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「……」
「……」
無遠慮に見下ろす視線と、私の見上げる視線がぶつかる。
突っ立っているのは、目の痛くなりそうな派手な色のシャツとグレイのスーツを着た大男だった。
中途半端に伸ばした髪も無精髭も、なにもかもが薄汚い。
おまけに目つきが気に入らない。
ファンタジーとメルヘンにどっぷりだったとは言え、危険と隣り合わせの戦いを繰り広げてきた経験が教師面をして雄弁に語ってくる。
コイツは敵。
私の直感がそう告げるのとほぼ同時、デカブツが上着の内ポケットに手を入れ、素早く引き抜いた先には四角いシルエットの黒い塊が握られていた。
拳銃。
拳銃?
何を考えるより早く、私の体は反応していた。
最短距離で右足をまっすぐに蹴り上げ、構えかけた拳銃を蹴り飛ばす。
宙を泳ぐ武器に目線が移った瞬間を狙って、今度は左足の蹴りを顎にお見舞い。
巨体が揺らいだ隙に、ジャストタイミングで落ちてた拳銃を奪って引き金。
バンバンバン。
勢いよく倒れた大男を眺めながら、私は自分の一連の行動を反芻した。
待って。
思いっきり人殺してない?
ほとんど丸ごと無意識の反応で、銃口を向けて引き金を引けば弾が出るだろうくらいしか考えていなかったけれど、その結果が今、目の前に百キロの肉塊となって転がっている。
カナンなんかの誘いに応じるんじゃなかった。
アレは昔から変わらず私にとっての疫病神どころか病原菌だ。
電話がかかってきた時点で私のとるべき対応は、即座に切って両手を念入りに消毒することだったに違いない。
とにかく。
私は大きく息を吐き出し、思い出したように拳銃を放り捨てた。
ピカピカに磨かれた廊下をスケートみたいに滑り、エレベーターの前まで転がっていく。
壁にぶつかって止まるのと同時に、ちんと音がしてエレベーターのドアが開いた。
ぞろぞろと降りてきたのは、床で寝てるのと似たり寄ったりの薄い汚い雰囲気に、思い思いの色のスーツを着た男たち。
私もぎょっとしたけれど、連中もぎょっとしたようだ。
まず転がった銃殺死体を一瞥し、それから延長線上にいる私に目を向け、十点満点をあげたくなるシンクロ具合で一斉に銃を引き抜く。
私は迷わず回れ右、背後の扉を開けて転がり込んだ。
その目と鼻の先をデスクが勢いよくかすめ、扉に激突してしっかり塞いだ。
「おかえり」
追加でバリケード用のデスクをぶん投げてよこしたカナンは、にやにや笑いながら(本当は顔がベールに隠れて見えないからわからないんだけど、命を賭けたっていい)私を出迎えた。
表情で人が殺せるなら、たぶん今の私の顔つきは大量破壊兵器に指定されてもおかしくないと思う。
「嵌めたわね、このクソ女」
「なんのこと?」
背後で響く扉に体当たりする景気のいい音をBGMに、私はカナンに詰め寄った。
「アレはなに」
「サルーナの息のかかった暴力団の構成員ってとこじゃない?」
「なんでここにいるの」
「ここが連中のねぐらだから。まあ、まだ開業準備中だったみたいだけど」
「アンタの新しい仕事とやらの事務所じゃなかったの」
「残念。そんなこと一言も言ってない」
ドレスの胸ぐらを掴みんで引き寄せようとしたけど、変身中だからびくともしない。
「ちょっと前から追い回してたんだけど、あの連中ときたら、店じまいが恐ろしく手早くってね。アジトをあちこち転々するいたちごっこのあげく、ようやく引越し前に掴んだのが、ここ」
悪びれもせず言ってのけるカナンを睨みつけ、私は歯軋りした。
綺麗に嵌められた。
私をここに呼びつけたのは、コイツらの提案を断れない状況を作るため。
今さら扉を開けて白旗上げても、あのヤクザどもは私を通してはくれない。
助かる方法はただ一つ。
このクソ女と同じように、イカれたコスプレをすることだけ。
「ラクシー」
私は怒りを奥歯で噛み潰しながら、毛玉を呼んだ。
「こんなやり方は良くないと、ボクは止めたんですが……。あの、協力していただけますか……?」
「今すぐ外の連中とそこのバカが死滅してくれるならノー。そうじゃないならイエス」
「……わかりました。これをどうぞ」
毛玉が前足をあげると、空中に光が集まって、懐かしいペンダントがぽんと飛び出した。
私はそれを掴み取り、十年ぶりの決まり文句を唱えた。
「トランスファリアル」
途端に、全身が熱を帯びた光に包まれる。
くすぐるような感覚が手足の指先から肌を這い上がり、目を開ければ、私は赤に統一されたドレスに覆われていた。
十年ぶりの変身。
もはや少女ではなくなった魔法少女。
「お似合いです、お客さま」
ぱちぱちと手を鳴らしながら抜かすカナンを無視し、私は毛玉に問いかけた。
「この状態でどれくらい強化されてるの」
「えっと、身体強化は魔法少女の半分くらいと思ってください。人間が使う普通の武器、拳銃ですか? そういうものの銃弾なら当たっても平気です」
「あっそ」
今はそれで十分。
私はデスクに手をかけ、軽く力を込めた。
オーケー、これくらいなら軽々持ち上がる。
「やる気だね」
口笛を吹いたカナンに微笑みかけ、私はベールで隠れたその顔目掛けて、デスクを思いっきりぶん投げた。
「おっと」
ひょいと首を傾けてかわしたカナンをかすめ、デスクは背後の窓を粉々にぶち割って落ちていった。
「アイナさん!?」
あたふたする毛玉を尻目に、私は真っ直ぐにぽっかり空いた窓枠へと向かった。
「さようなら。もう二度と会わないことを心の底から祈るわ」
肩越しにお別れの挨拶を残し、私は窓枠を乗り越えて十数メートル下の地面へ飛び降りた。
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