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3
野天にある王城への階段を登る。
(こんなにきつかったかしら。
これを登るのも、ずい分と久しぶりだし、
何より病を称していたから、最近あまり外にも出ていない。)
そう想いつつ、頼りない足運びで階段を上がっていると、
不意に自分の脇を支える者が現れた。
驚きのあまり、危うくその者を突き飛ばしかけ、更には私自身は落ちかけた。
その者は、身軽に態勢を立て直し、なおかつ、私の体を支え、落ちるのを防いでくれた。
とはいえ、そもそもは、その者のせいでもある。
「何よ。危ないわね」
そう口にしたのみで、いきどおりを抑え込む。
それが公爵令嬢のたしなみというもの。
今日で全てが失われる訳では無い。
というより、今日から全てが始まるのだ。
王子が死ぬ。
それだけだ。
いや、それに留まらぬ。
私に婚約破棄を宣告したその夜に急死したとなれば。
他の人々は死神との契約書を知らぬ。
天罰に当たったと。
愛をふみにじったその報いと。
そう想うであろう。
そして、私にこそ神のご加護があると。
そう信じるであろう。
ならば、跡継ぎを産むことで、国の繁栄の礎を築き、後には国母として国を見守る存在。
誰がそれにふさわしきか。
私であると。
そして王子には弟がおった。
これは伯母上の子ではなく、側室の子であった。
その弟が私を時折盗み見ておることには気付いておった。
無論、今までは、いかなる反応も示さなかった。
兄の婚約者以上のことは何も。
あくまで、その視線には素知らぬふりを通した。
ただ今日からは違う。
どうしよう。
微笑み返すか。
まなざしを交わすか。
見つめてみるか。
王子を想うままに籠絡した時を想い出し、更に気分は良くなった。
そんな気分に包まれるを得たゆえにか、階上に至ると、自然とお礼の言葉が出た。
階段の上まで脇を支えてくれたならば、やはり礼は言わねばならぬ。
(そうよ。アレクサンドラ。できるじゃない)
そう自分に言いつつ、改めてその者の顔を見ると、見覚えのないことに気付く。
汚らしい身なりだが、宮女の装いではなかった。
「誰?」
「初めまして。お姉様」
(お姉様? 何。こいつ)
と心中で想うも、相手の素性が知れぬ内は、丁重さを崩せぬ。
私は公爵令嬢アレクサンドラ。
ふさわしき言葉と行いがある。
父に、そう厳しくしつけられた。
もちろん、私を王子の妃、
――最終的には国王の正妻とするためであった。
「あなたは私の妹さん?王子のご親戚?見かけない顔ね」
「いえ。私はドガード村の農夫の娘です。ラファといいます」
と言って、右手を振りながら、素朴な笑顔を私に向ける。
嘘ではないのだろう。
貴族はこんな挨拶はしない。
まして私が誰かを知っておれば。
それに何より、
(こいつか!)
まさに、私は頭に血が上った。
そしてその状態の私に、こいつはこうのたまわった。
「よろしくお願いします。お姉様」
遠慮会釈もないとはこのことか。
(この泥棒猫が!)
私の誇りは、この言葉を口にすることは愚か、心の内に抱くことさえ許さぬはずであるが。
まさにどうしようもなかった。
何とか口に出すことだけは抑えた。
ふぅーとばかり、大きく1つ息を吐き、心を平静に持って行こうとする。
(なるほど。
婚約破棄宣言を目前にした私が、どんなみじめでしみったれた顔をしているか見に来たという訳ね。
でも、おあいにく様よ。
あなたの王子は、後わずかな命。
そして王子がいなくなれば、誰があなたのことを気にかけるかしら。
そう想うと、ようやくにして怒りが静まった・・・・・・と想えた。
ただ、その娘はなお私を愚弄するのか、私の周りをうろうろとうろつき、なんやかやと下らぬことを話しかけてくる。
耐えた。
どんなに『失せろ』と怒鳴りつけたかったか。
いや、そんなものでは済まぬ。
本音は『殺すぞ』である。
ただただ耐えた。
来たり来る日に、
――というか今夜が刻限だ、
――王子が死に、こいつの表情が絶望に占められるのを想像することにより。
そして、村娘に先導されて、王子の部屋に入る。
村娘も同席か。
そうだろう。
その様を見たかろう。
私も見たいぞ。
いや、厳密には聞きたいぞ。
婚約破棄と王子が明言するのを。
王子は立って私を待っておった。
普段は王子が座るそのイスに、王が座しておったからに他ならぬ。
何ゆえか、王もいらしたのだ。
ああ、そうか、不思議でも何でもない。
むしろ当たり前。
婚約破棄なら証人が要る。
王なら申し分ない。
そして王自身が、婚約破棄を望んでおったとの噂は誠であったか、
――遂に認めざるを得なかった。
私の気に入られたいとの、今までなして来た努力は何であったのか。
そしてあの側室はおらなかった。
まあ当然だ。
下手に顔を出して、無用に私の恨みを買うことはない。
私が婚約破棄されたのをその場で見る必要も無いほど、己が勝利を確信しておるのだろう。
村娘ほど愚かでないということだ。
そのゲスで下卑た心を満たすために、ここにおる村娘ほどには。
ただ、側室も我が家に代々伝わるものについては知りようもない。
何がこの先待っておるか、今に分からせてやるぞ。
次には、そなたの息子をこの公爵家代々の美貌にて籠絡してやろう。
息子がそなたにつくのか、私につくのか、今から楽しみだ。
私はまず王の前にひざまずき、差し出された手に軽く口づけしようとする。
すると、
「ああ。それは。・・・・・・そのドレスは」
王は不意に落涙された。
伯母上の若かりし頃を想い出されたのであろう。
それほどに愛されておったのか。
比べて私は。
私はいきどおりに震えつつ、国王の感傷に震える手指にキスをした。
それから、かたわらに立っておる王子の前に移ると、あらためてひざまずく。
そして言葉がかかるのを待つ。
『公爵令嬢アレクサンドラ。そなたとの婚約を破棄する』
との言葉を。
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