アンタはきっと気付かない

3/4
前へ
/4ページ
次へ
俺はホラーが苦手だ。 だからホラー映画は中々見ないが、大まかな日本ホラーの流れは分かる。 最初は何も分からず、自身を襲う怪異に恐怖する。しかし、二作目や三作目になるに連れ、人間模様の要素が強くなり、何故、その怪異が現れるのかが判明していく。 最終的にはその怪異は人の狂気が生み出した産物で、結局お化けよりも生きている人間の方が怖いという結末だ。 「んっ…。」 明かりが消えて暗くなった研究室で目を覚ます。 目を開けると俺を抱きしめてスゥスゥと寝息を立ててあの青年が眠っている。 青年の腕からなんとか抜け出し、落ちていたタオルで自身の身体を拭く。タオルで拭うと身体には赤い痕が大量に付けられていて、胸や首には青年の歯形が残ってる。 まさか襲ってきたゾンビから逃げていたら人間に襲われるとは。やはり、死んだ人間より生きている人間の方が怖いって事か。 はははっ、と苦笑いを溢し、ため息を吐く。 いや、本当に笑えない。 なんでこんなに執着されているか分からないから余計怖い。 まさか俺はこの青年に誘拐されてここに来たのではないかという考えに至り、ゾッとする。だからこの研究所の一室で寝ていたのかもしれない。 何はともあれ、もう青年と一緒にいる事は出来ない。例え、ゾンビに襲われようとも出ていかねばならない。そうしなければ、俺はこの青年に身も心も洗脳されてしまう気がする。 実際、青年に命を握られていて逆らえなかったし、今考えればお風呂場でのあれは飴と鞭だ。 ああ、やってご褒美と罰を教え込ませて俺を従順な『いい子』にしようとしていたのだろう。 確かに完全に術中にハマっていた。 だが、それでも人間、捨てられないものがある。捨ててはならないものがある。 ー 待ってろよ、優生 大事な家族。可愛い甥っ子。 家族への愛情は洗脳され掛けようが簡単に消える事はない。 優生は絶対生きている。 その希望が勇気をくれる。 可愛い甥っ子の為ならゾンビだって怖くない。 そう出て行く決心をして奪われた服を探すと、俺が元々着ていたていた服はボロボロになってゴミ袋の中に捨てられていた。 ご丁寧に切り刻まれており、もう着る事は出来ない。 「全く。なんて執着心だ。」 逃がさないつもりか。 本当にゾンビより怖いぞ、この青年。 あまりの執念に苦笑いを溢し、しょうがないので研究室を漁り、青年の服を引っ張り出す。青年の服は少し俺のものよりもサイズが大きくなんとなく複雑な気分になったが背に腹は変えられない。 武器に使えそうなものを拝借して取り敢えずは俺が最初に寝ていた倉庫のような部屋に戻る事にする。 本当はこの研究所を早々に脱出したいが終わった世界で保存食があれだけ確保されているあの場所は貴重だろう。あそこをまず拠点にして外に出て、次の拠点を探そう。 青年が寝ている事を確認してからソッと部屋から出る。本当にこの青年は何者なのだろう。何がしたかったのだろう。 疑問が残り、何故か少しだけ離れがたい気持ちが湧くが首を横に振り、そんな馬鹿な思考を追い出す。 相手はゾンビのウイルスに感染したかもしれないと俺を騙し、散々俺の身体を好き勝手にした相手だ。その上、洗脳しようとしてたんだぞ。そんな相手に惚れるなんて絶対にありえない。 「そうだ。何、馬鹿な事を考えてるんだ。助けてもらったから好きになったってか?馬鹿馬鹿しい」 そう自身に言い聞かせ、また薄暗い不気味な廊下を一人で彷徨う。かなりの頻度でゾンビに出くわしたが、ゾンビは襲って来なかった。 どうやら彼等は音に反応するらしく、音を立てなければ目の前に俺がいてもスルーだ。なんだ、ゾンビなんて怖くないじゃないか。青年がいなくても生きていけるな、これ。 そう調子に乗っているとまた一体ゾンビが俺の前を通り過ぎて行く。 段々と恐ろしいゾンビの姿にも慣れてきた俺は今度はどんなゾンビだろうと観察した。 