた。あんなに怖いと感じていた金曜の夜が楽しみになるなんて、本当に信じられなかった。金曜の夜を目標に一週間頑張れる私を、褒めたいと思う。
それから私たちは、何度になるかわからない程、金曜を一緒に過ごした。お互いに金曜の夜が当たり前になっていた。彼氏・彼女の関係ではない私たちがこうやって一夜を過ごすなんて、端から見たらどこか可笑しな光景かもしれない。同じ時間を共にするだけで、それ以上のことは一切ない。私自身が、それ以上の関係になりたいと思っているのかどうかもわからない。もちろん、ランがそう思っているのかどうかだって、わからない。いろいろな感情が私の中でぐるぐる回っている。でも今は、ランを失いたくないから、現状維持するしかない。臆病な私が勝る。
気が付けばもう冬が終わっていた。そしてまた金曜日。当たり前のように夜はランと過ごす。今日のこの仕事が終わったら、ランに会える。そう思うと自然と浮かれてしまっている私がいた。
「エリカさん、なんだか今日ご機嫌っすね。何かいいことでもあったんすか?」
後輩のハヤトだった。
「え?あ、そうかな?いつもと変わらないけど?」
「今日のエリカさん、いつも以上にキラキラしてて、なんか可愛いなぁって思って。ってか、毎週金曜日楽しそうですよね?何があるんですか?」
ハヤトは鋭かった。結構前から気付いていたのだろうか。そうだとしたら、物凄く恥ずかしい。
「いや、別に何も…。一週間が終わるなぁって思うと、少しワクワクしない?」
「そうっすね。確かに。今日一日頑張りましょうか!」
「うん、そうだね、頑張ろうね。」
私の心の中のワクワクが、こんなにも漏れていたことに気付かなかった。ランに会えることをこんなにも楽しみにしているなんて、これってやっぱり好きということなのか。この恋心に本当に正直になってもいいのだろうか。自問自答を繰り返す。
勤務が終わり、いつものようにオフィスまで迎えに来てくれるランの車に乗り込んだ。
「お待たせ。」
私はとびきりの笑顔でランを見つめた。
「じゃあ、行きますか。」
ランは相変わらずいつも通りのクールな表情だった。浮かれているのは、私だけなのだろうか…。
お決まりの洋食屋さんでディナーを満喫し、次はドライブ。そう思っていた。車に乗り込むと、ランが私を見つめた。
「エリカ、あのさ、今日、俺ん家来ない?」
「えっ?」
「なんかさ、いつもいつも同じなのもどうかと思って。たまには、家でのんびりってのもいいかなと思って。」
「あっ、うん、そ、そうだね。」
「美味しいワイン戴いたからさ、一緒に飲もうよ。」
もう私のドキドキは止まらなかった。私の顔も耳も真っ赤になっているのがよく分かった。下を向いて黙ったまま、何も言えなくなった。
「嫌…?」
ランが不安げに私に問いかけた。
「あ、違うの、全然嫌じゃないから!あの、お家行くってなったら少し緊張しちゃって…。」
「エリカ、可愛いな。」
笑いながらランが言った。そして、車はランのマンションへと向かった。
着いたのは超高層タワーマンション。ランがこんな所に住んでいることに驚いた。私のマンションとは比べ物にならない程だ。芸能人や会社社長などのいわゆる“成功者”が住むような、私には縁のない場所だった。No.1ホストなら、こんな所にも簡単に住めるのだ。
ランの部屋に入った。明らかに、私が今まで見てきた空間とは次元が違った。大理石が敷き詰められた玄関、ガラス張りの広すぎるリビング、テレビでしか見ないような素敵過ぎる部屋だった。そして、目の前に夜景が広がった。
「わぁ、キレイ!」
すると、ランが私の手をとった。
「おいで。」
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