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 野天にある王城への階段を登る。 (こんなにきつかったかしら。  これを登るのも、ずい分と久しぶりだし、  何より病を称していたから、最近あまり外にも出ていない。)  そう想いつつ、頼りない足運びで階段を上がっていると、  不意に自分の脇を支える者が現れた。  驚きのあまり、危うくその者を突き飛ばしかけ、更には私自身は落ちかけた。  その者は、身軽に態勢を立て直し、なおかつ、私の体を支え、落ちるのを防いでくれた。  とはいえ、そもそもは、その者のせいでもある。 「何よ。危ないわね」  そう口にしたのみで、いきどおりを抑え込む。  それが公爵令嬢のたしなみというもの。  今日で全てが失われる訳では無い。  というより、今日から全てが始まるのだ。  王子が死ぬ。  それだけだ。  いや、それに留まらぬ。  私に婚約破棄を宣告したその夜に急死したとなれば。  他の人々は死神との契約書を知らぬ。  天罰に当たったと。  愛をふみにじったその報いと。  そう想うであろう。  そして、私にこそ神のご加護があると。  そう信じるであろう。  ならば、跡継ぎを産むことで、国の繁栄の礎を築き、後には国母として国を見守る存在。  誰がそれにふさわしきか。  私であると。  そして王子には弟がおった。  これは伯母上の子ではなく、側室の子であった。  その弟が私を時折盗み見ておることには気付いておった。  無論、今までは、いかなる反応も示さなかった。  兄の婚約者以上のことは何も。  あくまで、その視線には素知らぬふりを通した。  ただ今日からは違う。  どうしよう。  微笑み返すか。  まなざしを交わすか。  見つめてみるか。  王子を想うままに籠絡した時を想い出し、更に気分は良くなった。  そんな気分に包まれるを得たゆえにか、階上に至ると、自然とお礼の言葉が出た。  階段の上まで脇を支えてくれたならば、やはり礼は言わねばならぬ。 (そうよ。アレクサンドラ。できるじゃない)  そう自分に言いつつ、改めてその者の顔を見ると、見覚えのないことに気付く。  汚らしい身なりだが、宮女の装いではなかった。 「誰?」 「初めまして。お姉様」 (お姉様? 何。こいつ) と心中で想うも、相手の素性が知れぬ内は、丁重さを崩せぬ。  私は公爵令嬢アレクサンドラ。  ふさわしき言葉と行いがある。  父に、そう厳しくしつけられた。  もちろん、私を王子の妃、 ――最終的には国王の正妻とするためであった。 「あなたは私の妹さん?王子のご親戚?見かけない顔ね」 「いえ。私はドガード村の農夫の娘です。ラファといいます」 と言って、右手を振りながら、素朴な笑顔を私に向ける。  嘘ではないのだろう。  貴族はこんな挨拶はしない。  まして私が誰かを知っておれば。  それに何より、 (こいつか!)    まさに、私は頭に血が上った。  そしてその状態の私に、こいつはこうのたまわった。 「よろしくお願いします。お姉様」  遠慮会釈もないとはこのことか。 (この泥棒猫が!)  私の誇りは、この言葉を口にすることは愚か、心の内に抱くことさえ許さぬはずであるが。  まさにどうしようもなかった。  何とか口に出すことだけは抑えた。  ふぅーとばかり、大きく1つ息を吐き、心を平静に持って行こうとする。 (なるほど。  婚約破棄宣言を目前にした私が、どんなみじめでしみったれた顔をしているか見に来たという訳ね。  でも、おあいにく様よ。  あなたの王子は、後わずかな命。  そして王子がいなくなれば、誰があなたのことを気にかけるかしら。  そう想うと、ようやくにして怒りが静まった・・・・・・と想えた。  ただ、その娘はなお私を愚弄するのか、私の周りをうろうろとうろつき、なんやかやと下らぬことを話しかけてくる。  耐えた。  どんなに『失せろ』と怒鳴りつけたかったか。  いや、そんなものでは済まぬ。  本音は『殺すぞ』である。  ただただ耐えた。  来たり来る日に、 ――というか今夜が刻限だ、 ――王子が死に、こいつの表情が絶望に占められるのを想像することにより。  そして、村娘に先導されて、王子の部屋に入る。  村娘も同席か。  そうだろう。  その様を見たかろう。  私も見たいぞ。  いや、厳密には聞きたいぞ。  婚約破棄と王子が明言するのを。  王子は立って私を待っておった。  普段は王子が座るそのイスに、王が座しておったからに他ならぬ。  何ゆえか、王もいらしたのだ。  ああ、そうか、不思議でも何でもない。  むしろ当たり前。  婚約破棄なら証人が要る。  王なら申し分ない。  そして王自身が、婚約破棄を望んでおったとの噂は誠であったか、 ――遂に認めざるを得なかった。  私の気に入られたいとの、今までなして来た努力は何であったのか。  そしてあの側室はおらなかった。  まあ当然だ。  下手に顔を出して、無用に私の恨みを買うことはない。  私が婚約破棄されたのをその場で見る必要も無いほど、己が勝利を確信しておるのだろう。  村娘ほど愚かでないということだ。  そのゲスで下卑た心を満たすために、ここにおる村娘ほどには。  ただ、側室も我が家に代々伝わるものについては知りようもない。  何がこの先待っておるか、今に分からせてやるぞ。  次には、そなたの息子をこの公爵家代々の美貌にて籠絡してやろう。  息子がそなたにつくのか、私につくのか、今から楽しみだ。  私はまず王の前にひざまずき、差し出された手に軽く口づけしようとする。  すると、 「ああ。それは。・・・・・・そのドレスは」  王は不意に落涙された。  伯母上の若かりし頃を想い出されたのであろう。  それほどに愛されておったのか。  比べて私は。  私はいきどおりに震えつつ、国王の感傷に震える手指にキスをした。  それから、かたわらに立っておる王子の前に移ると、あらためてひざまずく。  そして言葉がかかるのを待つ。 『公爵令嬢アレクサンドラ。そなたとの婚約を破棄する』 との言葉を。
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