さっきは受付嬢らしいゾンビが目の前を通り過ぎた。あの受付嬢のゾンビもゾンビらしく腐っていたが、見目形から元はかなりの美人だと悟って残念に思ったものだ。 さて、次は男か。 白衣を着ているからここの研究員か。 そう考察しながらじっくり見ているとふとそのゾンビに見覚えを感じて、サッと血の気が引く。いや、まさか…そんな…。 「兄貴?」 そう思わず通り過ぎようとしていたゾンビに声を掛けた。ゾンビは俺の声に反応してこちらに振り返る。 そのゾンビは顔に皺があり、俺が知る兄貴よりも老けていたが顔も背格好も全て俺の知る兄の姿だった。 「そんな…。嘘だろ、兄貴」 まさかここは兄が働いていた製薬会社の研究所か? 兄の職場まで知らなかったので気付かなかったが。 ゾンビになった兄は理性なく涎を垂らし、俺の声に反応して弟の俺に牙を剥く。あの青年の研究室から拝借した武器を振おうとしたが、駄目だった。 兄とは家族ぐるみで付き合いで、週一で一緒に酒を飲む程関係は良好だった。大事な兄弟である兄を例えゾンビだとしても危害を加えるなんて出来なかった。 「だから外に出るなと言ったのに。」 はぁ。と溜息が聞こえて、手術用のメスがきらりと煌めく。 シュッと兄の首をメスが切り、赤が空を舞う。 兄だったものが倒れる最中、力強く光る瞳が俺を映す。 その瞳に映されると心臓が誤作動を起こしてドキドキッと激しく鼓動を刻み、胸が苦しい。これが吊橋効果ッ。 怖くて腰が抜けたのかストンとその場にへたり込み、真っ赤になった顔を見られたくなくて伏せる。 ゾンビだとしても目の前で兄が首を掻っ切られたこの状況で何故、乙女思考になってるのか自分でも分からない。恐怖で頭がおかしくなったのかもしれない。 「大丈夫か」と手を差し出されて三十代のおじさんの癖にトキメキ、ドキドキしながら差し出された手を掴む。掴むと強引に引き寄せられて腰を抱かれた。震える身体を包むように抱かれて、自分にとって恐ろしい青年の筈なのにその温かな体温にホッとして身を預ける。 「アンタは僕なしでは生き残れない。…分かっただろう?この世界にはアンタと僕だけだ」 「もう…、本当にオレ達しかこの世界にはいないのか。……優生ももう」 もう一度、青年に倒されたゾンビに見やるとゾンビはやはり俺の兄であった人で突きつけられた現実にただ衝撃を受け、涙が溢れた。 仲の良かった兄の死に恐怖も全て掻き消されて、苦しくて助けて欲しくて逃げたかった筈の青年の腕の中で縋り付くように泣きじゃくった。 青年に手を引かれて帰る帰り道。 義姉のゾンビを見た。やはり、記憶の中の義姉より老けていて、少しそれが気に掛かったが二人がゾンビになったのなら優生もやはりというショックでそんな事最早どうでもよかった。 そのまま研究室に帰れば青年は宥めるように何度も俺にキスを落とす。大切な家族を亡くし、傷心する心にはその優しいキスが心地よくて、ホロホロと涙を流しながらその優しさが、愛が、欲しくてそのキスを求めた。 もう青年が誰だって構わない。 こんな残酷な世界で優しさをくれるなら例え、それが歪んだものだとしても構わない。 自ら青年の唇に自身の唇を合わせると青年は嬉しそうな表情を浮かべて、「いい子だ」と俺の頭を撫でた。 その頭の撫で方にふと、優生の頭を撫でた時を思い出す。 よくあの子の頭を撫でてやったが、同じ撫で方をしていた気がする。だが、その違和感も与えられる心地のいい優しさと快楽の前に溶けていく。 苦しみと快楽の中で溺れて、結局、俺は何も気付かない。後もう少しの所まで気づき始めている青年の正体に…。 「ずっとアンタは僕のものだ。藤悟。」 青年は艶やかに微笑み、伸ばした手に口付けを落とし、乱暴にそして甘く、心も身体も溶かしていく。 ただ青年に溺れて求めて。 青年が求めるがままに……。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加