110人が本棚に入れています
本棚に追加
第5話
「ねえ、この黄色い帽子、どうにかなんないの!」
メロディが鏡の前でしかめっ面を作ると、シャンプーが真剣な面持ちで相づちを打った。
「ゆーしいぜんの代物みたい!」
「有史以前に幼稚園なんかないでしょ、なに言ってんの?」
同じく黄色い帽子を被ったキャンディがたしなめた。
「えーッ、幼稚園ないの?知らなかった。ねえ、ゆーしってなに?」
「あのね~、知らない言葉をむやみに使わない。会話が意味不明になるでしょ!」
キャンディはいい加減にしてよね、とそっけなくあしらったが。最近、長女の自覚が芽生えたメロディが、末っ子シャンプーに親切に教えた。
「有史以前って言うのはね、人類の歴史が始まる前のこと。人間がいないんだから幼稚園もなかったの」
「えッ、そうなの?でも、メダカは学校に行くんだよ!」
「それって昔の童謡でしょ。いったいどこで聴いたの?」
キャンディは幼くして常識をひと通り押さえていた。三つ子きっての現実主義者なのだ。
「パパ上のオーディオライブラリだよ。ねえ、どじまんってなに?」
「ど・じ・ま・ん?それ、何なの?」
さすがのキャンディも面食らって聞き返すと、シャンプーは唇を尖らせて声を張り上げた。
「わからないから聞いてるんだよ。ねえ、どじまんってなに?」
「知らないわよ!メロディ、知ってる?」
「聞いたことないよ。シャンプー、いったいどこで聞いたの?」
メロディは首を傾げて言った。
「パパ上のオーディオライブラリだよ。ねえ、どじまんってなに?」
「あんた、あのライブラリを聴いてんの?二百年分はあるわよ」
「うん。まだ半分しか聴いてないけどね。ねえ、どじまんってなに?」
「ねえ、メダカの学校を聴いたのはどのライブラリ?」
ようやく事情を理解してメロディが的確に尋ねた。
「令和のどじまんだよ。令和はわかったけど、どじまんって辞書に載ってないもん」
「あのね、シャンプー。令和のど自慢なの!」
キャンディが呆れて言い聞かせた。が、いつだって自分を基準に考えるので、説明がもの足りない。
「だから、そう言ってるよ!」
シャンプーはふくれっ面になった。キャンディは物分かりワルいんだもん・・・
「だから、どじまんじゃないの。のど自慢なの!」
「えーッ、どこが違うの?のどじまんてなに?どじまんじゃないの?」
「シャンプー、令和、で切らないから間違えたの」
メロディが優しく説明した。
「あーッ、そっか!わかった、れいわのどじまんだ!ねえ、のどじまんてな~に?」
「歌合戦のこと。歌がじょうずな人が勝つの」
「やっとわかった!」
「シャンプー、なんで二百年も前のライブラリなんか聴いてるの?」
「だって、視聴覚ライブラリの映像は全部見ちゃったんだもん」
「うそでしょ~?シャンプー、あれを全部見たの!?」
メロディが目を丸くして尋ねた。パパ上の部屋の映像は五百巻はあるのに!
「うん、見たよ。だから今はオーディオ。でも聴くのは早送りできないもん」
「そう言えば、シャンプーは速読の名人よね~」
納得がいったメロディが言うと、ウンザリしたキャンディが口を挟んだ。
「なんで二百年も前の歌の話を延々としてんの?わたしたちタイムスリップしちゃってない?」
「えーッ、ノヴァはタイムスリップできるの?わたし、できないよ!」
「シャンプー、バカ言わないの。タイムスリップなんかできるわけないでしょ!」
「そうなの?じゃあ、将来の夢はタイムスリッパの開発にしようっと!」
「なんなの、タイムスリッパって?」
メロディが尋ねた。
「履いたらタイムスリップできるタイムマシンだよ、知らないの?」
「知るわけないでしょ!そんなものないんだから」
キャンディが言った。
「うん、まだないよ。だって、これから開発するんだもん」
「あんたね~、タイムスリップてなに、なんてオチにしないでよね。この黄色い帽子だけで頭痛がするんだから」
「タイムスリップなら量子力学の本で読んだもん。ねえ、オチってなに?」
と、またも議論が紛糾する間際に、運よく助け船があらわれた。
「お姫さまたち、幼稚園に行く時間だよ!」
匠が階段の下から声をかけると、三人は異口同音に歓声をあげた。
「やったー、幼稚園だ!」
「わたしたち、いま見事にハモったわね~」
キャンディが言うと、メロディーが気を利かせた。
「シャンプー、ハモるっていうのはね・・・」
このレトロな家は21世紀のアナログ住宅のレプリカだ。メロディとキャンデイの後について、階段を一段ずつ両足を揃えてトントン降りながら、シャンプーが口を尖らせた。
「ハーモニーの略だよ。知ってるもん!」
「すごーい、常識が身についてきたじゃない!」
キャンディが言った。
「幼児のための略語辞典に載ってたもん」
「幼児のための略語辞典?そんなのあった?」
「まだないよ。不肖わたくしめが目下鋭意執筆中」
「シャンプー、大人をからかうんじゃないの」
「うん、わかった。ねえ、ハーモニーってなに?」
「あんた、略語より常識をいちから勉強したほうがいいわね~」
「常識なら知ってるよ。一般の人が共通に持つ、または持つべき普通の知識や意見や判断力のこと。ねえ、ハーモニーってなに?」
「シャンプー、辞書を読んだって常識は身につかないよ」
「朝から会話が支離滅裂になっちゃったじゃない」
メロディとキャンディが口々に言うと、シャンプーはヒョイと最後の一段から飛び降りながら尋ねた。
「ねえ、ハーモニーってなに?」
一階に着いた三姉妹は、さっそく匠に駆け寄ってひしと抱きついて声を揃えた。
「パパ上、おはよ~!」
「またハモっちったね、わたしたち」
シャンプーがうれしそうに言った。
「三人とも制服がよく似合ってるよ。うーん、どこから見ても立派な幼稚園児だ!」
と、匠が言った途端、三姉妹は「えーッ?」と一斉に顔をしかめた。黄色い帽子を被った頭を寄せ合ってひそひそ話を開始した。
「ねえ、パパ上のファッションセンスって、恐竜並みに時代遅れだって思わない?
メロディがささやくと、シャンプーが言った。
「えーっ?パパ上は恐竜なの?驢馬じゃないの?」
「今はね、制服の話をしてるの」
とメロディ。
「じゃあ、団結権を行使して黄色い帽子断固拒否ハンガーストライキする?」
とシャンプー。
「あんた、こ難しいことだけはよく知ってんのね」
とキャンディ。
「でも、お腹空いたから、ハンガーストライキは先延ばしにしようっと!」
誰が何と言おうと、シャンプーは何時だってマイペース。
匠は吹きだしそうになるのを懸命にこらえていたが、運よくアロンダがダイニングから声をかけた。
「メロディ、キャンディ、シャンプー、朝ごはんよ!」
「やったー、朝ごはんだ~!」
三姉妹は歓声をあげて駆け出した。
アロンダの介入によって、ようやく三姉妹の議論は決着。しかし、シャンプーのひと言で結論は先送り。
なし崩し的に黄色い帽子を被って幼稚園に通うことに。
最初のコメントを投稿しよう!